國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

物は壊れる,人は死ぬ 三つ数えて,眼をつぶれ

(以下は10年前に書いたそれ)

 

そんなわけで怪物ランドで30代には御馴染みの有栖川公園に程近いArisugawa Studioで行われた「ナンシー関スタンプ葬」へ赴いた今日。
葬儀委員長は森繁でもなく、BGMは横浜銀蝿ではなかった。ムーンライダース

正午からの予定に合わせて会場についたのは15分ほど前だったと思う。
朝から曇りで若干の風があり、やがて雲は切れ、空は青さに変わった。正午。

たぶん普段は撮影等に使われているであろう会場までは狭い通路を行き、やがて。
天井高く、体育館程度には広い。ムーンライダースが聞こえる。
鈴木慶一自らの選曲らしいが、その時に流れていたのはなんていう曲なんだろう?
シンプルに彼女の写真と自画像が大きく演壇の上部に飾られていた。
花を一本受け取り花を置き軽く写真に挨拶。

今日は記念にムーンライダースの「青空百景」を買ったよ。
82年の作品。
おれはその頃浪人中でド真っ暗な気持ちで日々を送っていたけれど、
彼女はもう大学生だった。
もう仕事は始めていたのかな?
もう「ナンシー関」っていとうせいこうに命名はされていたのかな?

・・・そして、このアルバムをきっと聞いていたんだろう。 

 


ムーンライダーズ - 物は壊れる,人は死ぬ 三つ数えて,眼をつぶれ

The Clashいい話( ;∀;)

The Clashの”White Man in Hammersmith Palais”のコメント欄に「The Clashいい話」が載っているので以下に引用など。(いま現在、コメント欄「19」の下の方にある)


White Man (In Hammersmith Palais) - The Clash

 I'm lucky enough to have seen the Clash...I wanna share a great memory. Me and a mate had travelled to Manchester and managed to blag in for the soundcheck. As it went only Topper and Paul were rechecking drum and bass sound. Bouncers tried to chuck me and my mate out and Topper jumped over his kit and siad "Leave em alone, they're fuckin with me". I was 15. Same night we ended up backstage, cos now we're Topper's mates, Strummer hands me a Coke can with rum in. Memories forever! ” by TheMARKELA1

 で、以下に拙訳を。まともに翻訳などする力はないのでテキトーです(^_^;) 

申し訳ないm(_ _)m

クラッシュか。おれにはちょっと忘れられない思い出がある。おれとダチで当時マンチェスターまで行ってライヴの音合せしてる彼らんとこへ忍び込んだことがある。そこじゃあトッパーとポールがサウンドチェックしてた。ドラムとベースだ。

けどまあ当然、警備員にはめっかって、おれらはつまみ出されそうんなった。したらトッパーがドラムの方からパッとおれらんとこ来て。「そいつらおれの連れだ。離してやってくれ」

おれは当時15歳だった。その日の夜、バックステージにおれたちはいた。だってもうトッパーのダチだもんな。ジョー・ストラマーは缶入りコーラにラム酒入れたのをおれにくれた。サイコーの思い出だよ。忘れられっかい!

これ↑の最後の方にあるJ・ストラマーがおごってくれるのがおれが昨日飲んだキューバリブレってやつじゃないかと思うの。 

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(モニターに映ってるのはThe Smithだけど、あんまり気にしないで(^=^; )

見る夢がちがう

虚構新聞でもランキンタクシーのでもいいんだけど「ことば」のことってすっごい話題になる、なりやすい、気持ちに引っかかりやすいし、気にもなりやすい。

でもほんとうは「ことば」で話題になるようなことなんて、優先順位から言えばすっごく低い、どーでもいいようなことにしか過ぎなくて、物事や社会に関してはもっと地味で話題にならない、でも現実に動いている、そういうことをどうするかの方がはるかに重要だけど、話題にならないのでないも同然だし、まーそもそも話題にしても「話題になる」ってだけで世の中の大概の言説は床屋政談でしかないという、物事が決まるにはもっと現実のくだらない習慣や「メンドクサイ」みたいな部分で動いていて、そういう部分をよりよくするのは至難のワザだし、出来たとしてもほんのちょっぴり。

 

世界を変えることは出来ない。

自分も変えられない。

そのうち死ぬ。

それだけ。

http://www.youtube.com/watch?v=ETIKSwggQ4g

キム・ギドク

テーマとかは気になんない方なので、あと自分自身、男だからってのもあるかも、それはともかく、キム・ギドクに関してはストーリーがご都合主義で手抜きで、そのへん映画よく観てる人は気になんないのかなー?って前からの疑問があるんだよなー。

この前「サマリア」観たら、もうほとんど憶えてないんだけど、すごい話の流れが随所でテキトーで、ひでーなーって思ったんだけど、みんな気になんないのかなー?

絵作りもとってつけた感があって、安っぽいし。

そーゆーのが魅力な人もいるけど、そういうのが魅力な映画もあるけど、でもキム・ギドクのはべつに魅力ないし。ううむ。

 

キム・ギドクの映画って「かもめ食堂」と似てるよ。テキトーで手抜きでご都合主義で、でもなんか「それっぽい」の。「それっぽい」だけ。からっぽ。

 

ただ、あれだよね、キム・ギドクの映画ってあらすじだけ聞くとなんかおもしろそうなんだよね。でもそのアイディアを活かしきってない、活かす才能がない。ストーリーがいい加減。演出が甘い。結果、思想の甘さがなおさら目立っちゃう。

思想が陳腐でも映画の力があると監督本人の思惑を超えたモノが立ち上がってくるけど、そーゆーのがもちろんない><

 

あと、やっぱもうひとつフシギなのは女性でキム・ギドクが好きだって人がいること。

えー?あれでいーのー?って思っちゃうんだけど、なんでだろー?

あーゆー陳腐な女性の扱い、気になんないのかなー?

イラッとくるけど、でもなんか好き☆みたいんならわかるけど、どうもそんなカンジもしないし。

ふつうにウケてるっぽいし。

単純にフシギ。

Got My Mind Made Up

http://www.youtube.com/watch?v=-8JcbELtKvs

インタヴューズからお引越しシリーズ。

ひとしなみにショックは受けてしばらくはぼんやりもしていましたが、気のつくともうふつうにぜんぜん日常に戻っていて、自身、被災してないし、日々仕事に追われていると、そっちばかりに結局はなってしまい。
仕事で疲れてめんどくさくなり、休日は仕事から解放されたいという思いで、ただ好きにだらだらしていたくて。
日常には勝てなくて。

それに職場は地震のあった当日もその後も大した対応をするじゃなく、元々ヴィジョンのない経営じゃあったけど、あれだけの地震があった際にも管理者からの指示もなく(そういう際には指示の必要な仕事内容ではあるので)、そういう代わり映えのなさにはまたあらためてウンザリして。

でもそう、今回でいちばん感じたのは「代わり映えのなさ」、なにかがあらためて起こったんじゃなく、元々くだらない作りだったものが顕になっただけ、そういうやりきれなさで。
そういうしたくもない「再確認」ということで。

この世界はそもそもこんなとこでしかない、そういうあれで。

そうそして変わらない、変えられないってことでいえば自分自身がなによりそうで。

おれは結局、単に小心でだらしがないきり、地震の後、やはり思ったのは会いたい人には会わなきゃいけない、ためらってる間に機会を逸しちゃうじゃないかってことで、これはそう感じた人は他にも大勢いるだろうことで、おれも素直にそうは思えて、でもやっぱり休日の少ない仕事を辞することもせず、会いたい相手に会うべく努力するでなく、思い切ってメールや電話をすることもできず、グズグズするばかりで、これは以前と変わらない、既にもう半年経ってしまっている。

おれはいままで人づきあいが少なかった、あるいはほぼゼロの時も長かったせいで身内や親しい人間を失った経験がなく、そういうことについてはほぼ想像するか、なんとなくで感じるかしかなく、身近な人間を失うって、でもどういうことなんだろう。
だから会うべき人間には出来る限り会っておかなくちゃいけないのに、それを強く思ったのに、でも二の足を踏みっぱなしで、なんにもおれは変わってない。
性格はしかし、変わろうはずもないけれど。

30歳過ぎて生まれて初めてつきあった相手とは半年にいっぺんぐらいいまでも連絡を取るようなこともあって、といって電話で5分ほど話す程度、消息を確認するというか。
この前実際に会ったのはもう7、8年前で、憶えているのはおれがまだペーパードライバーを脱したばかり、おぼつかない運転で彼女の住んでいる方までなんとか辿り着き、ゲーセンでも行ったんだったかある程度はおしゃべりもし、帰りはマクドナルドへ寄った。
おれがそのマックからなんとか家まで帰りついたぐらいにちょうど彼女から電話、おれの怪しい運転でちゃんと帰れたか、確かめるそれで。
それ以来彼女とは半年に一度の電話程度で、会うこともないうちに時間は経ち、ある日彼女から電話、彼女の母親が乳房の痛みを強く訴えるとの由、大事がないといいんだけどみたいなことを言って電話は終わり、その後メールでだったか彼女の母親は悪性腫瘍との報を受け、それから何ヶ月か経ち、彼女の母親が亡くなったとのこと、おれは電話も出来ず、つまらないお悔やみのメールをしたきりで、その後また時間は経ち、今度は彼女自身が調子がわるいとのこと、そうこうするうち手術をするとのメール、でもおれはいよいよ入院との知らせを受けても結局、電話ができなかった。簡単なメールを1、2度送ったきりで。
その後、彼女の手術が子宮全摘とかそういうことであるのを知り、更に以前の母親のこと、また子宮摘出による体調の変化なども重なり、彼女は鬱状態になり、けど簡易なメールはたまにしたけれど鬱でもあり彼女からの返事も中々なく、そう、おれは彼女が大きな手術というときに電話ひとつできゃしなかったし、会いにいくこともなにもできなかった。しなかった。
正直云えばそもそもが不倫で、連絡を取るのに彼女が元気ならばともかく、そうじゃないと全く臆してしまったというだけで。
ただの小心だ。

彼女とは別れてもう十数年、でも未だに僅かだけれど連絡もとっていて。
つきあってる時は別れたくて仕方なかったのに、いまでもこんなふうにロクに連絡もするじゃなくとも、どこか心配するようなあれではあって。
友情とは違うだろう、でも恋愛的なそれとも違う、ともかく心配することも、心配してくれることもある一種大事な相手であるには違いないので、彼女がたいへんなときにおれはちゃんと電話ぐらいすべきだったとは後悔もしていて。
たいへんなときに大事な相手に連絡取るぐらいはすべきだろう。
メールじゃなくて、電話で。会うならそれに越したことはない。
おれはそういうことができない。
逃げてばかりだ。
メンドクサイ、結局そういことなんだろう。おれは。
じゃ、だめじゃん。
メンドウ引き受けなきゃさ。おれ。

それと。
親しい人間を失ったことはまだないけれど、でも1個だけ、たまに思い出すことがある。

もう10年とかそれ以上前。
妹の旦那がアメリカ人なので、彼の実家(アメリカでも「実家」っていうのか。云わないよな)へ行った。
彼には姉貴が何人かいて、でもまあ姉ちゃんてのは弟にとっちゃ鬱陶しいようで、ただその中でもすぐ上の姉とは気軽な間柄のようだった。年もまあ割に近いわけだし。一番下同士でもあるし。
一週間ぐらい妹夫婦の家に滞在して、その間親戚の集まりみたいなので向こうの家族とも会ったりした。
アメリカの料理はマズイっていうのがもっぱらの評判だけど、でもちゃんとした家庭料理は美味いってのもすごく実感した。
あとおばあさんがいて話した(?)んだけど、幾らおれが英語がロクに出来ないとはいえ、南部訛りの彼女の言ってることはワン・ワード足りとも聞き取れなかった。おれはジャパニーズ・スマイルでイエスイエスってな具合で。まったく。情けねー><

で、上記した義弟のすぐ上のお姉さん、彼女とはある程度は話せたし、話しやすかった(訛りってことじゃなくて、なんか気持ちの面で)んだ。
でも当時彼女は既に別居中のダンナが離婚を承諾してくれないみたいなことでひどくつらい思いをしていて、笑顔になったときでもすごく悲しそうな表情をしてたのが印象的だった。
でもそんな中の笑顔でも彼女のやさしい感じはすごくつたわってきてた。
ほんでもってもう帰るって日、別れ際、彼女はおれをハグしてくれた。
日本人でそんな習慣のないおれには生まれて初めてのハグで、すごく感動した。
ああハグってこんなあったかいんだって、ほんと思った。
いまでもその感じは忘れない。

それで日本に帰ってきてどれぐらいだろう?2週間?ひと月?、彼女が念願叶い離婚が成立したって報が我が家に入り、おれは両親と「よかったねー」なんて喜んでた。
それで更に何週か過ぎ、またアメリカからの報が入り、でもそれは彼女が死んだ、離婚した元ダンナに殺されたってことだった。

いまでも意味はよくわからない。
でもきっとありきたりな話だ。
やさしい女性がロクでもない男に暴力をふるわれ、殺され。
そんなありきたりは要らない。欲しくない。

妹のダンナを除けばおおよそ自分の州から出ることも滅多にない向こうの人たちの中で彼女はまだ若かったし、日本に遊びに来て欲しかったし、おれは東京案内とかしたかった。
さらにいつか、いい相手にめぐり逢い、しあわせになって欲しかった。
月並みにそんなことも考える。

会える人には会い、自分にできることはあわてることもないけれど、すべきことはすべきだと思いはする。
でも日々の怠惰がつづき、ただ失ってしまうこともたびたびで。
よくわかんない。
なにがどうとかじゃなくて。
うん。
あまり脈絡もない。
日々は過ぎるということ。
自分は生きていて、他人は生きていて、でも死ぬこともあるし。
自分にどうか出来ること、出来ないこと。
どうにもならないこと。
毎日の生活。
不満。不安。

結論もなんもない。
あちこちした感慨があるきりで。
なに書いてんだろね。
まあとりとめはない。
いつもそっか。 

California

Joni Mitchell - California

http://www.youtube.com/watch?v=Lm39YkGrHp8

iPodクラシック買った。

iPodとしては3台目。1台目は20Gのやつ、そん次がクラシックのシルバーで、今回のは黒。

おなじクラシックでも進化してるのな。薄く軽くなってるし、若干メニューも変更んなってる。

http://www.amazon.co.jp/Apple-iPod-classic-160GB-MC297J/dp/B002OB3FKU

シルバーのもまだ現役なんだけど、そのうちイカれるんじゃないかとちょいと心配でな。ほんで買った。新しいのを。

この前買ったのは2007年の9月だな。そうすっと4年と半年は使ってる。

http://d.hatena.ne.jp/andre1977/20070913#p1

酷暑ん中、クルマに置きっぱなしとかしてること思うと随分保ってるんじゃないか?もしかして。

土曜日の休みは医者行ったし(いつもの血圧降下剤もらいに。定期受診)、洗濯も干した。

したら昨日日曜は曇ってるし、今日は雨だし(いまは晴れた。夜んなり)、朝なんか雪まであった。屋根には。

冷えた。今日は。そんなわけで。

最近になく休みだのに、特に遠出はしなかった。都会へは行かなかった。

夕方、新しいiPodに曲仕込みながら「キャリー」見てた。実は初めて。

すげー70年代だった。髪型とか服装とか、なんかしら雑な感じといい。白人ばっかしとか。

彩瀬まる「暗い夜、星を数えて」も読んだ。最近になくするすると読み終わった。

http://www.amazon.co.jp/%E6%9A%97%E3%81%84%E5%A4%9C%E3%80%81%E6%98%9F%E3%82%92%E6%95%B0%E3%81%88%E3%81%A6-%EF%BC%93%E3%83%BB%EF%BC%91%EF%BC%91%E8%A2%AB%E7%81%BD%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%84%B1%E5%87%BA-%E5%BD%A9%E7%80%AC-%E3%81%BE%E3%82%8B/dp/4103319615

薄い本だが、それは関係ない。読めない場合は薄かろうがなんだろうが止まってしまう。

読書がすっかり苦手なのだ><

感想は上手く書けないけど、よかった。読んでよかった。

内容は震災につき。本であることが、ひとりの作家が自分の見たことを感じたことをまま書いているのがきっといいのだと思う。ネットだとあまりに情報がありすぎて落ち着かず、是々非々の話に陥りがちで、ただ声を聞きたいこともある。本だと静かに向き合える。

等身大、そういう風だった。よかった。

起きていることはまったくよくないけどね。いつもなにもどうにもならない。間抜けと怠惰の集積。それが世界。

涙と親切だけが救い。けれどそれで世界がひっくり返るわけじゃない。

ほんのちょっぴりのやすらぎ。拭えない汚泥。混じっている。ほどけない問い。

そろそろ美容院行かなくちゃ。髪も伸びた。カラリングも取れてきた。

いつもそうだが気が落ち着かない。追われてる感じがあり、そして逃げているばかりで。

インタヴューズからのお引越しシリーズで自己紹介部分。

 

andre1977: 1963年01月27日生まれ、49歳。 東京都出身。 現在は埼玉県を拠点に活動中。 はてなデヴューするまでは「no pain」って名前でした。いまでも「ノーペインさん」て呼ばれることがあります。いまは「アンドレさん」と呼ばれますが、どちらにしろ恥ずかしいです。ふつうに本名がいいですが、苗字が割と特定しやすいそれなのでもうひとつ踏み切れないのです。個人情報とかはよいのですが、身内にみられるのが恥ずかしい>< それに尽きるのです。 なにか書く度、なにかおもしろくしなきゃいけないと構えてしまい、書き出せないことが多いですが、その点Twitterは思いついた順なんで割と得意です。得意すぎてキリがつかないので注意しないといけません。 書きたいことはあれこれありますが、書けないことで書きたいこともあるし、むずかしい。 前はケータイでは絵文字を使ってたこともあったりで、けどウェブではその手は避けてたのですが、現在のAndroidに変えてからは顔文字が入れやすいためか顔文字を入れる傾向になり、その分絵文字は使わなくなり(機種により見えなかったりするから)、ウェブでも顔文字を盛んに使うようになりました。 いまはもう48歳(2011年9月時点)で半世紀は生きていて、体力が落ちて、血圧はクスリで下げていて、年取るといろいろたいへんです。オカネはあまりありません。低収入、けど現状困ってはいないという。 独身で結婚したことはなく、片手で間にあうほどの女性とつきあったことがあり、現在はつきあってる相手はおらず。 休みが少なく、それが不満、不便で、あと住んでるのが池袋から1時間は奥へ入ったところなのでそれも不便ですが、遊びたくてしょうがないのです。 クルマは40歳過ぎてからペーパードライバーから脱し、しかしクルマはオカネが掛かるなあ、けど仕事でどうしても使わざるを得ないし、クルマがないと生活の成り立たない地方でもあり、便利っちゃ便利だけど、人生やり直せるなら都心に住み、でも運転はできる、みたいのがよいです。

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