読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今年見た映画一覧

1月 

ザ・レイプ
ルーパー
ザ・フューチャー
 
2月
ライフ・オブ・パイ
テロルの季節
理由なき暴行
南極料理人
 
 
3月
ジャンゴ 繋がれざる者
フライト
スペル
ブロウ
2001年 宇宙の旅
2010年
エヴォリューション
ザ・マスター
 
4月
毛皮のエロス ダイアン・アーバス
君と歩く世界
リンカーン
戦争と一人の女
 
5月
狼ー男たちの挽歌~最終章~
探偵はBARにいる2
藁の盾
殺しの烙印
親密さ
 
6月
リアル~完全なる首長竜の日~
はじまりのみち
ホッタラケの島~遥と魔法の鏡~
We Can't Go Home Again
 
7月
インヴェージョン
カラスの親指
風立ちぬ
鴨川ホルモー
ニューヨーク、恋人たちの2日間
 
8月
アート・オブ・ラップ
悪魔が呼んでいる
スタートレック・イントゥ・ダークネス
ザ・フー アメイジング・ジャーニー
恋の渦
 
9月
タイピスト!
夏の終わり
わたしはロランス
凶悪
悪いやつら
クロニクル
 
10月
書くことの重さ~作家 佐藤泰志
そして父になる
マイク・ミルズのうつの話
 
11月
太陽の墓場
お早よう
あの頃、ペニー・レインと
もらとりあむタマ子
かぐや姫の物語
 
12月
ばしゃ馬さんとビッグマウス
受難
ブリング・リング
麦子さんと
イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ
シラノ恋愛操作団

「親密さ」

どんなに言葉を尽くしても映画そのものにはならない。

 

過日、ポレポレ東中野まで映画を見に行った。

「親密さ」(監督:濱口竜介)


濱口竜介レトロスペクティヴ 特報 - YouTube

これは長い映画で4時間はある。

途中で休憩つき。

 

BOX東中野時代、何度か行ったことはあるが、それを考えるともう十数年ぶりとかじゃないかと思う。こんなとこ来んの。

大体最近は地元のシネコン以外に行くことは滅多にないし。休みも少ないし、若くもないし、池袋からざっと1時間は奥に住んでいるので都会は遠いのだ。

それでBOX東中野で最後に見たのなんだったんだろうなあ?憶えてるはずがない。もしかしてなにわ天閣特集かなんか?くだらなくてよかったが、スライムがなんかおしゃべりしたりするの、まだインターネットもましてYouTubeもない時代だ。いまならYouTubeで発表したりしちゃうかもなあ。ああいう自主映画。

あったわ。なにわ天閣。


ひきだしのなかのタイムマシン【なにわ天閣】 - YouTube

映画館で映画でやる、ってのもそれはそれで、ね。味ってもんはある。時代は変わる。

あとあれだ、BOX東中野っていうと映画秘宝まつり、あれに一度行ったなあ。

年越しの企画で、シベ超とかやった。

ひとりで行った。もう10年以上前だ。十何年も前だ。

 

そして映画へ出かける前に自分ちの玄関で胸ポケットからスマホが落ち、液晶が割れた( ;∀;)

f:id:andre1977:20130603213442j:plain

 人がこうなるのはよくネットで見かけてはいたが、なるほどこんなふうんなるのね。

勉強んなった。(そして役には立たない)

でもってサポートセンターへ電話したら新品、次の日には届いてた。

IDとかパスワード、いっぱいあってめんどくさかったがなんとか復帰。

まあ、新品にチェンジしたと思えば、わるかないだろう。

買って半年目の出来事。

 

昔、東中野で映画見るときは「洋包丁」でメシ食ってた。いまはもうない。

洋包丁は高田馬場のにもよく行ってた。勤め先が馬場だったんで。

でもそれももう20年から十数年前ってことだ。その間、おれの人生にはいろいろあった。

そしていまはだいぶんくたびれている。でもこの20年、むだじゃなかった。

先行きは不安だけど、まあしたかったことは大体出来た。そういう意味じゃ後悔はない。

 

で、話はポレポレ東中野へ戻る。(若干)

いまはスマホがあってグーグルマップがあるんで、初めての道でもなんとか到着できちゃう。

でも都心だけだよな。電信柱に住所表示あるの。それだけで大体、都内だとどこへも行ける。見当がつきやすい。道の向こう側は三丁目だろうな、的な。

けどなんで都内だけそういう風に住所表示してあんだろ?電信柱。

地方には表示はない。

降りたのは最寄りの東中野駅ではなく落合。

出たのが予定より遅くなってしまったのでグーグル様の指示に従い、そっちから歩けとの算段。

曇っちゃいたが雨にはならずの天気で、ポレポレ東中野に到着。

もっと時間的にぜんぜん余裕で着くつもりが、そうもならなかった。それでも開始まで30分以上はあったが、もっとほんとはたまの外出だし、ぶらぶらするつもりだったし、ミスドでも入って(東中野の定番)ゆっくりするつもりだった。ツモリチサト

そして富士そばへ。コロッケそばを食す。

しばらく前に「めしばな刑事タチバナ」で立ち食いそばやってたのと、NHKで富士そばの社長が出てたの見て以来、たまの都会行きだと富士そば行きたくなるようになった。

前は立ち食いそばっても、富士そばはむしろ避けてたんだけど、ありきたり過ぎてっていうか。味がふつーっていうか。でもいざ行くと結構お気に入り。つゆが熱い。これが食ってて気持ちいい。

いつだったか友だちと新宿で飲んだ帰りだったか、無性に立ち食いそば行きたくなり、池袋で富士そば入ってコロッケそば食ったらすげー美味かった。そんとき喰いたいもんだった。富士そば腹だったってわけだ。ピッタシ。

 

映画の中身について、いくか。

ぼちぼち。

断片並べるだけだが、いつものことだ。

というかこうしてついったではなくブログなんて書くの、ほんといつぶり???

 

映画の中で彼氏がもっぱら「おまえ」っていうのが気になった。

彼女や妹に向かい「おまえ」って、おれ、言ったことないんだよなあ。言えない。もし口に出したら自分で違和感ある。似合わない。

名前で呼ぶ。呼び捨てもあるけど、ちゃんづけだったり。

「おまえ」って呼ぶ感覚がよくわからない。

「親密さ」見てて、途中で(?)気がついたんだよな。あ、「おまえ」って云ってるって。だからなんだってことじゃないんだけど、そういう微妙なことが結構決め手じゃある。それで関係性も性格も伺えるわけだしね。

この映画的には「おまえ」って云って欲しいかんじだった。

彼氏の性格に合ってる。ぶっきらぼう、っつかね。そんな感じに。

 

途中退屈もするんだけどねむくはならない。見ている気持ちよさがあってそれがずっと持続する。

見終わったあと、じんわり残る。読後感(映画だけど)みたいのが。それはいまも。

だからまた見たいって思う。あの”カンジ”をもう一度味わいたい、って。

内容やテーマみたいなことではなくて、見ている時の気持ちよさっていちばん言葉にならない。

そして、どうして見入ってしまうのかって説明がつかない。

 

単に人物を撮ってセリフどころか、もっとリクツっぽいことをただ云ってるだけだったりする場面もいくつもあるのに、云ってることが頭に入らなくても、共感もできなくても、それでも見ちゃう。引っ張られてく。

口にしてることに興味がないのに気が逸れたりはしない。いや、気は逸れてる。他のこと考えたりしてる。けど、画面はじっと見てるし飽きてない。画面に、というか映画に引きつけられてる。

編集でカットすればいいのに、とは思わない。ああいう一種むだが気持ちよさでもある。なにかが続いてる。演奏が。映画が。

そういうのってなんなんだろうね。いつもフシギ。

この映画に限らない。

平板な画で特にこれといって起こっちゃいなくても、そこに映画の魅力がある場合がある。

どうしてかはわからない。

 

特に外で歩きながら話してるところなんかそうなんじゃないかと思うけど、いまどきめずらしく(?)アフレコなんだよな。(じゃないかも知れない。技術には疎い)

アフレコって独特のものがある。

いまってそれこそはiPhoneでさえきれいに同録が出来てしまう。

技術はしごく進歩した。

だからいまってCGとかもあって、実際には音声も含めてポストプロダクションは相当に為されてて、単に同録ってこともないのかもしれないけど(そこらへんまったく知らないのでテキトー)、でも昔風のアフレコってのはそんなないんじゃないかなあ?って思う。どうなんだろ?

でもって「親密さ」だともっとわかりやすくアフレコで、おれがアフレコで単純に連想すんのはロマンポルノとかピンク映画。それとフェリーニフェリーニは意識的にすべてアフレコだって本人がゆってたような気がする。たしか彼氏の評伝かなんかで。

あと「新宿泥棒日記」でアフレコから突然同録になる場面とかあって、あのフシギなカンジはすごくよくて好きだった。


新宿泥棒日記 (Diary of a Shinjuku Thief) - YouTube

 

前半は若者ばかりで少しくうんざり、退屈してたのだけど、後半になり家族の存在が出て来てそこからは入りやすくなった。

 

この映画、前半と後半に分かれていて、趣きが違っている。

前半は劇団が演劇を作っていく。そこでのいざこざや芝居の組立て、といっても実際は芝居そのものからズレて討論したりしてる。芝居作りの一環としてとはいえ。

それでそのうちで戦争是か非か的なことをみんなで論じたりするんだけど、そういうのはすごく気恥ずかしいので見ててつらくなったけど、でもわかっててやってんだろうなあ。青臭くて生硬で、困った感も含めてので。

それでおれは見てて困った感じになっちゃうけど、それがまたこの映画見てる気持ちよさのひとつっていうかね。そういうのもぜんぶひっくるめて、平板さや困った感もこの「親密さ」って映画の演奏の中にあって欠かせない。

 

うらやましかったな。

都会で暮らしてカルチャーで生きてく、ってのが。

そんな生活、人生に憧れる。

 

でも一方そこが鼻につくし、若い連中だけかよ、それも都会でカルチャーな、みたいのんが後半の演劇で補填される。家族、が出て来る。

後半は演劇をいわばそのまま見てることになるのだけれど、その芝居には家族が出て来る。

それってフシギだ。

芝居の中に出て来る父親や母親(?細かい内容は失念)はセリフの中だけだし、芝居してるのは前半に出て来た彼らで、彼らだけで、別にあらためて年長者が登場したりはしないのに。

全体としては映画で、その中で別に演劇が映画の中の役柄とは違う役で演じられる。見てると混じってくる。というか演劇部分はその芝居のストーリーに見入っている。でもどこか重なってもいるわけで、その連なりに熱が出て来て、画面に惹きつけられる。

 

この映画を見ているのは誰なんだろう?

 

撮影がとにかく見事。

カメラと編集、その的確さ。

後半の演劇がそれで切り取られ、繋がれるから、映画でもあって、芝居の強さもあってオトク感。

 

後半、演劇の箇所でバックに喫茶店や街のノイズがずっと流れているんだけど、それがすごく効いてて立体的になるんだよね。

あのサウンドは演劇の演出と同時にそれが為に映画にもなっている。

後半の演劇の方がむしろ映画を見てるみたいだった。

というか、演劇部分の方がふつうにドラマがあるせいか。

 

主人公カップルの男の方、彼がぼそぼそしゃべるんだけど、それが案外に気持ちいい。あれだ、ボサノバ唱法、ジョアン・ジルベルト聞いてるみたいな。(え?)

でもなんだろうな、ああいうしゃべり自体が気持ちいいっていうのは。

よく映画で物静かだった主人公が最後に絶叫する系映画ってあって、そういうのに遭遇すると、またかよこのパターン、台無し、ってうんざりするんだけど、「親密さ」だと最後の方で詩の朗読でその彼氏がいわば絶叫的になるのだけれど、ぜんぜんいやじゃない。見ていてふつうに盛り上がる。コンダクトが効いてるんだと思う。

そしてその彼氏が最後には人柄変わってハッキリとしたしゃべりで出て来て、そのアクセントのつけ方も見ていてノッカれる。

 

前半の終わり、延々とただただ話をしながら、2人が薄暗い夜明けからもっと明るくなるまでワンカットで大きな道路沿いの歩道を歩いて行く、もうどうしちゃったの?!みたいな見事なシーンがあるのだけれど、それを見ながら、おれはたとえば主人公のその彼氏彼女だけじゃなく、画面のあちこち、橋桁の上の方や2人から離れたどこかを見ていたりして、映画って人物を見るようにはなってはいるし、そうじゃないと話がわかんなくなったりもするけど、そうして映っている登場人物以外のなにかを見ていてもいいんだよな。どこ見てても。そういうよそ見もひっくるめて映画見てるってことで。オチとかない。

 

演劇では詩の朗読なんかも何箇所か入るんだけれども、そこで放たれることばは意味を取るにはおれの頭が追いつかなくて、でも詩ってことばの響きにノッカってしまえば、もうこっちのもんで、あとはぼんやりと身を委ねてる。

 

とてもあとは書ききれない。忘れてることもたくさんあるし。

 

映画見終わったあとはしばらく熱が残ってたな。自分の中に。

なんかあったかい気持ちよさ、なんだろ、風呂入ったあとにほかほかしてるような。

4時間はだから長くはなかった。もっとずっと長くてもいいくらい。気持ちがいいんだよね。ともかく。小説で文章自体の気持ちよさってあるけど、そういうのに近い。そういう映画。

インターネット

(インタヴューズから転載シリーズ)

 

夜でも朝でもとりとめなく過ごしてることがほんと多くて、休みは少ないとはいえ通勤は30分ほどだし、拘束時間が特に長いということもないから、遅くても20時過ぎ、まー朝早い場合(7時)もあるけれど、以前勤めていた会社で7時前には家を出て22時過ぎまで仕事して帰宅すると零時まわってるみたいなケースはいまはないので、そういう意味では在宅時間は長いのだけれど、でも結局無為に過ごしている場合が多い、というか「無為に過ごしている」と後悔しながら過ごしている時間が。

それでそんな時間になにをやってるかっていえばいまならツイッターだし、前はそうじゃなくともネットしてるわけで、インターネットは時間の魔術師。

 

おれに限らない、一般にもネットに淫してる人は多かろうと思う。

さみしーんだよね。声を求めてる。

コミュニケーションを。

だからツイッターみたく、リアルタイムでバンバン更新のあるものへといつかは流れていく。

いや、さびしーっていっちゃうと違うなー、刺激が欲しい、ううん、人恋しい、それだ。

 

もちろんネットでなにを見ようとついっとで幾ら会話しようと、気の利いたこと言おうと、現実に動かなきゃなんも変わんない。映画観てても音楽聞いてても、なんかそんな気になれるってだけで、生活は1ミリも変わらない。人はそうそう動かないし、動けない。

それに日常がいやだからつまんないからそれから逃れたいってのがあるよね。だからネットに淫して現実逃避。

現実逃避ってぐらいだから現実は放っておいてるわけで、それじゃ現実の変わろうはずもない。

現実変えるのめんどくさいから、なんかそんな気になれる世界へGO!

 

でもじゃー、ネット以前に仕事か、そういう拘束される時間以外になにをしてたかっていうと、やっぱりとりとめなく過ごしてただけで、ネットのせいじゃないよね。無為は。

おのれの性格がそれだってだけで。

 

でもネットだと変化はそれでもある。ある場合には結構ある。

人と出会える、これがいちばん大きいかなー。やっぱ。

恋人もできたし、友達もできた。

 

滅多に来ない質問なのに上手いこと書いてやろうとかって構えちゃって、こうしていまごろ。

ま、ありがち。

 

音楽とか映画とかの話が昔はとにかくしたかった。

友達いなかったから、ほんとそういうのに飢えてた。

高校の時は砂を噛むような感じだったし、卒業してからは浪人中も大学に入ってからもずっと友達ができず、親友とかそんな意味じゃない、文字通りのぼっち、いまならネット用語(?)で大学で「ぼっち」みたいのあるけど、あれがそれだ、それで卒業してからもちゃんと就職もできなかったし、結局音楽や映画に関してはすごく好きだったのに、いつまで経っても話し相手ができなかった。

悶々としてた。

 

たまにポツンポツンと話す相手もいたけど、でも大したことは話せなかったし、ポツンポツンだし。

ずっとたまってたなー。言いたいことが。わだかまってたと云ってもいいぐらいに。

 

インターネット始めたのが97年かなー?

はじめは会社にあったPCで見るようになった。

でも当時はねー、ダイアルアップだし、グーグルもYouTubeもはてなもついったもなんもない頃だから。

それでたまに自分が読みたいような興味持てるような共感できるような読み物に出会うとうれしかった。まーそのへんのネット黎明期についてはあれこれ書いてる人もいるでしょう。

それで気になるHPの掲示板にぽちぽち書き込みするようになって、やがて自分でもHPを開設。98年。

そっからまー本格始動だよねー。

 

それで少しづつオフ会的に人に会ったり、自分の掲示板に書き込みもあるようになったりで。

 

あとおれに限らないと思うけど、ネットがなかったらそもそも文章書いたりしてなかったって人、大勢いると思うんだよね。

なんかもやもや表現欲求みたいのがあっても、特に小説だの書くわけじゃなし、ハガキ職人になるわけじゃなしで、自分の中にただ持ってただけで表明する手段をキッカケを特に持たなかった人が、ネットだと文章書くことんなるわけで、気がついたら結構書いてたみたいな。

向き不向き、やってみないとわかんない、機会がなければ一生埋もれてたというね。

 

おれも自分が文章かける、得意だとは気づいてなかったからなあ。書きだすまでは。

それがいざ自分でHPこさえるんで書きだしてみたらこれが結構書けちゃう。

けど「書けちゃう」ってことに気づいたのはずっとずっと後。

書いてる時はネタ書くのがたのしくて、ただ書いてるだけで、そういえばそれまで文章なんてまとまって、人に読ませるものなんて書いたことなかったってのはずっと後から気づく、と。

 

日記も少しは書いてたこともあったけど、ネット以前、でもおもしろみには欠けてたと思う(それらはもう捨てちゃった)。

やっぱ人に見せる、見られるって前提だとちょっと変わってくんじゃないかなー?文章でもなんでも。

ただ他人を意識するってのとは違って、なんてゆーか、ネタっぽくなるっていうか。なんだろーなー?

上手く言えない。

 

ネットなかったら、でもおもしろい文章書いたり企画立てたりしてなかった、音楽や映画の話を特にする相手もなかった、たまにいてもそれほど突っ込んだ話をする相手もいなかった、気の利いた言い回しでことば遊び的にものを言う相手もいなかったし、そういう相手と知り合う、つきあうなんて発想自体なかったって人はいっぱいいるよねー。きっと。

けどまあこういうのってネットには限らない。

文明が発達するのに連れて出会いや才能が発掘されるのって。

TVなかりせば、ラジオなかりせばって人だっているだろうし、ギターが流行ったからミュージシャンになった人もいるだろうし、明治になって小説ってのが出来(しゅったい)、それがキッカケで物書きになった人もいるだろうし。

ただネットの場合はあれだよね、それ以前と違うのは、文章に才があったとしてもプロになる確率が低い、あるいはプロにならなくてもおもしろいものを書いてける、人前に出せるってトコなんだろーなー。

だから昔は(いまでもそうだろうけど)、ギョーカイに入れるようなコネや図々しさ偶然があるってだけで大して面白くもない、というか積極的につまんないような人でもデヴューできたり、仕事んなったりね。

才能あるけど、そのへんがだめだとまーだめってのは、まーそういうもんだよね。

それはしょーがない。

でもっていまは殊更にプロになる必要はなくなって。

でも同時にプロっていっても単にギョーカイに入った入れただけの人にしか過ぎなくて、才能のあるなしはまた別の話だってのもある意味ハッキリはしてきてるかも。

でもこうなってくるとエッセイとかコラム的なものを書いて生計を立ててくのはいまはむずかしいんだろうなあとも思う。

素人でいくらでもおもしろい人がいるから。

いまだとたとえば中野翠はデヴューできないよね。

彼女がもしブログとか書いててもそれほどの注視は集めないだろうし、多少人気が出たとして、じゃーエッセイストとかで食ってけるかっていうと、いまはねー。

中野翠はその凡庸さがなによりよかったんだと思う。そこがいちばん受けてた要因。ハードルが低いっていうか)

 

それでネットしたらこれはもう音楽でも映画でも小説でも話す相手、話の通じる相手はいっぱいいて、そういうのに段々馴れてくに従って、いつの間にか「誰かと音楽や映画の話がしたい(できないから)」って欲求がすっかり解消されちゃった。あたりまえんなったっていうかね。

あと自分でも書くから表現欲求も。

だからそのせいなのかなんなのか、つか、おれの性格ってだけだろうけど、文化系の彼女とつきあいたい、文化系カップルんなりたいみたいな気持ちがおれにはないなーとわかるようんなった。

 

で、以上は今朝書いたんだけど、いまはもう22時過ぎててしかも金麦飲んじゃったょ。

もっとちゃんとつづき書くつもりがもぉ、ねー(^^ゞ

だるくなっちった(・∀・)

 

後で直すかも知れん。

とりあえず出しちゃう。早漏気味に。

・・・それ以前に最近はED気味だけど(T_T)

 

以上、まとめるとだね。

1.モテる

2.自己表現欲求が満たされる。満たされてMANZOKUしちゃう。

3.モテる

4.文化系おしゃべりができる。いまだとついったで日々ペチャクチャ

5.モテる

6.友達ができる

7.モテる

8.自分に文章能力あるのを発見できる

9.モテる

10.いい仕事に就けたりはしない(リアリズム)

11.モテる

12.痩せられる!(これはウソ)

13.モテる

 

以上だ!

学生時代

(インタヴューズから転載シリーズ)

 

当時「変しい変しい」と字を間違えたニセラヴレターをもらったりしてたなー。なつかしい。

http://www.youtube.com/watch?v=wRErPwpi1qs

 

・・・などとネタ書きしたのはヤマヤマだけれど、上記のようにどうせパッとしないんならふつーに正直に書きゃいーじゃないのさなんて思うけど、それはそれでできれば山盛りにいろんなことも書きたくもあるし、そうすっと構えちゃって書けなくなるんで、できるだけいい加減な気持ちで臨んでゆきたい。

 

そーいえば最近ほんと「もっかい」って表記を見かけるけど、みんなおれのマネしてんじゃね?そー思うの。ほんとだよ?狂ってるのはおまえらの方だ!

 

学校学校。

学校っていえば小学校3年の途中まで、おれはリア充だったょ。

小学校入学前から小3までは保谷に住んでてそんときがおれのともだちのいっぱいいたピーク。あとはダダ下がり。

保谷から川越へ移ってからまわりに同い年の子はいなくなり、そして新しい土地での人見知りなんかもあって友達づくりが難しくなっちゃったんだょな。

 

でも小3から中3までの6年間でなんとか馴染み、学校の雰囲気もよかったことから特に中3のときはたのしかった。

でも5月だったっけ?ちょうど修学旅行の時に盲腸になって入院。それが返す返すも残念なことで。

いい雰囲気でたのしかったから修学旅行もぜったいたのしいはずだったんだよなー。

惜しいことした。ほんとうに。

たぶん20代後半、京都へ旅行(中身はしょぼい)したのも新幹線に乗りたかったのと、修学旅行で行き損なったのが引っ掛かってたせいだと思う。

 

これが高校になるとひといきにつまらない生活んなっちゃったから。

中3が終わってまた引越したんだよねー。いまんとこに。この実家のあるここへと。

それでまたせっかくできた人間関係がゼロ。

イチからやり直しだったけど、なんせもう高校とかなると、なんかねー。

そっからはほんとリア充とは程遠い世界へ突入。

それで浪人して(宅浪)、二浪目になぜか笹塚へと浪人生のまま一人暮らしをすることになりノイローゼ地獄へ。

でもそんなんでも大学合格ったんだから大したもんだよ。

そんででも大学4年間でもノイローゼは引きずり続けて、ちょぼちょぼ話す相手は時たまはいたけど友達というところまでの、まして用もないのに会ったり遊びに行ったりなんてのとは縁遠い、ぼっちな大学生活。

卒論が必須じゃなかったおかげでなんとか卒業は出来たけど、就活とかはできなくて。

 

学生時代のことはもっと細かくも書きたいけどキリもないし、あれなので省略。

 

小学校低学年の保谷時代がおれには黄金期で、あと中学時代も結構よかった。

そんなとこかな。

あと運動ができなかったのでそれがやっぱ高校卒業までは辛かったなー。

やっぱ運動のできるできないは圧倒的だからねー。そこまでは。

(ここらへんの運動のできるできないカンケーでもできればもっと具体的に細々書きたいけどいまはだるいので省略)

 

中学時代は卓球部で、それでもちろんいちばんヘタクソで。

高校時代は恥ずかしいけど文芸部へと入り、ナンセンスなショートショートを3編くらい書いて、後は帰宅部。

いま思うと高校時代、演劇部入ればよかったなーって。

演劇部、おれの高校は結構気合入っててなんかちゃんとしてたんだよね。

だから入ればそれなりに充実できた気がする。

仲間も得られたかも、みたいな?

いま思えばもっと自分から馴染むようにすればよかったんだけど、当時はわかんなかったからねー。

まーふだんのなんてことない普通の友だちがデフォルトでいて、それから、だと思うんだよね。そういう風に違う環境へと馴染んでいけるのって。

それがないとハードルが無限に高くなっちゃう。

バックボーンていうかねー。デフォルトの友達がいることが。

 

勉強はでもパッとしなかった。小学生時代。「3」ばかり、みたいな。伸び悩みっていうか。もちろん勉強なんかしなかったけど。

だから「4」とか「5」とかパンパン取ってる子がうらやましかった、っていうか、どうすればそうなるのかがナゾだった。ずっと。

勉強すりゃよかったわけだけど、でもその「勉強」ってのがいったいどうやってやるもんやら。

 

それが中学に入りしばらくするとクラスでも上位、2番3番てことんなって来た。なぜかいきなり。

たぶん中学とかだとテストってのが決まった時期にあって、そこを頑張れば成績がよくなるわけで、それでじゃないかと思う。

小学校まではテストって不定期っていうかさ。

自分がだから勉強ができる方だという認識がなかったんだよな。小学校の頃は。だから。

それが今度は成績上位の方へと転換。それも意図してじゃなくて。なんか気が付いたら。

ちなみに我が家は親が勉強しろだとかいうような家庭じゃあなかったからね。その点はほっぽらかし。

 

中学んときだから小学校からいっしょだったやつがおれが成績いいんで、あれ?そんなキャラだったっけ?みたいな反応したことがあったりした。彼のほうが勉強できたしね。小学校んときは。

 

あと中学だと卓球部の他に中2の時のクラス担任が人形劇部を作ったんで、おれもなんか入ったなー。

それで具体的になにをしたかは憶えてない。

憶えてるのはお茶の水女子大へ行ったこと。なんで行ったんだろ?学園祭かなんかで行った気がするけど、でも人形劇の披露とかした記憶はないし、逆に観に行ったのかなあ?たぶん。考えられるとしたら。

 

それでその人形劇部には小5からなぜかクラスがいつもいっしょだった女の子も入り、彼女がすげーかわいかったんだよね。でも口を聞いた記憶がない。たぶんしゃべったことはない。必要以外は。

大体その子がどこの高校へ行ったとかまったく憶えてもいないし、女子はやっぱ当時苦手だったんだなー。

その子のことが好きだったかっていうとたぶんそうで、けどでもおれは小学校の頃からその子をもっぱらオナネタにしてて(その子以外ももちろん)、恋とかそういうのがわかんなかった。

そのへんの性欲と恋愛感情の区別というか、どちらも合わせてひとつみたいのがずっとわかんなくて、おれは友達がその後できないのも大きく作用した結果、人付き合いが観念的んなって、「恋する」とか「つきあう」ってのがよくわかんなかったんだよな。

「恋してる」ってのを過大評価(?)してしまい、絶対的好きな気持ちがないとイケナイ、みたいに思い込んでた。

「かわいいな」って思えばもうそっから恋だってのが、つきあってくうちに思いが募ってゆくとか、勢いでセックスしてそっから始まる恋もあるとか、そういうのがわかってなかった。

だから恋愛ってのをひどくピュアに捉える一方、性欲には支配されていやらしいことで頭がいっぱいで、そのへんの乖離を自分でわかってなかった。

まったく別々に扱っちゃってたっていうかね。

おれはいわゆる非モテの意識ってのはないし、恋愛やセックスをしてその上で悩むタイプの人間だと思うけど、けどそんなこともあったんで非モテ的な意識のあり方ってのは実感としてわからんでもない。

ひたすらな性欲とピュアな恋愛への憧憬・思い込みの二律背反というか。

そこらへんをテキトーに混ぜられるようんなればいいんだけど、自縄自縛、自分カルトっていうかねー。

 

わかりやすくいうとサドの小説が好きだのに、現実の場面では食事に誘われても断っちゃったりするみたいな。「ちゃんと好き」んなってから初めて「つきあう」になるって思い込みに囚われてて、それでいて背徳的な性のあり方は文学などでは大いに親しんでいるというね。

案外気がつかないんだよねー。本人は。当事者だからこそ見えないもんってある。

 

とりとめないのでとりあえず以上。

 

 

漫才ブーム

(インタヴューズから転載シリーズ)

 

ビートたけしのファンになったのはオールナイトニッポンにはもちろん違いなくて、けどそれだって1回目は気にして聴いたし、それ以降も聴いてはいたけど、「必ず」じゃなかった。

毎週木曜日深夜に「ビートたけしオールナイトニッポン」を「必ず」聞くようになったのは3ヶ月、4ヶ月経ってからじゃないかと思う。もちろん録音もするようになったし、録音したテープは何回も聞いてた。

 

で、漫才ブームんときはとにかくどれもこれもおもしろい!って思ってたと思う。

ツービートは特に好みのネタ展開で好きだったけど、他のもぜんぜんよかった。

みんなみんな勢いがあって、なんかもう見てるだけでたのしくてしょーがないっていうか。

でも笑いって(「お笑い」って言い方に懐疑的な小林信彦のものを読んでから「お」抜きをつい、意識してしまう)、ほんとそんときだけで、後からだと伝わらないのが困る。

いまならそれなりに特に漫才ブームあたりならば充分にビデオも残ってるし、YouTubeでも見れたりはするけどリアルタイムの「空気」は当時を知ってる人間にはあっても、そーじゃないと純粋にネタの出来不出来みたいな部分で見ちゃうのだろうし。

だからいまだと例えばB&Bのおもしろさはわかんないのかもなーとかとも思う。

おれが見ちゃうと当時の空気が蘇るので、また見方が別になってしまうし。

 

そう、ほんと、当時お子様向けみたくゆわれてたB&Bにしたって、すっげーよかったんだよ。

のりお・よしおだってそう。

ノッテるときののりおのおもしろさったらちょっとなかった。

「ツクツクボーシ!」っていってるだけでどんなにおかしかったことか。

あれはちょっと伝えようがないもんなあ。

いや、当時だってのりお・よしおは評価は低い方だった気がする。

けどおもしろかったんだぜー。

ノッテるってほんとすごい。

空気なんだよねー。笑いって。ほんと。

 

いつだったか小林信彦綾瀬はるか堀北真希の追っかけ。「ICHI」や「鉄板少女アカネ」まで見てる。「たけしの映画は忙しくて見てるヒマがない」らしいのに)(なぜ小林信彦ビートたけしの話をしなくなったかについては以前もついったやらなにやらに書いたけど、はてなには書いたっけ?ついったとかだと流れちゃうし、まーともかく)

ええとええとええと。

小林信彦だ。

小林信彦コント55号について書いてる時に彼らが出てくるだけで会場がどよめいて、そのリアルタイムの空気ばかりは伝えようがないみたいなこと書いてて(正確にはもちろん忘れてる)、ほんとまったくそーだよねー。(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。) ウンウン みたいなことがあって。

(空気、リアルタイムのなにやってもおもしろかった!っていうといつも思い出すのがとんねるず。オールナイトフジのときのとんねるずの爆発的なおもしろさは、ほんとすごかったなー。ほんとなにやってもいちいちもう熱くておもしろいの。べつになんか一言いうだけ、なんか一個やるだけで。あれはなー。(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。) ウンウン )

 

紳助竜介だって、もうおもしろかったんだから!

で、紳竜ってゆーと当時ビートたけしが(ほんとは「たけしさん」て云いたいが、文章としてわずらわしいので省略)「そういう不良なんかもいいけど、ふつうの子を表現するのも大事なんじゃないか」みたいなことゆってたのを思い出すんだよねー。

 

ザ・ぼんちだけはでもあんまりおもしろくなかったなー。

 

あと漫才ブームんとき、B&Bその他の若手のそれまでになかった連中ん中でもうちょっと先輩の人たちも出てたりはしてて、そういう人たちはおもしろいんだけど、THEマンザイみたいな場に出てくるとちょっと違うんだよなーって感じがあった。

ニュー・ウェーブだったんだよね。ほんとに。当時の若手は。

オールドが別にわるいわけじゃない。ただほんと新しかった。

 

マンザイ・ブームの人たちがそれまでと違ったのはまずは服装だろうなぁ。

紳助竜介だとつなぎ着てたり、B&Bはロゴ入りTシャツ、ツービートもセーターみたいの着てたりね。

スーツじゃなかった。

 

それに笑いの人たちの地位向上がマンザイ・ブーム以降、ほんと大きかった。

いまじゃ売れてる女優さんでもなんでも笑いの人とつきあったり、結婚したりなんて、もうあたりまえだもんね。

 

あとそうか、おれが小学校から中学くらいまではまだ落語をTVやラジオでも日常的にやってたんだ。

だからマンザイは文字通り「色物」としての格下扱いがどこかまだあったし。

あとコントとか漫才コンビって映画に出てくると必ずおまわりさん役ってお約束もあったなー。

ツービートだってそうだったんだからねー。

あの世界的映画監督の北野武が映画の端役、それも相棒といっしょに添え物のおまわりさんとかその手のやってたわけだから、ほんとフシギだ。

 

ツービートはやっぱいちばんかも知れないけど、それはオールナイト以降のビートたけしのイメージがおれんなかで被っちゃってるかも知れない。

でもでも、あれだ、すごくよく憶えてる、印象的だったのはなんかの番組の司会をツービートでやってて、そんときに藤田弓子が出ててビートたけしがなにかの拍子に「藤田さんのパンツ、ぐっしょり」ってゆってて、TVで女性が濡れるみたいのゆっていーんだ?!って、あれは下ネタ好き(特に性的なそれ)が好きだったおれにはうれしいおどろきだったなー。

 

あとツービートっていうと南美希子アナといっしょにやってた日曜午前のクイズ番組、あれがよかったよねー。

当時、ビートたけしに突っ込める女子アナなんておおよそいなくて、唯一南美希子だけはちゃんとツッコメてて、感心したものじゃった。

 

なので案外評価されないのりお・よしお、特にのりおに1票を投じたいと思います。

ツクツクボーシ!

Miss Amanda Jones

http://www.youtube.com/watch?v=S8jE0RFDYMY

今日はTVで「SPEC」7話8話やってたんで初めて見た。前からずっと気になってたけど見たのは初めて。しかも7話からか。はじめっからちゃんと見たい。戸田恵梨香とつきあいたい。

起きたのは7:40。その前に目は覚めたりしてるけど、また寝るようにしていよいよ起き上がったのがその時間。疲れてる。

朝は仕度済むと洗濯物干してすぐに家を出て地元のシネコンへ。この前1000円券というのをもらったのでそれを使用しに。観たのは「アナザー」

映画終わってこの前セブンイレブンで貰った100円割引券でガソリンスタンドへ行ったが、その割引券、最初にバーコードを読ませないとダメで、そこまでちゃんと説明書きを読んでなかったんで結局ふつうに給油したきりだった。いつもは行かないガソリンスタンド。

そのまま自宅方面へ引き返し途中にあるモスバーガーへ。ここでもまたこの前ゲットしたチケット、モスバーガーとかが1個タダんなるってやつ、それを使用。野菜バーガーをチケットで獲得、それと後、オニポテセット350円で。<br>したらコーラなんか頼んだら、最近滅多に飲まない、けどゆうべ少しだけ冒頭の方を観た「ヤング≒アダルト」でコーラがぶ飲みしてんのを見て刺激され、でもってペプシネックスってやつでそれが、クスリ臭くてまずかった><

雨降ってた。もうその頃は。

で、一旦、家へ帰る。それで上記の「SPEC」とか見てたんだ。

「SPEC」7話だけ見てまた外出。今度は地元のでかいショッピングモール。なんだか無性にKFCのレッドホットチキンが喰いかったのだ。CM見てなんか最近そんな気んなってた。昼食ってまた食ってで、ふだんはそんな食う方じゃない。でも今日は。<br>チキン食うと和真でメガネをクリーニング。そして靴でも買おうとABCマートで気に入ったVANSのネイヴィーのデッキシューズ、8千幾ら、したら、おれのサイズのが置いてなかった(:_;) 予定、ズレる>< <br>それで家、帰ったんだっけなー?帰宅して「SPEC」8話見たりフロ(ってよりかシャワー)入ったりして夕食。さっきKFC食ったばかりなのに、今日はなんかおれにしちゃよく食う。けど食べてる途中でおなかがパンパンになってきたのだった。

だるい。頭が冴えない。まーそういうときはなんか決めて動けばいいんだけど、「とりかかれない」ってやつだ。ああ。ムダに時間が過ぎていく感覚に苛(さいな)まれ続ける悪夢を生きていく。

日記も書こうと思った、書きたかった、でもいくつか書く場所はあるわけで、どこにしようかと思い、今日はなんだかここで。ここは静かな場所だ。誰も見てない、に等しい。

録画で米倉涼子がブロードウェイで舞台やるやつや、ボクらの時代:有森裕子×増田明美×野口みずきなんか見て、スポーツにはあまりにも関心がなさすぎて、現在ロンドンオリンピックで盛り上がっているというのについていけず、さみしい限りだが、こうして鼎談なんかしてるの見るとそれなりに興味も惹かれ、感動もするのだから、なんとかしたいが、身近にキッカケでもないとこれが中々。ひとり部屋にいてもオリンピックにはチャンネルを合わせない。<br>しかし有森裕子とか名前くらいか知らないが、話聞いてると、なんかいろいろと大したもんだったりするのねー、へー、とか感心してる。

今日は疲れていたのでおうちモードにしたが、そうはしても中途半端に出かけちゃうし、家の中でやるべき用事にはやはり手がつけられない。

洗濯物は結局午前中から干しっぱなしで、その後雨だったりもしたが午後2時か3時か、そんくらいから晴れるのに任せ、夕方5時半過ぎに取り入れた。まー、乾いてた。大したもんはどのみちないし、タオルとかTシャツとか。

あと、洗車した。ずっとしばらくクルマが汚い、特に窓ガラス、が気になり続けていて、行こう行こうと思いつつも、ガソリンスタンドのオートメーションのあれでやるだけだが、終わった後に雑巾で濡れを拭き取るのがメンドイ、その一点が気になってしまい延び延びに。けど、午後再び出かけようとした折、幸いそのときには雨はあがってたし、どうしても洗車したくてたまんなくなり、ガソリンスタンドへ。ほ。よかった ε-(´∀`*)

簡単なことがこうしてできない。毎日所沢へ、そこへ住んでいたときへ帰ることばかり考えている。過去に戻りたくて、戻ってやり直したくてしょうがない。いつでも毎日。後ろ向きは性格。

あとは近所で「めしばな刑事タチバナ」の新刊を求めようとしたら、旧刊は全部揃っているのに最新刊だけ置いてなく買えなかった。

ブックオフにも行った。特になにも買わなかった。

ほんとは疲れてるからなにも気にせずただだらだらしていたいが、仕事のことは常に頭から離れず、自分の用事も満足にこなせず、出かけたくてしょうがなく、先月までは甥っ子たち3人が滞在してたから、どこか日々に満足感というか手応えがあったが、彼ら帰ってからはまたひとりの日々で、もひとつつまらん。遊びたい、けどひとりじゃいやだ。あと、いまの職場はあまりに休みがなく夏休みさえないので、なおさらもどかしい。旅行もしたいし、なにより人に会いたい。

で、夜、晩酌にキリン濃い味糖質ゼロを飲んじまったんで歩いてコンビニへ行き、今日のモスバーガーペプシネックスの口直しで、マジモンのコカ・コーラを買い飲みした。

雪の華


민효린 (Min hyo rin) - 눈의꽃 (Snow flower) (070601, Live)

落ち着かないなー。なにしていいかわからない><

 

こういうときって映画見たりとかも集中する気力に欠けててだめだし、困る。

というか、こういう場合、人恋しいというのがいちばんの正解だよな。

けどまあそいつばかりはどーしょーもない。

自分ひとりでできることじゃないからねー。

 

いつもそれでぐるぐるまわりだなー。