レトリック

コミュニケーションを論じている筈なのにちっともこちらに届かない、けして出会えない、まるで♪落葉の舞い散る停車場で、寒空(さむぞら)の下、ひとりアテもなくただ待ち続け、結局は待ちぼうけのままみたいな、ひとつもコミュニケートしやしない文章ってのは根本的に間違ってやしないか。文章の要諦は「ちょっと気取って書け」(丸谷才一)であって、一見その筋のタームを濫用し、用のない人には「気取って」書いてあるかの印象を与えるようなものも、その実、なんのことはない単に紋切り型で平板、まるで授業中に教師に指されて誰かが教科書読んでるかの様、つまりは誰も聞いちゃいない、気取り、カッコつけが全く持って不足しているんじゃしょうがないだろうじゃないさ。「気取る」ってことは耳目を惹きつけるもんでなきゃ、一体なんのことなのやら。ちょいと文章にスカーフでも巻きつけて目立ってみちゃどんなか。おれは別に「正しい」もんなんかには用はない。ただ「あなた」に出会いたいだけだ。小さな数字や言い回し、あるいは偏見、そんなもんの正誤についてなんざ下々にまかしときゃいい。時に間違えたり、気が利いてたり、正しかったり、失敗したり、その度合いは問わない、「あなた」はどこにいるんだ。おれはさみしいよ、ここに来ておれをハグして、@~} chu !とやってはくれないものか。