國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

シンデレラ・ストーリー

よく映画の感想などで「ストーリーがありきたり」とか言って腐す場合があるが、おれはありきたりなストーリーが観たいゾ。
ありきたりなストーリーだからこそ、お約束に満たされ、待ってましたとばかりに話が展開するから感動するんじゃないか。
カート・ヴォネガットだって、どこか忘れたが、「スローターハウス5」だったっけ?、
人間が感動するおはなしのパターンはほぼ決まっている、そんなもんだし、それでいいのだ、みたようなこと、確か書いてたし、
ゴダールの「すべてのストーリーは既に語られている」(引用いい加減)とかいうお決まりの
有名な言い回しだってあるし(「銃と女と車があれば映画は撮れる」みたいな?)、
大体そんもんじゃあないか。
人助けするのにだってほんとは理屈なんか要らない。
「かわいそうじゃねえか」、それだけで充分てもんだ。
なんだかとにかく高尚で、その分「純粋な存在」でなきゃいけない、って思い込みは弊害ばかりだ。純粋主義。
人の悩みや苦しみなんて実に実に心の浅い浅い部分で起こってるだけだ。
腹が減ればイライラするし、満たされれば幸福。その程度。
そしてその浅さこそがキーなんだ。人が救われる契機は正にその浅さにこそある。
簡単なことだ。泣くのに肩を貸してやればいいし、話を聞いてあげればいいだけだ。
そして問題は形而上学的な、高尚な、純粋で立派な人間であることやなんやかんやなんかじゃなくて、
そばにいって話を聞いてあげることも、聞いてもらうことも、ごはんをいっしょに食べることも、
そんな単純でなんてことない「浅い」ことが実際にはひどく困難でやれやしない、ってことだ。
この世界は子供ひとり救えない。飢えた子供にごはんを上げる程度のことさえできゃしない。