國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

メディア

映画は映画館でとか云う言い方があるが、その官僚主義的な(この言葉、一度は使ってみたかった。)
態度への反撥というのが今までずっとおれにはあったが、そうじゃなく、もっとアカデミックに
(いや、単に思いついた順に)ある芸術におけるその受容形態について考えてみたく思った。
映画ならばTVで観るのと、ビデオで観るのと、映画館で観るのと、学校の上映会で観るのと、その他その他、
各々についてごく具体的に、実際にそれを観る人間そのものにとってどう作用するか、受容されるのかってことを。
音楽だって、カセットだったり、エアチェック(ラジオから録音すること)したテープ聞いたり、レコードにCD、
買ったり、レンタルしたり、ともだちに借りたり、再生装置だってウォークマンからしょぼいステレオ、
カーステ、ヘッドホンで聞くか、スピーカーかとか、あとは喫茶店のBGM、デパートの便所で聞いたり、
しかもそういう場合は自分の好みじゃないものを聞くこともある、
とにもかくにもごく具体的な事象に沿って考えてみたい。
みたいだけ。実行は気が向き次第。マンガだって、職場で読む「ジャンプ」とかあるしさ。
絵画だって美術館で見るよりレプリカ、コピー、印刷されたものの方が実際にはすごく馴染み深くて、
それでイメージを相当に形成されている。しかも、アートなんか関心のカケラもないような人も
いつの間にか親しんでいるということ。
「ピカソの絵はわけわからん」という決まり文句込みで、多くの人がいつの間にかピカソに親しみ、
実際には理解、受容、馴染みもしているということ。
あ。メディアというより、その先、受取る人間の方かな。メインは。体験としての芸術。