好かれ顔メイク

なにかしらのリベラルな考え方ってのは、平均的で健康な経済的にも良好な市民てのを基準に、
というかほぼそれだけを念頭に置いているように思える。
ピーコが云ってたが、片目を失ったばかりの頃にそのままでTVに出ていたらプロデューサーとか
ディレクターとかその辺の人に「ちょっと困る」みたいな事を言われたらしい。
(そうして義眼を着け、その後はご存知の通り。)
「TVには健康な人しか出られないのよ」とかなんとか、そういったニュアンスのことをその時言っていた。
例えば年金といったって、今現在、月に1〜2万円程度から夫婦合わせてせいぜい5万円程度で
やりくりしている、せざるを得ない人たちというのは実際にそれなりの数、いる。
大体、年金という制度を知らない、気づかないうちに、年をとってしまった人たち、
国民年金しかなく、厚生年金には縁がなく過ごして来てしまった、そういう階層、
職業で生きてきた人というのは当然にいる。そしたら良くて月5万円とかだ。
家賃も払えない。
今の若い人間が意識的に年金の不払いを実行しているのとは違い、戦後になってからの制度であって、
知らぬ間にそんな制度が出来ていて、乗り損ねてしまった人たち。
いや、今だって単に無知で年金を払ってない人も多いだろう。
若い時には自分や自分の親が年老いてしまうことなど考えないものだ。
なにがフリーターがどうしただ。今だって充分に困ってる年寄りはいくらでもいるぞ。
(半端に年金を貰っていると福祉の対象からも外れてしまう。生活できるような金額じゃないのに。)
下層階級はいつだって存在する。あたりまえだ。
職業選択の自由なんて、産業革命以後、更に云えば第二次大戦後じゃないか。そもそもが。
人類はずっとずっと身分制だった。そして今もそうで、もちろんこれからもずっとそうだ。
そこらへんの埼玉や群馬の街道沿いのファミレスにいるような人たちに対して
ことばを持っているかどうかはいつだって気にすべきだ。
もちろんことばは通じない。
しかしそれ以前に世の中を構成している人間のことはすべて考えに入れなきゃ、なんにも考えてないのといっしょだ。
そのファミレスにいる人が困っていたらなんて声を掛けるんだろう?
相手を問わずコミュニケーションはいずれしなければならない。それが倫理ってやつだ。
優等生は優等生のことしかわからない。考えない。人間は自分と似た人間のことしか考えられない。