國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

ベストヒットUSA

先週分録画したのをまた見る。
Amiel(アミエル)ってゆうオーストラリアのキレイなおねーちゃんの"Lovesong"って曲がよかった。
最近だとマルーン5の"Harder to Breathe"、"This Love"やiPodのCMに使われてたJETの
"Are you gonna be my girl"なんかカッコイイとは思うけど、
でもこんなの30年前、ヘタすりゃ40年前にもあったよなあと思ってしまうと、
一体どうしたもんだろうとつい疑問になってしまう。
「ロック」となると、どうしたって構えちまうな。
余計な一言を挟みたくなる。第一幾らなんでも十年一日に過ぎるだろう。余りにもフォーマット通り。
(単にサウンドってだけじゃなく、ルックスもバンド編成も服装もなにもかも含めて)
60年代なんて半年、一年経つたびに、シングル出す度に、アルバム一枚ごとに、ぜんぜん違ってたんだゼ。
ビートルズを思い浮かべると非常にわかりやすい。「抱きしめたい」の2年後に
「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」だ。)
ロックってのはなんかそんなもんだったじゃねえか。フォーマットに則った上での
イイモノってのも有り得るだろうが、でも「ロック」ってその時限りの新鮮果実、
だから「死んだ」りしたんじゃなかったか。(大体おれは「パンク」が音楽の一ジャンルに
なったこと自体が全くに不思議だったが、それはまた別の話)
もうひとつ上手く言えないが、この21世紀にふつうにロックバンドとそのサウンドで
あるってのがどうにも納得し難いには違いない。
「ロック」というものの倫理上、ってよりは性質上、
なんかそれって合わなくない?ってゆーか。
今更「ロック」だなんておなかいっぱい、ってゆーか。
ああなんか上手く言えない。もうひとつキモになる言い回しが出て来ない。ううん。
ビートルズの出現が画期的だったこと、そうしてロックンロールから「ンロール」が
取れて「ロック」になり(♪To be a Rock and not to Roll)
そこから始まった事、たぶんそこいらがミソ。
「ロック」であることにもう既にマジックはないのに、それをやってしまえること。
昔だったらロックバンドやってる、ギター鳴らして歌ってる、もうそれだけで充分だった。
「自己表現」する絶対的な必然性があった。その場合「ロック」じゃなきゃダメだった。
フォーマットとしても絶対だった。「ロック」しかなかった。

けど「ロック」そのものの魔法が切れている時に、敢えてそれをやる困難が今はある筈じゃないのか。
「ロックじゃなければなんでもいい」ってワイヤーの人が言ったのはもう四半世紀も昔の話だ。
いやべつに「自己表現」ったって、単に「モテたい」とか「目立ちたい」とか「売れたい」
とかなんかそんなんでもいいんだ。けどその程度の欲にだって今時「ロック」なんて
見合ってないんじゃないか?フォーマットとして擦り切れまくってやしないか、って。