國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

七人の侍

上記の「冬のソナタ」の感想もそうだが、味気ないことしか書けない。
今日も「七人の侍」を観たんだが、思うところあっても、けど結果味気ないことしか書けないので中止。
けどとりあえず「観た」ってことだけは、「味気ないことしか書けない」ってことだけは表明してみたかった。
自意識の表明がキモだからな。どのみち、こんなもん。
でもそれもヒットする場合とヒットしない場合がある。まずは自分にとって。
小賢しくてウンザリする場合も多い。自分で書いてて。
あ、いや、喋ってる分にはいいんだ、些細なことへ突っ込んだり、否定的な言辞を並べても。
実際喋るとそんなことはよく言っている。
でも文章にしてしまうと、自意識やマイナスな言葉がいちいち煩くなってしまう。
隙間ついた見方とかな。
なにより自分でヤなんだよな。そういうのって。読んでて。われながら。
気が利かない、っつうかさ。小賢しいのが鬱陶しい。
できれば肯定的な方、あるいはネタへと話を振りたい。毎度の課題。
で見る前に跳べってのもあるので、こうして書いた途端にエンターキー押して放り出してしまうこともよくある。
ま、要はそういう場合、判断をつけるのがもう面倒くさくなっちまうんだけどな。
もうなんでもいいや、半端なモンならそれまた結構。どうせ編集者とかいるわけのもんでもないし、
文章の推敲にばかり気を取られてるわけにも参らぬ。だって生活してるんだもん。
そんなわけで書きっぱなしの放りっ放し。たまに。
脈絡も前後も関係なく、テニヲハがどうしようが知ったこっちゃないのだ。
だって面倒なんだもん。なんのことはない。
・・・・と、こうした自意識の羅列は鬱陶しいが、たまには書く。
書いてもよろしい、と許可を出す。出したまえ。実印は要らない、領収書だけ切ってくれ。
しかしさらに、いざ書いたものはこうして上げてしまうと愛着が湧く。上げる前の逡巡はいずこへ?