國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

区別

カリブ・愛のシンフォニー」をちょっと観たら脚本がヒドくて「泥棒猫みたいなマネして!」「この恩知らず!」
なんてセリフが微笑ましく、ちゃんと観るにはぬるくて退屈しちゃうけど、だらだら観るには
松田聖子のヘアスタイル、メイク、セリフまわし、神田正輝、等々、見所もあり、
いい具合に80年代懐古が出来る仕組みだが、それはそうと「カリブ〜」の前に先週分の
世界の中心で、愛をさけぶ」をようやく観たのだが、これはツッコミどころさえない、単なる無感動、
エピソードの羅列にしか過ぎず、ただ思うのは「火消し屋小町」には感動して、楽しく見れるのに「世界の〜」だと
なぜそうじゃないのかハッキリとはその差を言い当てることが出来ないということだ。

「おもしろい」と「おもしろくない」の区別がわからない。どうしておれはあるものを「おもしろい」と思い、
別のものを「おもしろくない」と判断するのか、その辺の脳みその反応を促す要素が実際にはなんなのか、
説明できないと感ずるのである。昨今。いや、もっと前から。
音楽聞いて「こいつぁグルーヴィーだぜぇ。ファンクってるじゃんかよぉ。」と思うのと
「ファンクな筈なのに全然腰に来ないのはなぜ?」と思う場合、
一体その区別はどこでつけてるのか自分でもわからない。
そこいらの判別の基準、要素、を明確に説明してしまいたいんだよなあ。
そいつが出来たなら、おれの男前も上がろうってもんなんだがな。床屋行きたて並みに。
要するにさ、男の勲章が欲しいんだよ。おれもよぉ。
※ 例えばさ、オーソドックスの塊の「殺人の追憶」がなぜああも観ててたまらないのか、説明してみたいんだよ。おれは。
それにもうひとつ、なんか思いついて、いや、思いつかなくても人恋しい毎日、なんかここにはともかくも
書いてみたいとは思ってるんだけど、ちょいとしたアイディアを得た場合、果たしてそいつが書いておもしろいんだか、
おもしろくないんだか、判然としない場合が度々あるんだよな。
つうか、そういう時はピンと来てないって時点で自分じゃおもしろくないって
判断をつけてるってことになるわけとはいえ、とりあえず思いついたことはあるし、
文章にもなるけど、だからそれがなに?とも思うし、
けどそれなりに見所もあるのやも知れず、一方、ありきたりの気味も強いんじゃないか、平板かも知れぬとの思いもあり、
そうじゃなく、いいアイディア思いついた、おもしろいもん書ける、書けた、
ってハッキリと感じる場合もあって、そういう時はなんにせよノッているので良し悪しの判断でさえ冴えてるようなもんで、
けどそういうノリがない時には一体なにがいいのやらわるいのやら、よくわかんなくなっちゃう。
それにそもそもこの場合、記事として「おもしろい」のと「おもしろくない」のとって一体どこが違うのかしら?
どこがどうなってる場合に果たしておもしろいんだろう。よくわからん。ぜんぜんわからん。