國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

ヴィレッジ 再び(ネタバレしまくり)

《 このオチを、観客に教えるのが、非白人であるM・ナイト・シャマラン自身であるってことが、俺には面白かった。 》
(2004/09/16)〔id:nishiogikucho
あああ!納得。ねむかったりで頭がまわらず、映画にピンと来なかったりであまり考える気にも
もうひとつならず、それが上記の、なんで白人しか出て来ないかの談を読んでスッキリ。
そうかそうか。そう考えればよいのか。はあホッとした。大体おれは最後にカネとステータスの
ある白人ばかりが寄り集まって、僕たち傷ついちゃって云々、ってのがなんとも受け容れ難く、
なに言ってやがんでえ、と感じていたりもしたので、それで余計に感動しづらかったりも
したんだとこれ読んで今更に理解出来たが、というか、彼らを「傷つけた」連中ってのは要するに
「黒人なんじゃないの?黒人=犯罪者ってことなんじゃないの?」とかも映画観ながらつい
思ってしまっていて、シャマランの意図がそこまであるのかどうかはもうひとつわからないけれども、
映画にそもそも始めからあまりノレなかったのもあって、オチには尚更に違和感があったんだよなあ。
そこらへんがおれが「取って付けたような」と感じた要因の大きな部分だったのかも知れん。
でもまた考えると、19世紀のああいった小さく静かな村を再現するとなると白人のみにせざるを
得ず、その設定を優先した結果、出て来るのは白人ばかり、つまりは舞台が現代に戻った時点では
却って違和感を生じてしまわざるを得ず、そういった齟齬の修正よりもオチ優先設定優先の結果
ソウルを失ってしまったのかとも感じられて、それがおれのノレなかった原因でもあるか。
でもどうしてこんなにもおれは「ヴィレッジ」の話をしているんだろう。「内海の輪」とか
「あらかじめ失われた恋人たちよ」とか話をしたいのに、そのまんまになってしまった、
もっともっと語りたい映画があるってのに、けどこういうもんは熱のあるうち、
時間の新しいもん順なので仕方なし。
あれだな、どうせなら、壁を乗り越えると、観客でオチの読める人なら大概そう思うであろう
現代なんかじゃなくて、50年代のアメリカで、件の映画でもキーになっている忌まわしいと
されている赤、つまりは「アカ」アレルギーの時代、そこもまた白人ばかりが活躍しており、
しかも映像はモノクロになり、いかにもスタジオ撮り、といった風になり、薬を求めて来た彼女だけ
がカラーで浮き立っており、そしていかがわしい風体の為、逮捕、そして、、、、
この先の展開は今思いつかない、なんかそんなだったらもうちょっと面白かったが、
シャマランぽくない、それじゃ。
と、上記は今思いついたもんだが、他にも
トゥルーマン・ショー」路線とか、虫かごであの村の人たちはこどもの宇宙人に飼われてたとか、
「ヴィレッジ」の撮影現場が映ってしまうというメタな展開とか、周りの壁が倒れると
新宿二光前だったとか、それはテラヤマ、その手のありがちなオチを観てる最中は考えてた。
あとそうね、「チャンス」ハル・アシュビー監督、ピーター・セラーズ主演)かよっ!
とかも考えたりもしてた。今思い出した。
さらにもひとつ。「ウエストワールド」のリメイクとかいいなあ、シャマラン、とかも思った。
とはいえ、シャマランは相変わらず好きです。推します。
そうだこの調子で
《 おれ(或いは"あたい")の「ヴィレッジ」、オチはこうだ! 》
ってんでみんながみんな各自勝手なウソのオチを書きまくり、これから観る人を攪乱する
(映画を楽しむためには寧ろ吉と出る。たぶん。)というのも楽しいと思いました。