國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

溝口健二

「歌麿をめぐる五人の女」を観る。最近はやたらと邦画が観たく、溝口健二が観たくなり、これを借りる。
これ、昭和21年の映画、そのせいで出て来る人、みんな痩せてる。食うもんがなかったと思しい。
溝口健二って別にセックスがテーマじゃないんじゃないのかとこれを観ながら、溝口健二
思いを巡らしつつ、思いついた。ピュア・ラヴ、純愛、だよな。あの人。もっぱらに描きたいのは。
ロマンチックであるばかり。小津安二郎がひたすらヤルことしか考えてないのとは大違い。
で、この映画、なぜかヌードが売り物(もちろん当時のこととて胸にはサラシを巻いて谷間さえ
殆ど見えないようなもんだが)で、海っ端でお殿様が腰元を集めて、裸(サラシ付き)で海へ潜らせ
素手で魚獲りなんかさせるシーンとかあって、海女モノの変種、或いは元祖になっている。
どうしてこういう方針になったのか、当時の事情が気になる。そうしてまで客寄せする必要が
よほどにあったのか、プロデューサーのやり方なのかどうなのか。だってまだまだ昭和21年、
食うにせいぜい、しかも溝口健二は当時既に大物じゃあ、あった筈。一体どうなってんだろ。
おもしろい。