國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

ロック

「ロックよ、静かに流れよ」をついに(!)観る。長年の念願が叶う。
なんだか案外にふつうだったなあ。なんかもっとダサイ、しょーもないもんを期待していたのに。
その点に関しては残念、というか借りる際ジャケットをちょろっと見て監督が長崎俊一であるのを
あらためて確認した時点で、これってもしかすると結構ちゃんと出来てて、思惑が外れるかも、
と思ったら、やっぱりそうだった。「ちゃんと」、それも相当のレベルで出来ていて、セリフもキャメラも
編集もライヴのシーンなどでさえ、「あ。やっちゃった。」みたいなのはないのだった。
スタジオに初めて入って練習をするシーンなんかもキャメラワークからちょっとした仕草にいたるまで
過不足なく出来ていた。特にまた男闘呼組の面々の演技も、ちょっとツッパった高校生らしく、
ごく自然で、見た目からセリフ、振舞い、全部納得しちゃうようなもんだったりもした。
なにも文句つけるところがない。でも決定的になにか足りない。おもしろくない。なにがわるいんだろう?
ちょっとわからない。でもつまらない。優等生らしいばかりの出来のせい?完璧だけど、ただそれだけ。
はみ出してくるものがないせい?ださくても、ださいからこそ、ださいことにこそ、映画的旨みが
存する場合もある。臭い話なのに臭みもない。無味無臭。いや、冒頭新宿から長野の松本(「白線流し」!)
へ引っ越してゆき、その引越し先の家の平屋のアパート(?)みたいな家の感じとか、わるくないし、
ちょっといいかな、とか期待しないでもないところも幾つもあったんだけど、でも、なんか足りない。
冷たい印象を抱いてしまう。理知的に過ぎるのかも知れない。住んでる家や彼らの部屋や、
着ている物、髪型、ちゃんと考えられてて、味のある風でもあるものであってもおかしくはない
ようなそれが取り揃えられているのに、でもなんだろう、神経がきっと行き届き過ぎているんだ。
といってワザとらしくもない。そういうワザとらしさを排除すべし、って言う神経もまたちゃんと
行き届いているから。でもきっとそれがアダ。
たぶん長崎俊一という人はきっとそういう映画を撮る人、そういう映画しか撮れない人なんだろう。
わるくないけど、おもしろくない。きちんとしてる。
前田耕陽が痩せてること!
高橋一也って、おれのイメージだと最近はなんか自信なさげな役どころの人ってなってるんだけど、
これだと渋い声で喋るワイルドなカッコいい奴なのだった。リード・ヴォーカルだし。
あらすじだけ取ると、「ダチがバイクの事故で死んで追悼コンサート」「小動物を可愛がる不良」
というこれ以上はないくらい、うれしくなるような、これこそ正にロック!って感じのものなんだけど、
でも実際観るとそんな外れちゃったような、微笑ましいような感じは受けない。ちゃんとしてる。
勘違いしてるような風も受けない。でもなんだろう、やっぱり感動がない。くだらない話なのに
感動する映画ってのはそれなりにある。そういう感動はここにはない。かといってダメな映画って
ワケでもないし。ただただよく出来ている。でもつまんない。
88年のこの映画、Tシャツはズボンにたくし込まれていた。
一体いつからシャツがズボンから出るようになったのか。
いつも疑問だがちゃんと調べたことはない。
始めの方、特急あずさの車内で、紡木たくの「ホットロード」を読んでいた。これぞロック。机をステージに。
まだLPだった。