國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

あああれだなあ『月刊 宮地真緒 (SHINCHO MOOK 064)』が今月出るらしいのでそれが楽しみだなあ出たら買うんだ
普段滅多にというか全く写真集なんか買わないんだけどなんか今回は買っちゃいそう
でもいざ買うとちょろっと見てもうそれきりそんなんだったら買わなきゃいいのにって後悔とまでは
いかないが少しは思うかも知れないけど昨今女に飢えてるのでとはいえエネルギッシュな
それではないなんとなしムラムラしてる女の子が欲しいセックスが欲しい匂い嗅ぎたい
おっぱいさわりたいマンコ舐めたいクンニ大好きみたいなおれはおっぱいよりもマンコの方が
ずっと好きなんだ出来れば顔を埋めたいまあ相手がいればそれもできるが閑話休題そんなもんでも
いちいちなんか欲しくなっちゃうんだよな色気が欲しいまわりにないしそんでどうしたいかっていうと
それ見てオナニーしようかと思ってるんだけどたぶん期待外れというかなんかオナニー出来そうな
予感で今欲しいとか思ってるんだけどたぶんもしかすると結局本屋で逡巡した末に買わない
ネットで画像拾っちゃおうだってそうすれば済むじゃんタダだしとか思うに違いない。
でもなんか宮地真緒ってソソるんだよ。おれには。買うべ。『月刊 宮地真緒』。
(つうか蜷川実花かよ。撮影。今調べてわかった。じゃ、オナニーはできないな。
でも蜷川実花宮地真緒か。なんかいいな。やっぱ買お。そんな高くないし。945円。)
ほんで明日(12/2)はお出掛けの予定。『大(Oh!)水木しげる展』、行ってきますよ。
晴れるといいな。寒いのは歓迎。
電気が通ったのなんてここ100年かそこらで(正確な事は知らない)、それより以前は都市といえど
電気なんか点いちゃいなかった。車も走ってなかった。
人類史の中でほんのほんの最近の出来事でしかない。電気。
でもいつも考えるけど電波ってなんだ?便利に過ぎる。超能力となんら変わらない。
都合が良すぎる。いろんなこといが出来すぎる。電波とか電気信号とかって。
階級間格差が進むだのなんだのって言うけど、そんなの人類史からしたら大概そうだろ。
平等が建前になったのでさえごくごく最近じゃないか。それも文明(つまりは地球の食い潰し)
を背景にした豊かさの延長で。しかも地域限定で。ごく最近の、高度経済成長後の日本、
それもそれなりの仕事と地位に就いてる人が現在の安定が失われるのを怖がってるだけじゃないのか。
考えてる範囲が狭すぎ。世界中階級間格差どころじゃないとこなんか未だに腐るほどあるじゃないか。
みんな豊かさに慣れすぎてやしないか。そこらへんのチンコロねーちゃんならともかく、
それなりに物を考えようって人間がそうも容易く階級間格差が拡がる、困った困っただなんて
言うべきじゃないだろう。贅沢に過ぎる。言ってる事が。大体バブルだのなんだのって時期にだって、
これだけ貧乏人の底上げがされた日本でだって、みんないちいちそんなに豊かだったわけでも
経済的に恵まれてたわけでもないし、つまらん仕事で安い賃金で世間から低く見られて働いてた人なんか
ごまんといるだろうじゃないか。物事を論じる人は大概、それなりにいい仕事に就いて、
気の利いたともだちや知り合いに恵まれていて、都会か、それに準じるところに住んでいて、
なんか感覚が麻痺してるんじゃないのか。世の中ひどいもんだぜ。いつだって。10年前も20年前も。
豊かな社会ったって、世界的に見りゃ地域限定もいいとこじゃないか。自分が食えてりゃそれでいいのか?
そんで自分の食い扶持がちょっと減ると大騒ぎか。なんだかなあ。いや、ふつうの人はいいさ。
けど世界のことを憂えているような人間がそんなにも視野の狭い、地域限定、時代限定、生活レベル限定で
物を考えてて一体どうするのやら、おれにはわからん。世の中は以前よりわるくなるわけじゃない。
人類は史上ずっとロクでもなかった、現在も引き続きってだけじゃねえか。
革命なんか一度たりとも起こったこともねえや。起こったことといえば単に便利が増えて、
一部豊かになった、ってくらいのものだ。
最近よく考えてることは、死んだらみんな関係ないよなあ、死んだらそれでオシマイ、ってこと。
大したもんじゃないよなあ。自分なんて。ほんのチリ。そんなこと。
写真が死んだ後に幾ら残っても、もう誰も気にしない。匿名の匿名、写真はただ写真で
そこに写っているのが誰かなんて、もう誰も知らない。死ねばすぐに忘れられる。
自分なんて他愛ないものでしかない。こんなに目いっぱい自分のことばかり毎日毎秒気にしてるのにね。
死んだらオシマイ。宇宙もオシマイ。なにもない。
映画の感想文として、一通りまとまった論文みたいなもん書かないとまるで申し訳ないかのようなことを
書いている人が結構いて、でもおれからしたら、そういうことを言う人たちの、その「大したことのない」
感想の方がよほどいい感じだし、おもしろく、意味も意義もあるのになあ、って感じることなどある。
むしろ論文風にそれらしく綴られた文章なんかの方がおれにはつまらぬものによほど見える。
洋服や髪型や、女優さんの誰それがキレイだのカワイイだの、男優さんの誰それがカッコイイだの、
そういったことを書いてない感想文て、一体映画観て結局どうするつもりなんだかよくわかんない。
だってさ、映画の感想って、なによりかにより、観てない人に「ココとココとココがよかったの!観て観て観て!」
ってもんだろうし、同じ映画観ている人には「アソコとアソコとアソコがよかったよねえ!ねえ!ねえ!ねえ!」
ってもんのはずで、けして映画に出て来るいくつかのイメージを組合わせて、
そこからなにか抽出するようなもんじゃあないだろう。
つうかさ、そういうのがパズル的におもしろいのはわかるけど、なんてえか、肉声が聞こえないんだよ。
そういうのって大概。おれはあんたの声が聞きたい。今日なに食ったのか教えておくれ。