國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

ヌーヴェル・ヴァーグ

しかし、ほんと、おれ、ちゃんとフランス映画とか観てンナぁ。この頃。
それ以前たら、殆ど邦画ばっかしだったのに。
しかしこのフランス流行りはそもそもが『キューティー・ハニー』観て市川実日子に恋をし、
彼女が出てるものってんで『とらばいゆ』観たらズッパまり、4回観たんだっけ?、
そんでそのついでに監督の大谷健太郎って、エリック・ロメールとか好きかも、
とか思い、そんじゃとロメール観たり、リヴェット観たりして、
やっぱここはトリュフォーでしょう、とか思うようになって、結果ドワネル物など
観る段取りにまで至った次第。人生なにがキッカケになるかわかりませんな。
『キューティー・ハニー』からヌーヴェル・ヴァーグへ。
近いんだか、遠いんだか、よくわかんない。
ほんで日本に於けるヌーヴェル・ヴァーグ受容、実際にはその数、数本にしか過ぎず、
大体、ロメールとかリヴェットなんて、実際盛んに活躍したのは80年代以降だし、
ゴダールだって観れるものったら、限られたんだから、『はなればなれに』なんて
日本公開されたのはようやっと数年前だゼ、邦題だけずっと前から決まってたのに、
(たぶん蓮實重彦がつけたと推測、あの人は未公開作に邦題をつけてたりしたし)
そして彼の運動におけるゴダールのみのファッション・センスの傑出についてのあらぬゴタク、
更に彼らが称揚した作家たちだって、かつて観ることの出来た作品の少なさ、ルノワール
顕著な誤解、デュビビエ、ルネ・クレマンマルセル・カルネジャン・コクトーなどの
映画監督たちのかつての日本での人気、影響力、受容、60年代以降の文化が映画から音楽へと
その中心を移したこと、それによって、パリへの憧れは著しく低下し、その分、ニューヨーク、
西海岸など音楽においては圧倒的な地位にあるアメリカという国の都市が顕揚され、
日本に於いては60年代、洒落て垢抜けたイメージ、そして貧しさの排除された銀座という街から
更に革新的であり、混沌とした文化の坩堝、そこには貧乏や垢抜けなさでさえ十二分に
力として在った(文化というのは始め洗練、都会性を好み、やがてはルーツ回帰へと至るの図は
ここにも)、新宿へと盛り場が移行したこと、等々を綴るつもりが風呂入って出て来たら、
だらんとしてメンドくさくなったので、結局こうしてメモで終わる。