國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

松江哲明Pt.5

おれなんかなあ、松本まりながAVでも、始めアイドル路線だったので歌唄ったりしてて、そのカセットテープ、販促でもらって持ってたんだゾ。けどもうないし。それにそもそも「松本まりな」っつってもある年齢以上の人じゃないとわかんないし。
さて。
カレーライスの女たち』だが、「カレーライスの女」といえばソニン、そしてカレーライス大好き!といえばカンパニー松尾、なんかやっぱ関係あるのかも知れないし、ないのかも知れないが、そんなことより、あの寸止め、だってAVだったなら、あの後は当然にファックへと至る道理、それを敢えて省略、ヤッたのかヤッてないのか、まるきりに思わせぶり、それがミソなんだろうが、そのミソが美味しかったです。てゆーかモテモテで羨ましかった。ほんとうは。妬ましいとも云える。ああいいなあ(ってな感想は既に書いた)。それはともかくも、時に思わせぶりは作品に奥行きを与えてくれて、観てる時も、観終わった後も、この切なさ、モヤモヤ感、それにはある種の心地よさがあって、恋愛で好きなのか嫌いなのか、関心あるのかないのか、ハッキリしない時のような、なにかが始まりそうな予感、甘酸っぱさ、その胸キュン具合が、この映画、よいのです。女の子が3人出て来ます。そのうちの誰かと、あるいは3人皆と、あるいはうち2人と、もしかしたら?と、撮影もし、彼女たちと実際に過ごしている監督ではなくて、観ている人間がヤキモキ、ドキドキするのです。そうだ、そういえば、監督自身はガラスにおぼろにカメラ持った姿が映るか映らないかぐらいでしか出て来ず、それってつまりは主観映像のみで結果構成されているってことで、『アイデンティティ』が監督としては客観の立場を取っているが為に監督自身が映ることがないのとは違い、観る側に恋愛シュミレーションとも、またはスケベな気持ちをもたらす仕組みになっているのかも、とたったいま思いついてみたが、それって、なんかそれっぽいのでそういうことにしてしまおう。