國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

マルセル・デュシャン

横浜なんて行ったの、何年ぶりかなあ。随分とひさしぶりだ。今日は曇ってた。
池袋から湘南新宿ラインに乗って横浜まで。いつもは新宿行くのに埼京線と区別もなく乗ってたが、今日ばかりは一旦埼京線に乗っちゃってから、もしかしてこれは横浜まで行かないの?と気づき、降りた。そして湘南新宿ラインを待ち横浜、そしてみなとみらい線で美術館まで。
なんだか殺風景というか、ブラジリアというか、SFみらい都市というか、ありがちな感想を地下の駅から外に出ると思ったりもしたが、メシ食う為にクイーンズスクエアへ行き、スヌーピータウンを示すでかいスヌーピーを見た途端、思い出した。ここ、来たことあるじゃん。もうたぶん10年近くは前、このクイーンズタワーがオープンして間もなくだったと思う。そのとき、スヌーピータウンにも行った。アニエスbで長袖のボーダーを買った。当時、おれは30歳を過ぎていたとはいえ、今からしたら途轍もなくウブかった。おねーちゃんに引っかかった。かつて、その彼女といっしょに来たんだった。あれま。ちょっといいように使われた。その後、だいぶんダウンダウンダウン。持ち直すのに時間も掛かった。一時、ヒドイ精神状態に陥った。今からすれば、なんでもない、彼女の事情もなにもぜんぜんよくわかり、同情してもいいくらいには余裕綽々だが、その最中(さなか)は年の割りにまったくにノーガードだったおれは、セックスや仕事や将来に関して、それまでは知らなかったがために考えたこともなかったので、ほぼ始めて対面することになり、世間の仕組みを知り、それまでの余りの無知を後悔し、自身が既に手遅れであるという事実に衝撃を受け、長い間立ち直れなかった。御蔭で勉強になったが、どこにも進学できるわけでもない。大学院にも行けない。資格も取れない。なんの得もない。生活も向上しない。でも少しはマシになった部分もあるだろう。もっともっとマシになりたいのは人情だがな。ま、仕方ない。
で、着いたのは昼少し前、ランチにはクイーンズスクエア内、SUBWAYへ。
実はサブウェイ、生まれて始めてだ。なんか行ってみようと思ってたんだ。近頃。そしたら都合よく、今日あったので、食ってみた次第。なるほどこんな感じか。美味いじゃん。これからも利用することに決定。なんで今まで避けて来たのかには理由がない。なんとなく。でも行かないうち、行き難くなってしまった。で、今回こうして突破口を開けたのでメデタイ限り。
デュシャン、いきなり「泉」、例の小便器。ちょっとニヤけてしまう。あんまし有名過ぎるもんがいきなりで、それも造作なく置いてあるし。それにやっぱ便器だ。気恥ずかしい。しかめっつらするのもあれだし、まず、どういう顔していいかわかんない。気取り屋さんなんでな。おれは。で、始めのうちは見所がわかんなくて、ピンと来ない。ううん。どうしたもんだか。けど他の、デュシャンに影響された作品が、いずれも饒舌、説明的、自己主張がハッキリしている、その分、わかりやすく、ふつうに美術作品として親しみやすい、場合によっては意図が見え過ぎて、というか意図のみ、みたいなもんもあるくらい、なんかそんなこんなを見てるうちに、ようやく。
(で、以下、ちょっと恥ずかしいけど、美術とか知らん分野だし、映画や音楽だったなら、自分の書いてることに、それでもある種の自信も、程度の判断も出来はするけど、馴れない分野だと、さすがに恥ずかしい。映画の感想とかだと、こんな「恥ずかしい」とかの類の言い訳は思ってても、敢えて省略してるが、、、今回は書いちゃった。)
デュシャンはなにも描いてない。でもそれまで誰も見たこともない、想像したこともないキャンバスを発明した。デュシャンの作品には時にユーモアや性的な隠喩めいたものがあったとしても、実はそんなもの、オマケ、表現である以上はどうしても付いてきてしまうものでしかない。そこには実はなにもない。ただのキャンバスだから。無言の問いかけ(に似たもの)だけがあって、それで終わっている。後発の者たちは、それに触発され、人はことばを、美術家ならば当然に作品を発さざるを得ない。後から来た者たちはよってみんなオシャベリだ。自己表現が、ポップが、隠喩が、もうそれは幾らでも。そしてそんなわけで、そういった作品群には感動するのも簡単なものばかり。だってそこには作者がいるから。血が通ってて体温があるから。それに比してデュシャンの提示したものにはデュシャンはどこにもいない。いるとしたら、ほんとに本人のところに本人がいるだけだ。
意図せざる意図。自己表現ならざる表現。一言でいえば空虚だ。そこにはなにもない。しかしそれは同時に豊かな空虚だ。ありえないありうるもの。「さあ、始めよう」とデュシャンは言った。そしてそう言った当の本人は途端に姿を消してしまった。でも既に始まったのだ。
しかし「Fresh Widow」でWindowって、ダジャレかよ!ってやっぱ突っ込んでしまいました。あとナム・ジュン・パイクのビデオ作品が上映されてて、そのBGMが「レボリューションNo.9」と「原子心母」風だったのが、なんかよかったです。
美術館を出るとせっかく横浜なので海でも見ようと思い、臨海パークと称するこれまた殺風景な公園へ。そこでは海といっても、水平線も見えず、そう遠くない向こうの方にビルや橋が見えるのだった。でも海はいいね。しばらく眺めてたよ。当然そういうところにはカップルってやつが幾組か出現、やっぱ羨ましいなあ。あんな時間をおれも過ごしたいなあ。ああ。
でもあれだなぁ、デュシャンに限らず、美術展て、入ってからエンジンがあったまり、フル稼働するのにいつも時間が掛かるのだった。そんで、今回もそうだけど、わかってくると楽しくなって来て、つまりはノレて、ニコニコできるようになる。何度もおんなじもん見て回ったりするようになる。そんなわけで例の小便器もエンジンが稼動した後は笑って楽しく見てたよ。