國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

『日本脱出』

家(うち)を出て新宿でCDを返し、それから赤坂へ。着いたのはまだ午前中で、
スタバに入り、時間を過ごす。毎度のショート・ソイ・キャラメル・マキアート
(ホットで)&水。早過ぎる。来たのが。15時からだってのに。仕方ない。他に用もないし、
そういう性格。で、昼過ぎて、メシを食うべくウロウロ。特に何を食うって計画もなく、
結局大戸屋。五目なんとか丼。その後はCafe de Crieでワッフルとアメリカン。
赤坂なんて滅多に来ないが、たまにこういうとこ来ると、やや上がる。おれのような
地方の下層の人間には眩しい。反撥も感じてしまう。てやんでぇ。いつかおれだって
国会議事堂の赤絨毯を牛歩ShiTeヤル!!そんでそのあとは赤坂で芸者としっぽり。
桑野みゆきがトルコ嬢で、結構な汚れ役をやっているのが、おれにはめずらしかった。
ああ、こんなことも出来るんだ。やっちゃうんだ、って感じ。
演技してたし。おれの印象の彼女はもっとお人形さん風。
だって大概、もっとお嬢さん役のイメージなんだもん。
もしかして監督の意図で敢えて彼女にそういう役をふったのかも知れない。
そこらへんも松竹の気に食わないところだったのかしら。類推。
でも桑野みゆき、いつも出て来る度、思うけど、美人でもないし、そうかわいいとも言えないし、
でも当時のスター女優、そのへんがちょっとフシギ。ただ、この映画の彼女は魅力的で、
観ていると惹かれるものがあるんだけれど。ただルックスがやっぱ地味には違いない。
しかし、彼女、トルコ嬢ってことで、ブラジャーにホットパンツ、なんてカッコの
シーンがあって、見事なAカップを披露。
いまの若い子たちはトルコ風呂の「スペシャル」だの「おスペ」だのなんて知らんだろうなあ。
って、おれも名称を知ってるだけだけどさ。
これは64年の映画で売春防止法施行からまだたったの6年だ。
あとトルコ風呂、それもこの映画に出て来たようなちゃんと蒸し風呂があって、
トルコ嬢が白のブラジャー&ホットパンツ姿のそんな時代っていうと、石川淳の小説
『荒魂』(64年の作品。これ、すごいマンガ向きだと思う。てゆうか主人公といい、
他の連中といい、キャラの立ち方がマンガのそれのよう。マンガ的な登場人物、ストーリー展開。)
に確かトルコ風呂のシーンがあったのを思い出すんだよなあ。
でも昔々読んだので、どんなんだったかは丸きり憶えてない。
62年の中平康の『危(ヤバ)いことなら銭になる』、コメディタッチだのに、ラスト、
結構な血が流れて、陰惨な印象があり、もうひとつ、63年の山下耕作の『関の弥太っぺ
イーストウッドの『許されざる者』はこれの翻案。ウソ。)でも、
そういうシーン自体はどうだったかよく憶えてないが、暴力を陰惨なものとして
捉えていたおぼえがある。『用心棒』(61年)の冒頭、犬が手首を咥えてトコトコ
歩いてるのとか、60年代に入ってから、暴力に関する表現がグッと変わって来たのかも
知れないと、ちょっと仮設を立てている。
逆に言うと当時までの、例えば時代劇の主流はキンキラキンの着物を着て化粧した
市川右太衛門演ずる旗本退屈男が悪人を優雅な立ち回りで斬ったりするようなやつで、
もちろん血は流れない、そんな風だったわけだし。日活アクションも大体そう、
小林旭がギター弾いて歌うのをまわりでじっと待ってるわけだよ、悪人たちは。
そういうのが陰惨でリアルな暴力へと転換し始めたのがこの頃、60年代前半ではないかしら。