國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

僕たちの洋楽ヒット

75〜77年あたりはディスコヒットがもちろんいっぱいなんだけど、でも考えてみなくても
実際にディスコに行ってた人なんてほんの僅か、大概の人にとっては
踊るとかほぼ関係なくヒット曲として接してただけなんだよな。
(70年代当時、日本でディスコ通いしてたのはヤンキーですな。みなさん御承知おき。)
そんで70年代当時のディスコヒットの特徴としては、ビートよりもメロディーにこそ
重点があるんじゃなかろうか、ってことです。現在、ディスコとか申しましても、
それはまずループするビートを連想するのかとは思いますが、サタデーナイトフィーヴァーの時代は違います。
キャッチーなメロディーのヒット曲、それがノリのよい、しかも単純なビートが根にあるので、
余計とっつきやすい、そういったものですな。第一当時はみんなラジオとかでヒット曲に
接しておりました。ぜんぜんサウンドはそうするとHi-Fiじゃないのであります。
レコード買ったとしても、そんな根詰めて聴かないのであります。
てんとう虫みたいなやつで聞いてたりじゃ尚更。
ベースが効いてるとか効いてないとか、そんなのは音楽マニアの人だけの話であります。
おれみたく中学生とか、一般の人がラジオでヒット曲聞いてる限り、例えばベース音なんて
聞こえないのであります。気にもしないのです。大体。上っ面のキャッチーなメロディー、
これであります。ディスコヒットの肝は。だからこそヒットチャートを席巻したのです。
ビージーズという稀代のメロディーメイカーの人たちの曲がディスコの代表曲として
大ヒットしたのはある意味象徴であります。と、とりあえず思いついたことを書いてもみましたが、
オチもつかなきゃ、話もこれ以上思いつかないのであります。とりあえずディスコ話は以上。
(そう、映画とかでもそうですが、映画ならば観客、音楽ならばリスナー、は誰か?
ってのを考えるとまた違うものが見えてくるので、興趣あり。)
で、「僕たちの洋楽ヒット」、「運命'76」なんてありますが、これはタイトル通り、
ベートーベンの例のあれを、当時サンプリングなんてありませんから、
誰でも知ってる「運命」のサビ(?)をふつうにオーケストラに演奏させて、
そいつにスティーヴィー・ワンダー風のファンクビートが絡むのですが、
これが単なる際物と当時から以降なんとなし思っていたのが、こうしてちゃんと聞くと、
これが結構よろしい。よい。ちなみにこの「運命'76」もディスコヒットに分類されます。はず。
てか、なんだろうな、バラードでもなんでもディスコヒット扱いだったわけで、
つまりは黒人音楽風味のやつは全部「ディスコ」って括りなんじゃなかろうか。
当時のビルボードなどのチャートが白人ばっかし、せいぜいの例外がスティーヴィー・ワンダー
そこになお躍動止まぬ、黒人音楽の白人中心チャートへのインヴェイジョン、
それは一見チープで、キャッチーなメロディーと軽いノリで、しかも演者が白人の場合も多い、
そうした見せかけで、どうせくだらんもんだとばかりに油断をさせて、侵食をしていった、
それがディスコのある一面でもあったとかなかったとか、そんなことは前にも書いたが、
それにまた気づくとディスコを巡る言説だが、それはよいのだ、ループするのだ、
ビートのように文章も。って、言うとなんかカッコイイかも。
そういえばリンダ・ロンシュタットの「悪いあなた」なんて、ソウルっぽいのな。
今回あらためて聞いてみたならば。アレサ・フランクリンとかの線を狙ったのかしら。
そんで、おれはあれだよ、リンダ・ロンシュタットなんてロクに知らん、
そんなおれの彼女に対するイメージはカントリーポップの人、だったけれど、
もっといろいろやってんだね。あたりまえだね。きっと。