黒人音楽

Always & Forever: Classics

Always & Forever: Classics


音楽を文学的に聴いてる向きにはブラック・ミュージックって入って来ないんだよなあ。
それでもカーティス・メイフィールドとかスティーヴィー・ワンダーは聞いても、
ルーサー・ヴァンドロスとかチャカ・カーンには行かない。
(おれもチャカ・カーンは未だに素通りで、それがいつももどかしい。)
単に「いい曲だから」ってそういう人に薦めても受け付けてもらえない。
(例えば先日のルーサー・ヴァンドロス、「A House Is Not A Home」なんて、
ごく単純に「スゴイ!」ってのもあるはずだけど、でもきっとだめ、なんだよなー。)
おれも昔はロックっ子だったから、その感じはなんとなくはわかる。
そしてその線を突破するのは中々むずかしい。
おれは気がついたらR&Bとかそういう方がなんか好きじゃん
と、渋谷陽一のごとく気づいた口で、もうそうなるとロックだけじゃ物足りなくなってくる。
こういうのってでもあれかなあ、体質、みたいのもあんのかなあ。
ブラック・ミュージックにはなにがあるか、っていえばそれは「生々しさ」、それ。
その生々しさに一度触れてしまい、感化されてしまうと、もうそれを求めずには要られなくなる。
そしてたぶんブラック・ミュージックを忌避する人たちには
きっとその生々しさこそが正に敬遠したくなる一端なんだろう。
なんだろうね、性的、ってことなのかなあ。
たっぷり濡れたおまんこそのもの、ぬるぬるにぬめり光る陰茎そのもの、
男女の絡み合いそのもの、なんかそんななのかなあ。
でもっておれにとっては性的であることが重要なので、正におれの求めるものがそこにはある、のかも知れない。
それにまあ、端的に云って、ブラック・ミュージックは大人のものだから、
青春でモラトリアムなものをこそ、孤独とそれに対応するものを音楽に見出そうって人には、
世界は既にあって、そこでの「関係性」を問う、そこでの生々しいコミュニケーション、
それをこそ主題とするものは、その孤独には対応してくれないせいなのかも知れない。
あとブラック・ミュージックって要はアメリカの歌謡曲だから、
その通俗性で忌避されてしまう、って面もあるよね。
ミュージシャンに思い入れがしづらい、ってのもあるし。
音楽を作っているのが個人には帰しづらく、モータウンでもなんでも、
大勢の人たちが関わってでのことで、商品の生産、的な感じがするのも、
ロックっ子には食い足りないのかも知れない。
ロックでは「産業ロック」とはいう言い回しが成立しても、ブラック・ミュージックでは
商業主義的であることは大前提だからなあ。
ロックだって多くはふつうに商業主義的なんだけど、
実際にどうってんじゃなくて、イメージとしてね。あり方というか。
アチチュード?みたいな。
(なんか上手く書けた気がしないし、書き足りない。なんかもどかしい。)