國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記Pt.3

なんかひとりぽっちだなー。だからまあつい、ついった(韻踏み)しちゃうんだけどさあ。
話相手がいないんだよね。要は。これでも昔に比べれば少しはマシんなったんだけど、その「昔」がどんだけひどかったか、ってことでもあるよなあ。
おれ、結局「彼女」(つきあってる相手って意味の)がいないとさ、いつでも電話できる、メールできる、もちろん返事がそれなりに来る、会おうって言って会える、そういう相手がいないことになっちゃう。いまでも結局は。でも昔よりはマシなんだ。これでも。ぜんぜん誰もいないわけでもないから。
おれはきっと父親とおなじで人づきあいの才に根本的に欠けてて、それでも母親の遺伝子の御蔭で多少はそれが緩和されてて、でもやっぱ父親にはおれの母親が唯一最大のともだちであるように、おれもきっと異性のパートナーが誰よりもともだち、であるようなタイプの人間なんだと思う。
けどもちろん男女関係だから、いろいろと不安定でさ。
結婚とかした方がいいのかね。おれみたいのは。父親に倣って。うちの父親は性格とか考えたら、えらいラッキーだよなー。おかあちゃんと結婚できたの。どんだけラッキーかって、ほんと思う。まー、おかあちゃんにしたら、半分災難だけどな。(「結婚は我慢」byマイマザー名言集より)
結婚、っつっても、相手もいないし、年齢からしたら経済力はアレだし、結婚したい、って気持ちに欠けるし、なんかやっぱピンと来ないし、大体結婚とかって、考えちゃだめで、ただ「する」もんで、だからみんなできちゃった婚とかするわけで、それでいーわけで。
うちの親を見てよく思うのは、特に年をとった場合、配偶者ってのは、一番のともだちなんだってこと。歳をとっても、いつでも会えて、話せて、いっしょにどこか行ける、って結婚相手じゃないとむずかしいもん。だって。大人になるとともだちづきあいは疎遠にならざるを得ない。ましていつでも、なんて。
もちろん結婚たっていろんなケースがあるけどさ、おれの知ってるのはうちの親くらいでさ。あとまー、妹か。だからえーと、結婚相手がいい話相手である結婚はラッキーなんじゃないかと。まー紆余曲折いっぱいあるけどね。うちの親見てても。
おれのこどもの頃の願いは両親が仲良くなってくれることで、そうフシギとその願いは叶った。ほんと昔を思うとフシギ。おれ、小学校の頃、親の夫婦ゲンカについて作文書いて、先生に褒められたもん。リアル、だったんだね。きっとね。文章はまるきり拙いながらに。