日記

hiro - Baby dont Cry
なんか死にたいほどさみしい。世界から弾かれてる気がする。
作品が作者の内に納まってしまっているものはつまらない。
例えば「かもめ食堂」には作者の意図したものしかない。それしかない。しかも惜しいっ、とさえ言えない平板なそれ。それらがいくつも並んでいるだけ。だからつまらない。
作品が優れている場合、それは普遍性を帯び、多くを語りだし、永遠を指し示す。
この場合肝要なのは作者にインタヴューしたからって、その「多く」や「永遠」についてなんか上手いこと言ってくれるわけでもない、ってことだ。
けど、作者に期待してしまう向きは多い。ありがちなのがあの作家は性格がわるいだの、パクってるだのなんだので、そしてそのことにより作品の価値が減じるの類の言説。
インタヴューだのでつまんないこと言うような人の作品が作者を遥かに置いて輝いていることはある。むしろこの人大丈夫かなあ、ケチなこといいやがるなあ、退屈で凡庸過ぎだろそれ、なんて人の方がその作品がぜんぜんよかったりするなんてことはふつうにある。
例えば。
井筒和幸はタレントとしちゃおもしろかったりはするが言うことはつまんない。映画の見方もなんだかえらく雑で、まーそのこと自体がタレント的にはおもしろかったりはするので、それはそれでわるかないが、けどともかくその言説には大して惹かれるようなものもない。
でも「ガキ帝国」は最初っから最後まですべてが輝いてる。余すところがない。見てる間ずっとビックリしてるような。「完璧」なんてことばを遣ってちんまりとは納めたくもないほどに。

ガキ帝国 [DVD]

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作者がふだん言ってることとかだけじゃない、映画ならストーリーやお話の展開があらすじだけ取ったなら陳腐でも安易でも安いお涙頂戴でも、作品がもし作者の意図を遥かに越える場合にはそれは永遠を示し、そして輝いている。
おれは現世には期待しない。けど肯定できるものを常に探し、永遠を、理想を求めている。絶対にありえないものを。その予感を。時折のすぐれた「作品」の中にしかないものを。垣間見えるそれを。つまらぬ表面の言説や作者の意図やチンケな思想を遥かに越えるそれのありうるものを。作者にも作品の表面にも頓着せずに。ハタからしたらまるで過大評価かのように。「わかってない」かの様に。けどさ、おれはいまさらわかりきったことなんかいつだってスッ飛ばすのさ。太陽と海が番(つが)うその瞬間を称揚するために。