國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

映画評

どうせトーシローが書くんだから、いきあたりばったり、成り行き任せ、その人の気の向くままがいいよ。特に映画評。もうずっと前からゆってるけど、服とか食い物とか、そんとき隣に座った人のこととか、映画観に行ったときに履いていったヒールのこととか、昼飯になに食ったかとか、会社でたまった書類のこととか、とりとめナッシングにみんな書けばいーのに、映画評。だのにみんな○×で、おもしろいのおもしろくないの、感動したのしないのと、学校に出す感想文みたくで、でもめちゃくちゃや思いつき並べただけとかって、でも結局、意識的な一種のタイプじゃなきゃそんなことしやしないんだよなあ。ふつうの人はふつうに書く。ある種の規範に沿うてしまう。その人っぽいのが読みたいのに。一般的な点数みたくんじゃなくて。ファッション好きならその観点で書いたもんとか読みたいのになー。ケチでつまんない、その人だけのことを書いて欲しい。他人なんか関係ない。大体、映画に使われてる音楽に関して書いているものさえ少ない。おれはTV見ててもBGMばっか気になって仕方ないよ。ニュースでもなんでもさ。正しい映画評、正しい採点なんか存在しない。でもそれに、その「正しさ」に捕らわれてしまうのが人間だよなー。そうして世界は動いてる。ならそれは存在してる。「正しさ」。でもあれだ、「正しさ」なんてつまりは「マトリックス」だ、モーフィアスに出会え、そして「道を知」り、「道を歩む」ことは更に違うことを学べ。