國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

1Q84

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1


1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2


ペーパームーン/桜田淳子(映画「病院坂の首縊りの家」より
涙のペーパームーン/石川秀美
hiro - It's only a paper moon
そうだ。月の話をするのを忘れてた。そいつが肝心じゃーねーか。
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月、月、月。といってはなすことなんかおれにはないんだけれど。
満月にちょっと欠けるくらいの月。それを見ている。いつか。いくども。いつか。
歩道橋に夜、よく行ってたのはほんとう。近所だった。誰もいなかった。月、も見えていたかも知れない。
だからさ、「1Q84」に出てくる楽曲、すべて抜き出して並べようぜ。おれじゃない誰か。
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1Q84」、映画化を考えよう。一番の問題は楽曲の権利関係で、それらをクリアするだけでいくらかかるかわかったもんじゃないが、そこはそれ、ゴダール方式で、ハナから権利がどうとかは無視、カネなんか払わない、って手が。
小説でも映画でもそれはお涙頂戴で、単に慰みで、だから大層なものなんか期待することもないし、大体が小人の説だから小説で、立派な思想を説いて回ったりしてるわけじゃない。いかに泣けるか?それが肝心、それだけが肝心。
映画でも小説でもそうなんだけど読み終わって時間が経つにつれ、筋とかそういうんは忘れちゃうけど、それとはべつにいわば「謎」的なものってどんどんどんどん「わかって」来てしまう。べつにそれはいちいちを説明できるって意味じゃなく。もう、体感的に感覚的に理解が進んでしまう。でもそれはそれでちょっとさみしくもあったり。
「わかって」しまうとそれっぽっちのこと、みたくなっちゃうんだよね。小さくなってしまう。まとまってしまうから。けれどほんとうはそのまとまることで零れ落ちてしまうものこそが肝要で、だから再読するともうとっくに「わかって」いるハズだのにあらたな発見もあり、新鮮にも感じられ、感動だって充分にできもする。それが小説の力だから。そこにこそ。おれは簡単に「描写」といってしまうが、描写こそが論文論評じゃ追っつかない、小説である必然性とかなんとか。
そうだ。おれはそれほどに関心がないせいもあり、作中の音楽と映画は気にしているが、料理・食事を気にしてなさすぎで、自身に猛省を求めたい。
ああ。村上春樹のインタヴューとか読みたくないなー。でもネットにあるとつい見てしまいそうでなー。むずがゆい。
月が2つある世界。