國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

Got My Mind Made Up

http://www.youtube.com/watch?v=-8JcbELtKvs

インタヴューズからお引越しシリーズ。

ひとしなみにショックは受けてしばらくはぼんやりもしていましたが、気のつくともうふつうにぜんぜん日常に戻っていて、自身、被災してないし、日々仕事に追われていると、そっちばかりに結局はなってしまい。
仕事で疲れてめんどくさくなり、休日は仕事から解放されたいという思いで、ただ好きにだらだらしていたくて。
日常には勝てなくて。

それに職場は地震のあった当日もその後も大した対応をするじゃなく、元々ヴィジョンのない経営じゃあったけど、あれだけの地震があった際にも管理者からの指示もなく(そういう際には指示の必要な仕事内容ではあるので)、そういう代わり映えのなさにはまたあらためてウンザリして。

でもそう、今回でいちばん感じたのは「代わり映えのなさ」、なにかがあらためて起こったんじゃなく、元々くだらない作りだったものが顕になっただけ、そういうやりきれなさで。
そういうしたくもない「再確認」ということで。

この世界はそもそもこんなとこでしかない、そういうあれで。

そうそして変わらない、変えられないってことでいえば自分自身がなによりそうで。

おれは結局、単に小心でだらしがないきり、地震の後、やはり思ったのは会いたい人には会わなきゃいけない、ためらってる間に機会を逸しちゃうじゃないかってことで、これはそう感じた人は他にも大勢いるだろうことで、おれも素直にそうは思えて、でもやっぱり休日の少ない仕事を辞することもせず、会いたい相手に会うべく努力するでなく、思い切ってメールや電話をすることもできず、グズグズするばかりで、これは以前と変わらない、既にもう半年経ってしまっている。

おれはいままで人づきあいが少なかった、あるいはほぼゼロの時も長かったせいで身内や親しい人間を失った経験がなく、そういうことについてはほぼ想像するか、なんとなくで感じるかしかなく、身近な人間を失うって、でもどういうことなんだろう。
だから会うべき人間には出来る限り会っておかなくちゃいけないのに、それを強く思ったのに、でも二の足を踏みっぱなしで、なんにもおれは変わってない。
性格はしかし、変わろうはずもないけれど。

30歳過ぎて生まれて初めてつきあった相手とは半年にいっぺんぐらいいまでも連絡を取るようなこともあって、といって電話で5分ほど話す程度、消息を確認するというか。
この前実際に会ったのはもう7、8年前で、憶えているのはおれがまだペーパードライバーを脱したばかり、おぼつかない運転で彼女の住んでいる方までなんとか辿り着き、ゲーセンでも行ったんだったかある程度はおしゃべりもし、帰りはマクドナルドへ寄った。
おれがそのマックからなんとか家まで帰りついたぐらいにちょうど彼女から電話、おれの怪しい運転でちゃんと帰れたか、確かめるそれで。
それ以来彼女とは半年に一度の電話程度で、会うこともないうちに時間は経ち、ある日彼女から電話、彼女の母親が乳房の痛みを強く訴えるとの由、大事がないといいんだけどみたいなことを言って電話は終わり、その後メールでだったか彼女の母親は悪性腫瘍との報を受け、それから何ヶ月か経ち、彼女の母親が亡くなったとのこと、おれは電話も出来ず、つまらないお悔やみのメールをしたきりで、その後また時間は経ち、今度は彼女自身が調子がわるいとのこと、そうこうするうち手術をするとのメール、でもおれはいよいよ入院との知らせを受けても結局、電話ができなかった。簡単なメールを1、2度送ったきりで。
その後、彼女の手術が子宮全摘とかそういうことであるのを知り、更に以前の母親のこと、また子宮摘出による体調の変化なども重なり、彼女は鬱状態になり、けど簡易なメールはたまにしたけれど鬱でもあり彼女からの返事も中々なく、そう、おれは彼女が大きな手術というときに電話ひとつできゃしなかったし、会いにいくこともなにもできなかった。しなかった。
正直云えばそもそもが不倫で、連絡を取るのに彼女が元気ならばともかく、そうじゃないと全く臆してしまったというだけで。
ただの小心だ。

彼女とは別れてもう十数年、でも未だに僅かだけれど連絡もとっていて。
つきあってる時は別れたくて仕方なかったのに、いまでもこんなふうにロクに連絡もするじゃなくとも、どこか心配するようなあれではあって。
友情とは違うだろう、でも恋愛的なそれとも違う、ともかく心配することも、心配してくれることもある一種大事な相手であるには違いないので、彼女がたいへんなときにおれはちゃんと電話ぐらいすべきだったとは後悔もしていて。
たいへんなときに大事な相手に連絡取るぐらいはすべきだろう。
メールじゃなくて、電話で。会うならそれに越したことはない。
おれはそういうことができない。
逃げてばかりだ。
メンドクサイ、結局そういことなんだろう。おれは。
じゃ、だめじゃん。
メンドウ引き受けなきゃさ。おれ。

それと。
親しい人間を失ったことはまだないけれど、でも1個だけ、たまに思い出すことがある。

もう10年とかそれ以上前。
妹の旦那がアメリカ人なので、彼の実家(アメリカでも「実家」っていうのか。云わないよな)へ行った。
彼には姉貴が何人かいて、でもまあ姉ちゃんてのは弟にとっちゃ鬱陶しいようで、ただその中でもすぐ上の姉とは気軽な間柄のようだった。年もまあ割に近いわけだし。一番下同士でもあるし。
一週間ぐらい妹夫婦の家に滞在して、その間親戚の集まりみたいなので向こうの家族とも会ったりした。
アメリカの料理はマズイっていうのがもっぱらの評判だけど、でもちゃんとした家庭料理は美味いってのもすごく実感した。
あとおばあさんがいて話した(?)んだけど、幾らおれが英語がロクに出来ないとはいえ、南部訛りの彼女の言ってることはワン・ワード足りとも聞き取れなかった。おれはジャパニーズ・スマイルでイエスイエスってな具合で。まったく。情けねー><

で、上記した義弟のすぐ上のお姉さん、彼女とはある程度は話せたし、話しやすかった(訛りってことじゃなくて、なんか気持ちの面で)んだ。
でも当時彼女は既に別居中のダンナが離婚を承諾してくれないみたいなことでひどくつらい思いをしていて、笑顔になったときでもすごく悲しそうな表情をしてたのが印象的だった。
でもそんな中の笑顔でも彼女のやさしい感じはすごくつたわってきてた。
ほんでもってもう帰るって日、別れ際、彼女はおれをハグしてくれた。
日本人でそんな習慣のないおれには生まれて初めてのハグで、すごく感動した。
ああハグってこんなあったかいんだって、ほんと思った。
いまでもその感じは忘れない。

それで日本に帰ってきてどれぐらいだろう?2週間?ひと月?、彼女が念願叶い離婚が成立したって報が我が家に入り、おれは両親と「よかったねー」なんて喜んでた。
それで更に何週か過ぎ、またアメリカからの報が入り、でもそれは彼女が死んだ、離婚した元ダンナに殺されたってことだった。

いまでも意味はよくわからない。
でもきっとありきたりな話だ。
やさしい女性がロクでもない男に暴力をふるわれ、殺され。
そんなありきたりは要らない。欲しくない。

妹のダンナを除けばおおよそ自分の州から出ることも滅多にない向こうの人たちの中で彼女はまだ若かったし、日本に遊びに来て欲しかったし、おれは東京案内とかしたかった。
さらにいつか、いい相手にめぐり逢い、しあわせになって欲しかった。
月並みにそんなことも考える。

会える人には会い、自分にできることはあわてることもないけれど、すべきことはすべきだと思いはする。
でも日々の怠惰がつづき、ただ失ってしまうこともたびたびで。
よくわかんない。
なにがどうとかじゃなくて。
うん。
あまり脈絡もない。
日々は過ぎるということ。
自分は生きていて、他人は生きていて、でも死ぬこともあるし。
自分にどうか出来ること、出来ないこと。
どうにもならないこと。
毎日の生活。
不満。不安。

結論もなんもない。
あちこちした感慨があるきりで。
なに書いてんだろね。
まあとりとめはない。
いつもそっか。