國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)東大ブックトーク(捕遺)

 ガラスの仮面の告白 (角川文庫)

ガラスの仮面の告白 (角川文庫)

 

「愛とは決して後悔しないこと」

【問題】
映画「ある愛の詩」に於けるハーヴァード大の描写で間違っているものを3つ以上挙げなさい。


Scenes from "Love Story (1970)"

「ソーシャル・ネットワーク」とか「ある愛の詩」で「ハーヴァード大はこんなんじゃない!ディテールが間違ってる!」みたいのってあったんだろうか?

サンタクロースの年越し。
モチがヒゲにつく。
それですげえイライラしてコタツ板投げる。
あと、サンタの衣装がこの時期だから乾かない。
でも洗濯しないわけにいかない。
干してもずっと湿ってる。

東大ブックトークでの瀬地山氏の振舞い、ほんと単に「彼女は頭が悪いから」の東大disが気に障ったに過ぎないんだと思う。(ほんとは気にするようなことじゃないのに)

人の為すことに深い理由なんか大概ない。

特に下衆な振舞いに高尚な理由なんかぜったいない。
もうそういうの、経験則でわかってる。

(もちろん"経験則"ってことば、遣ってみたかったのです)

でもって、人ってのはそんなみみっちいもんだ、ってことから出発すんだよ。
それが"考える"ってことで、それが思惟する者の役割だ。
インテリとしての席を確保して、その責を果たすべし。
そしてやがてはエリジウム(昨日のアトロク↓で覚えた言葉)へと到達するんだよ。

晴れたる青空この先しらない

https://www.tbsradio.jp/a6j/

※ ベートーベンの第九特集で”エリジウム”って出て来た

 

ずっと前から思ってるけど、姫野カオルコ、韓国で出るといいのになって。
絶対、これはわたしの本だ、って思う人がいるはずだから。
(もちろん韓国に限らないけど、日本とも事情が似てる部分があるんじゃないかって思ってるから。旧弊な価値観と新しさの同居、軋轢、そこに上手く乗れない人)

すごくざっくりしたイメージで言っててあれだけどさ、ともかく、韓国で出て欲しい。
とりあえずは「彼女は頭が悪いから」でいい。いちばん新しいものから過去作品へ。

 

「彼女は頭が悪いから」東大ブックトークの事が文春オンラインに出たりもして、またちょっとだけ盛り上がってもいるが、おれもまだモヤることも言いたいこともあるし、頭の中を言葉が駆け巡りもして、けど、ツイートや記事で、そうそれ、って感じで言ってくれてるもんがあるし、いいかとは思いつつも、自分の言葉をしまっとくのもあれだし、思いついた順になんか書いてきゃいいじゃないかとも思い、いまのところおれはもっぱら"いきなり不機嫌"のみにテーマ絞ったことだけを書いており、それ以外は書いてないし、とはいえ、「彼女は頭が悪いから」の感想文で割と言い尽くした感もあったりで、でもなんつうか、そういうことじゃなくて、通じない人に通じないものかという思いがやはりどうしたってあって、けど通じない人には通じない。
だとしたら、なんの営為なのかとか考えちゃうが、理由とかそんなんどーでもいいな、言葉を出して並べてドライブさせる、それでいいじゃない、ねえ。遠慮は要らねー。でもって、ほんとは韻を踏んでラップで表現したいが、その才能がない。悲しい。


Roxy Music-Street Life (1973) HD

"Education is an important key, yes
But the good life's never won by degrees, no

Pointless passing through Harvard or Yale
Only window shopping, it's strictly no sale"

「彼女は頭が悪いから」(姫野カオルコ)の中の"東大"が対立軸(この言葉遣えて気持ちいい、たぶん人生初)になること自体ナンセンス(全共闘用語)で、東大とかほんとどーでもいいことでしきゃないのに、ほんとばかばかしい。
くだんねえ。
東大?そこじゃねえよ。
どこに目ぇついてんだよ。

"東大"なんて単に名前だ。他に幾らでも置換え可能なそれでしかなく、置換え可能な事にミソがあるし、いっそ"仮称:東大"とかでもいいくらいで、それがなんで現実の東大に遠慮しなきゃなんねーんだよ。ばからしい。くだらない。

現実の事件にインスパイアされて東大の名称使った以上は、現実の東大に遠慮しろとか、一体誰が決めたのか。なんだそのルールは。どこぞのマナー講師か?!

"東大"とか"ぴかぴかのつるつる"とか、そういうのは小説をドライブさせるための仕掛けで、その妙味もわかんないんだったら、そもそも何を読んでんだ。意味わかんない。字面追ってるだけ?リアリティってのは脳みその中で己で構築するものであって、東大さんに配慮してどうこうするものではない。

微細に入り組んだ権力構造や、小さな心の動きや、そういうものにコミットしてるのが「彼女は頭が悪いから」で、読んでけば心がざわざわすることもあるし、グッと来ちゃうこともあれば、場面によってはほんわかしたりもする。そのほんわかや喜びが、ごくつまんない日常の中で侵されるやりきれなさだってある。読みながら、そういうの感じないなら、情がなさすぎる。

論文でもデータでも論評でもコメントでもないんだ。これは小説なんだ。論理の組み立てやなんかから零れ落ちちまう、そういうもんをコツコツと拾い上げ、いつの間にやら、竹内つばさにも神立(かんだつ)美咲にも、あの人にもこの人にも、出会ってしまい、目撃してしまい、時に俯瞰から、時に主観映像としても経験する。

なんつかもうひとつ上手く言えた気もしないけど、でもさ、なんつかさ、でもさ。

あとさ、冷静に分析してる体のもんがいちばん頭に来んだよな。
そういうのって冷笑系と何が違うんだよ。ネトウヨとどこが違うんだよ。自称辛口かよ。毒吐いちゃいますかよ。
熱いパッションはねーのかよ。
この世界をどうしたいんだよ?
理想はねーのかよ?

まずは理想を語れ、話はそれからだ。そっからスタートだ。分析とかしてるヒマなんかあるわけない。いや、分析がわるいんじゃない。するなら熱い分析を!パッションをぶち込め!

とにもかくにも、かくにもとにも、自分の言葉で自分の理想を語らないのなら、何も言ってないのと同じ。
え?なに?「熱くなっちゃってえ」か?
「ヒューヒューだよ?ヒューヒュー、ヒューヒュー。あついあつい」って口にして良いのは牧瀬里穂だけに決まってんだろ。おまえじゃねえ。

 


ヒューヒューだよ.

 

タイトルだからキャッチーに"紛糾"ってなってはいても(この記事自体はいい記事)、実際んところは瀬地山角(せちやまかく)教授がホスト側としてはあり得ない態度でひとりで苛ついて不機嫌剥き出しで掻き回してただけで、トラブルメーカーがただ1人いたってだけだ。

東大生強制わいせつ事件で議論紛糾――小説『彼女は頭が悪いから』が果たした役割とは? | 文春オンライン

瀬地山教授は姫野カオルコの他の作品を読んだことがあんのだろうか?
もし、あったとして、あれだとしたら、どういうことなんだろう?シンプルにふしぎに感じる。

 

で、ずっと怒りモードだったんで気がつかなかったんだけど、瀬地山氏、せっかく姫野カオルコを迎えたのにすごくもったいないことしたのかも知れないなって。

ジェンダー論やフェミニズムという観点からしたら姫野カオルコ作品というのは掘りがいのあるものなはずで、仮に「彼女は頭が悪いから」への彼氏の評価が低いとしても、それは東大がどうしたじゃなくて、ジェンダーというものを考察していくには、この作品ではここが足りない、もっとこんな視点が欲しかった、こんな読み方も出来る、みたいな、なんていうか自分の研究に引きつける形での批判をして、むしろ批判的であるならば栄養として積極的に摂り込むぐらいな方向へもってけばよかったんじゃないかしらと。

それに当日までに当該作品以外にもせめて直木賞獲った「昭和の犬」や他の作品にも2、3は目を通して、いきなりの批判などではなく、立体的な意義のある質問を考えておけばよかったんじゃないか、そういう方向だってあったんじゃないかしらともいま、思う。

それにおれは怒りモードだったのもあって、瀬地山氏、あれじゃ自分の研究の根幹を自ら否定することんなって、この先どうすんだ?!と強い調子でも思ったりもしてたけど、それだけじゃない、せっかくの機会を失ったじゃないかって、なんていうか、プラスになる可能性だってあり得たのにもったいないことしたって。

せっかくジェンダー論という観点からしたら興味深い対象であるはずの姫野カオルコを迎えたのに、それを活かす事が出来ず、機会を閉ざしてしまったじゃないかって。

それだけじゃない、今回の件で瀬地山角という人に興味があった人にも今後、コンタクト取ろうって考えてた人もいるかも知れないのに、そういう人たちの心を閉ざしちゃったんじゃないか、コンタクト取るにも怖がらせてしまい、機会を喪失してしまったのじゃないかと。

もっともっとおもしろい展開だってあり得たのに、それを瀬地山氏自ら潰してしまったんじゃないか。もったいなくないか?

自らのジェンダー研究の中へと姫野カオルコ作品を導いて、研究の一助とすることも可能性としてあったかも知れず、さらには学生たちと授業の一環で姫野カオルコとの直接な対話へと導くことだってあり得た話で、そこからだって得られるもんはあったんじゃないか。したら、もったいなくない?

せっかく自分のホームへと今回姫野カオルコの方から訪れる事があったのだから、いい意味でその機会を利用して、自分のフィールドへと引き込んでもよかったんじゃないか?

機会損失、もったいない。
そんなふうにも今回、考えられるなって思った。

"東大"に自ら足元掬われてすっ転んじまって、肝心の"ジェンダー"がどっかすっ飛んじゃったんだよな。もったいないよ。ほんともったいない。(厭味で云ってるわけじゃない。ポジティブな可能性があれば、そっちを考えたいから。そうじゃなきゃ世界がつまんない)

 

そういや、ジェンダーだとかフェミニズムに関心があって姫野カオルコが視野に入って来てないとしたら、そういう人はどこを見てるんだろう?
姫野カオルコはフェミニズムを銘打って作品を為す人ではないけれども、女性として生きていて感じる小さな(この"小さな"が大事)ゆらぎを書き留めて来た人で、そういう日々の中での思いがどんなふうであるかを、それ自体は小さくても、殊更に事件ではなくても、取り上げるには大きな事で、フェミニズムという考えや言葉はそんなふうなとこから立ち上がって来んじゃないのかなって。

いまは便宜上というか、流れでフェミニズムとは言ったけれど、それがジェンダーに関する考察でも、平和への希求でも、日々の安寧への願いでも、地球上のどこでも、大気圏外飛んでる宇宙飛行士でも、出発点はその時時の小さな気持ちのはずだよ。そこが苦しいから、なんとかしたいって。

世界から見れば小さな苦しさ、見捨てられている、見てもらえない苦しさ、そこへ焦点を当てて描写出来るのが小説のひとつの得意だし、そしてまた、小説では為せない大きな問題を解決するのも、個人の小さな苦しさを安寧へと導くためのはずで。

(しかし文春オンラインの記事で姫野さんの写真見ると顔が赤く、マジ体調悪かったんだなとあらためてわかるな。
元から体調わるいとこに持って来て、多数を前にしての緊張があった上に雰囲気のわるい展開になってしまい、悪いことが重なった日になっちゃったんだなあ。
お大事に。)

 「ハップグッド君、きみのような名門の出で、しかも高等教育を受けた人物が、なぜそのような生き方を選ぶのですか?」「なぜ?」ハップグッドによると、ハップグッドはこういった。

「それは山上の垂訓のためです」 すると、ムーン・クレイコームの父親はこういった。「それでは、午後二時まで休廷します」

では、山上の垂訓とはいったいなにか?
それはイエス・キリストによる、つぎのような予言である。

心の貧しい人たちは天国を受けとるであろう。悲しんでいる人たちは慰められるであろう。柔和な人たちは地を受けつぐであろう。義に飢えかわいている人たちは、それを見出すであろう。あわれみ深い人たちはあわれみ深く扱われるであろう。心の清い人たちは神を見るであろう。平和をつくり出す人たちは神の子と呼ばれるであろう。義のために迫害されてきた人たちも天国を受けとるであろう。などなど。

『ジェイルバード』(カート・ヴォネガット)

 

「人種問題」スタッズ・ターケル
項目:「女たち」−白人季節労働者:ペギー・テリー(1990年)


「あたしにも、おぞましいことを口にしたり、信じていたころがあった。いつかまた、そういうことになるんじゃないかと思う。思いだすのよ、公民権運動に参加する前の四十歳の私を。南部生まれだから、よけいダメ。南部生まれは思ったことをつい口にしちまうから。しょっちゅうよ、考える前につい口がすべっちゃうの。ユダヤ人も憎むように育てられた。彼らがキリストを殺したとかで。反黒人の意識はそのままでね。黒人がこう言うのを聞いたことがある。ユダヤ人はこの国にいる黒人に感謝するべきだ。黒人がいなかったら、ユダヤ人が餌食になるんだからって。この国に移民がやってくると、いつだって彼らよりちょっとだけ上の人種がいる。あたしの見方では、ユダヤ人が黒人よりほんの少し上。社会にはいちばん上の層と、いちばん下の層がなくちゃならない。だれかがどん底にいなければならないわけよ。自分より下の人間は必要ない。そういう境地に達したとき、人ははじめて大人になる。わが身を振り返って、自分はこのままでいいんだと、言えるようになったときにね。あたしは下の人間なんて必要ない。あたしと同じ階層の人間がなんのビジョンも持てずにいるのは、ひとつには人種間の憎悪のせいよ。だれかを憎むことで精いっぱいで、人間がどれほど美しいものなのかも、世の中のすばらしいものをどんなに破壊しているのかも、気づこうとしないのよ」

 

おれもいつか”大人”になれるといいな、って思う。

なれそうもないけど、けどでも。