國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

リリー・フランキー

ゆうべの「爆笑問題のススメ」、リリー・フランキーが出演したその一部をまたやっていたので彼の言をここに収録。以下。
「なんかこうハッキリしたひとつのことに向かていくことがすごい正しいみたいになってるけど、
でも、そうは思わないんですよね。
例えばこう、セックスしてえなぁと思った5分後にボランティアで自分の出来ることはないかなあと思ったりとか、
で、そう思ってる3分後ぐらいにあいつ死ねばいいのにな、ほんとに、
とか思ってるその直後に戦争はいけないなとかいろんなことを人間て1日の中で思うじゃないですか。
で、ぼくはなるべくその全部思ってることを作品にしたい」

シルヴィア・プラス

「ベル・ジャー」買ってしまった。最初の方だけちょこっと読む。
けど最後まで読むとは保証出来ない。もし読めた暁には「読了。」の報告をしよう。
それがない場合には読んでない、ってことだ。
田舎町からニューヨークへ出て来た女の子が都会のススンでる女の子にコンプレックスを抱いたり、
所詮「田舎の優等生」でしかない自分に悶々としたりといった話具合で、とてもありがちで、
その分読んでて切なく、感情移入してしまう。
今まで(たぶん)翻訳がなく、日本で青春小説の定番になってなかったのが不思議なくらいだ。
翻訳はNHKの朝ドラ「こころ」の脚本家の人(紋切り型の話だのにいきなり中越典子の旦那の仲村トオル
死んでしまい、見ている人みんなビックリってのを書いた人だ。)で、プロじゃないので、
どこか読みづらい。上手く指摘は出来ないけれど。
それはともかく「ベル・ジャー」、なんかいい感じだよ!みんなも読むといいよ!ガーリーに遅刻は禁物だよ!

車社会

ブックオフで「ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー」をめっけて購(あがな)う。
何篇か読む。予期通りにおもしろい。
中で「なぜ誰も歩かない?」と題した一篇は文字通り、ほんの近所へ行くのにも
(歩いて6分のフィットネスクラブへ行くのにさえも)、
いちいち車に乗って移動する現在のアメリカ式生活様式への注釈だ。
そしてそこには歩道がそもそも見当たらないということが書いてあった。
おれが妹夫婦の住むアトランタへ行った時に実感したのはなにも稀有なケースじゃなかったってのをこれで傍証を得られた。
だってさ、妹の家はアトランタの新興住宅地にあって、日本じゃとても考えられないくらいに広い広い家で
5つも6つも7つも部屋があって、それ以外にもランドリー・ルームとかが更にあるわけで、そして庭!、こいつがでかい。
日本の住宅街にあるような公園なんかよりもでかい。野球が出来る、少なくとも三角ベースは可能なくらいには広いのだ。
それで日本円にしたら1000万円しないらしい。
ええと。歩道だ。歩道。歩道の話に戻る。
で、その家の前には道路が走ってるんだが、これがまるきりの車道。それほどの交通量があるわけでもないが、
例えば向かいの家へ行くとしても、ちょっと躊躇ってしまう。隣の家へ行くのも危なっかしい。
大人でもそんな感じを受けるくらいであって、これが子供じゃ尚更に無理。自転車で近所をぷらぷらだなんて出来やしない。
家がいくら広いとは言っても、実際がところ、自分の家の敷地からはでられないのだ。
ホテル・カリフォルニア状態なのだ。チェックインは御自由に/但しチェックアウトは出来ません♪ てな感じなのだ。
古くからある町ならばまだしも、妹の住むような新興住宅地ではそもそも歩道を作らないのだ。
《 ここ三十年の間に開発された都市近郊の住宅地へ行ってみれば、どこにも歩道というものが
ないのに気づくだろう。横断歩道がひとつも見当たらないことも少なくない。 》
「ドーナッツをくれる郵便局と消えゆくダイナー」(P.140)