日記
テクノとかハウスとか、そういった門外漢にはさっぱりの、知らない名前がいっぱいいっぱい
出てくるようなジャンルの音楽を聞いてるような人たちがもし30年以上前だったなら、
どんなジャンルの音楽をどんな風に聞いていたのだろうかしらとちょっと考えてみたりする。
と、しかし、ここで思考はストップ。特に具体性のあることが思い浮かんでこない。
そのうち浮かぶといいな。ともかく。昔は情報量とか、手に入るレコード、いや、レコード屋
自体の数が限られていたわけで、そういう時代にシフトしたら、今現在マニアックに
なにかしらのジャンルを追求している人は一体なにをどういう風に聞くのか、ってのは
ちょっと興味ある。それにまた、もう結構な年になっているマニアの人、けれどテクノだとか
ドラムンだとかは全くに興味の対象外、みたいな人でも、今現在の若者として生まれてたら、
今風なものを追及しているのだろうし。だからどうしたって話だが、とりあえずね。たまに気になる。
そういえば「新宿レコード」ってまだあるんだよなあ。スゴイなあ。
これだけ世の中が変わったっていうのに。
もう四半世紀近く前、柏木公園のごく近く、ビル(今なら東京麺通団とか入ってるビル?
それとも隣か、なんかそんな辺。)の1Fに大きなフロアーで新宿レコードはあったりしました。
はてなの編集画面でURLだとかキーワードだとかのタグ用にボタンがあって、Firefoxにした当初、
あれ、日記の仕様、変わったんだと思って、へえぇ便利なものが、とか感心していたところ、
つとOperaに切り替え、同じ編集画面を見てみたら、これがまったく、件のボタンが
見えないじゃありませんか。なんと前からあったのか。Operaだと見えない仕組みだったとは。
クリビツ。ブラウザが違うとこんなにも違うって体感しました。
そういえば「ファイト」見てないなあ。録画しないと見れないので、つい忘れちゃう。
で、本仮屋ユイカぁ?どうせ子供だろう、それがどうした、とか思っていたが、いざ
「ファイト」を見ると惹かれる。彼女、顔つきは幼くかわいらしいという作りではなく、
どちらかといえば大人びた感じで、まじめそうな顔立ち、そこらへんが却っておれには
アピールしてくる。つうか、彼女が好きなやつは大体そういうトコが好きなのかしら。
つうか「ファイト」見ないと。見てないので筋とかさっぱりわからん。
たまにぼんやりと画面を眺める機会はそれでもたまにはあるのだが。
けど、おれのほんとのタイプは猫背椿だから。
参照:http://www.lifecard-choice.com/top.html (出会い篇をチェックのこと)
小林旭
来たよ、『東京の暴れん坊』! (asin:B0006N2FJ0)
タイトルバックがこんな感じ。
小林旭の歌に合わせて、書割りの背景に出演者が顔を見せる。
その際、役者の顔と名前が重なる仕様。
たのしい。ハッピィ。
勉強
勉強出来ても、頭がよくても、得より損の方が多い。
先日立読みした「ダヴィンチ」で呉智英がいみじくも言っていたように「無知こそは力なり」だ。
余計なことは知らない方が大体しあわせ。
頭がいいとか、勉強が出来るとか、図抜けていれば又別かも知れないが、
中途に勉強なんか出来たって社会活動には不適切なだけだ。
家が金持ちとか、その他周りの環境に恵まれて、尚且つ頭もよっぽどによろしければ
上手い方にも転がるかも知れないが、家が貧乏だったりしたら、その時点で人生オシマイ、
ロクなことにはならない。勉強が出来てひとりぽっちより、バカでともだち多い方が絶対にイイ。
おれは勉強は中途半端、クラスで2番止まり、学校も2流の県立高校〜2浪〜明治学院大。
(しかも就職は出来ず。やり方わからず。サイテーだ。)
親は肉体労働者。我が家は流行先取りで30年以上前から年収300万円(以下)時代だ。
だから不況とかいっても、いまさら驚かない。
むしろみんな貧乏になるのなら、ホッとするくらいなもんだ。
そしてどういうわけか、おれもその後を継いでしまった。42歳、下層労働者。
そうじゃない方策だってあっただろうに。
(唯一、サラリーマンのかみさんになった妹が我が家の出世頭。
でも英語なんか出来ないのに結婚してアメリカ行って、
なんとかやってるんだから、エライもんだ。)
先々不安はもちろんいくらもあるとはいえ、今現在なんとかやってるので、まあそれでいいさ。
思ったよりもひどくはない。というか、だいぶんマシだ。昔を思えば。
日当たりのいい一軒家。ローンはまだ残っているが持ち家。
なんだかウソみたいだ。収入は低いが、夕食は先日の如く豪華極まりない。おかずがいっぱい。
しかも家は家族揃って健康なので、それはまったく恵まれている。
誰も寝込んだりしない。見たことない。
年食うと実感するが、カネなんかどうにかなるが、身体が第一、健康ほどありがたいものはない。
でもそうなると身近でも身体(しんたい)思わしくない人がいて、それは切ない。
「しあわせ」ってのは自分の分しかない。なんだかやりきれない思いをすることもある。
こうして生きて平穏であることがどれだけありがたいことか。
でもそれは自分だけのことでしかない。もう既に死んでしまった人もいる。
時々よくわからなくなる。この世界はひどいとこだしな。
でもちょいとこうして感傷的になったところで、単にそれだけでしかないので、
自分の心配だけして、もうちょいラクな生活を望んで生きていくさ。
1000年後、この世界はどんな風になっているのだろう。