爆笑問題のススメ

- アーティスト: Badfinger
- 出版社/メーカー: Warner Bros UK
- 発売日: 2000/03/13
- メディア: CD
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角田光代の佐野元春云々、間違えた。誰だったっけぇ、佐野元春ファンの作家の人。
そんでその人はもう以前に「爆笑問題のススメ」に出たことがあって、
そこで元春にバラの花束を贈って云々てことを既に話していたような。。。。
(それは大ファンの彼に会った際に元春にバラの花束を「これどうぞ」と差し出したところ
元春は黙ってそれを受け取り、そして香りを嗅いだ後、「・・・ありがとう。」と一言。
・・・カッコイイ。ひたすらにカッコイイ。
世の中で唯一カッコイイのは佐野元春だけ。
世の中で「キッズたち」というフレーズを遣っていいのは佐野元春だけ。)
あと角田光代、やっぱり世間で評判の通りに愛ちゃんに似ている。
是非卓球をしてもらいたい。
それと牛タン屋の話、あれって同伴出勤とかのあれだよなあ。
でもそんなん云ったら、ちょいと味気ないので、見ながら気づいてないフリをしてた。
※ あ。小川洋子だった。モトハル。
http://d.hatena.ne.jp/andre1977/20040803#p1
花より男子
そうか、「花より男子」、映像が堤幸彦による「金田一少年の事件簿」以来の
先日の「女王の教室」でもその後の「野ブタ。をプロデュース」でも
いや、昨日の「着信アリ」だってそうだとも云える、陰影の強い、照明や撮り方がスタイリッシュなそれで
つまりはそれだと画がカッコよくはなるけれども、一方暗い印象でもあって、
その中でいじめだのなんだのが展開されると暗いものがより暗くも感じられる、
そんなこともたぶん大きいのだとさきほど思いついてみた。
だからなんつうかもっと全体に明るい画面でやってくれるといいんだけどなあ。
(「ドラゴン桜」はそういえば画面の印象は明るかったような気がする。)
(わからんけどな。スタッフとか被ってたりしてな。そんなこと云ってたら。あとは知らん。)
トップランナー
先日再放送があったので録画して木村カエラの回を見ることが出来た。
そうなんだ、彼女、そもそもが歌手になりたかった人なんだ。
なんだか企画でたまたま歌ってみたら、思う以上に歌が上手かった、
みたいな話かと思ってた。
大体おれが彼女を知ったのは、意識したのは近田春夫が例の「考えるヒット」で取り上げてて、
その評価が高く、ああそうなんだぁ、ちょっと聞いてみたい
とか思ったのが最初で、その後レンタルなどして、ああ確かに歌も音も達者、よくできてるじゃん
とか感心したりしたのだったが、近田春夫の書いてたのと「sakusaku」がどうのとか
おれの知ってる僅かな情報だと、たまたま歌ってみたら、みたいな風だった、と。
歌手になりたいあまりに「sakusaku」のプロデューサーに自ら直談判したくらいで、
番組の企画が先んじてたわけじゃなかったのね。
木村カエラ、べしゃりはあんましおもしろい人ではなかったなあ。
あと歌は確かに見事で充分に聞かせるいい声の持ち主なんだけど、
自分で書いている歌詞、これがあんましおもしろくない。
ひたすらに生真面目な感じ。まじめに考えていることがそのままマジメに表現されている。
現在主流の自己啓発ソングとはそれでも違うんだけど、でもまじめな見解の表明ってだけじゃ
却ってなにも伝わっては来ない。グッと来ないんだよな。つまりは。
ああそうか、この人はこんな風に考えているんだなあ、という感慨があるばかり。
彼女が番組で自分の曲の解説をしていたのだけれど、それがひたすらに一生懸命で
生真面目で、そして歌詞はそれを一切裏切らず、彼女のべしゃり、そのまんまなのだった。
サウンドもヴォーカルも見事でカッコよく、でも歌詞が、ってのが
今現在「ロック」をやるってことの限界なのかなあ。
「ロック」という括りが生真面目な、つまりは膨らみのない、聞く前からなにをしたいか、
なにを云いたいのかわかってしまう、痩せた「自己表現」てことを確実にしてしまうのかも知れない。
自己完結してる、っつうかね。
(以上、ことばの流れに身をまかせただけなので、自分でも云ってることが抽象的で
よくわかってない。あと木村カエラの分析が当たってるかどうかも自信がなくなって来た。
こういうのは書いてるうちにその文章自身が増殖を始めてしまうので、
元の題材とは実は離れていってしまう場合も多々、なのでな。
といって、ちゃんとカエラちゃんの歌詞の研究とかするほどに思い入れがあるわけでもなく
たまたまの話のキッカケでしか結局なく、書いてるうちになんとなく展開して行くというパターン。
でもそれらしい、なのでオール・オッケー。)

(例えば)少子化
でもさあ、どう考えても江戸時代よりもずっとずっと人口は多いよなあ。
ほんとほんと、みんな、なんで?ってくらいに直近でしかモノを考えないのはなんで?
人類単位で考えるべきじゃん。モノ考える以上は。
自分の心配してんのならともかく。
思想っつうのはそういうもんだろ?
生活の心配なら、おれなんかもっとふつうに心配してるよ。
おれだって年金やらなにやら、ふつうに心配さ。
でもさあ、論じるべきは人類の来し方行く末じゃないのかいな。
それが思想である以上は。
でもそういう端から、どうせ滅亡のその日までずっとこのまんま、
べつに人類なんてそんなもんだし、よく考えたらどうでもいいか、とも、つい考えてしまい、
なんだかどうでもいいような気もしてしまい、だるい気持ちにもなってしまい、
考えるだけムダ、考えるのがたのしいから、止められないから、考えてるだけ、
考えたところで世の中は勝手に動くっきりで、思想なんてどのみちおまじないにしか過ぎない、
だったらなんだろなあ、もうなんだかよくわからん、つうか、毎日がつまらん。
もっとたのしい人生になんねえなかあ、彼女欲しいなあ、ラクしたいなあ、
自分の時間が欲しいなあ、オカネ欲しいよなあ、切ないなあ、むなしいなあ、とかなんとか。はー。
日記
相互不信で成り立っている社会そのものを根本から変えること。
文明の不可逆性について。
考える、ってのは「考える」ってそのこと自体が目的だよな。趣味の一種。
既にゴール。つまりは行き詰まり。
「考えたところで仕方がない」とは励ます際によく云うが、
それって思想とか哲学とかについてだってまったくおんなしこと、云えちゃう。
自分の人生も生活も、人類のゆくえも、なるようにしかならない。
一生懸命考えたところで、いっくら良心的だろうと、合理的だろうと、
大方の人には関係ない。てか、大体世の中、すっごい程度の低い事で動いていて、
だとすると高尚な、いや、高尚まで行かなくとも、ごくふつうに真っ当な考えであっても
世間からしたら、だからどうした、っつうか、そんな考え、知らん、聞いたことない、
ってだけだよなあ。「モノを考えるギョーカイ」の中の話ってだけ。
大層な思想だって、現実にはえらく下世話に機能するだけ。
嫉妬とか面倒くさいとか、支配したいとか、やる気がないとか、性欲とか、功名心とか、
なんやらかんやら、そういうことで人は動いてるし、思想なんてものがあっても、
せいぜいがそういうもののお飾りや言い訳にいいように使われるだけ。
神の名を騙る輩の如何に多いか、ってだけ。
正義という名で暴力をふるうのなんてありふれてる、ってだけ。
人に大義名分を与えるとロクなことにはならない、ってだけ。
そうじゃなければ、ぜんぜん役にも立たない、ってだけ。
どのみち人類なんてどうしようもない、ってだけ。
思想ってのはひとりにつき一個、人類は代がいくら代わろうが、考え続けてしまう。
考えても詮無いのに。人類が相互不信から逃れたことなんておおよそないのに。
自分にとって自分の人生は絶対的に存在していて、考えざるを得ないから、
幸福を求めざるを得ないからやっぱり考えてしまう。
考えても詮無いのに。人類なんて発祥以来、ずっとどうしようもないのに。
そういう意味じゃ、なんにも変りはしないのに。
てゆうか、地球の生物の一種でしかなくて、そいつが自意識だなんて余計モン、
持っちまったばっかりに、自分てのは、人間てのはなんか特別なんじゃねーか、
だとしたらあらゆる恐怖から、やがては死からも逃れ得るのじゃないかと勘違い、
文明もだいぶん発達しましたが、自然からしたら、その一部、
いや、「一部」って考え自体が人間の得手勝手、自然には輪郭も区別もない、
すべてが細部ですべてがすべて、どっからどこまでなんてのもない、
なにがどうなろうと、ただそれはそのまま、そのもの、
つか、自然には自意識なんてないし、擬人化したらその時点で負け、
思いついた順なので、なにがなにやらテニヲハ、序破急、等、なんもなく、
そろそろ止めとこうか。疲れたゎ。ふー。
・・・という具合に考えるゲームはたのしいんだよねえ、止めらんない。
みんな大好き by 松尾羽純、みたいな?