國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

80年代的映画監督

という括りを拵えてみて、この中には森田芳光大森一樹大林宣彦伊丹十三、といったあたりを入れてみる。
この人たちに共通なのは本来小さなアートフィルムを撮るのに向いているにも関わらず、大衆的な作品を撮らなくてはいけないという間違った思い込みがあり、それを実行したこと。
彼らは邦画の全盛期、週替りで映画が製作公開されていた時期を実際に知り、満員の映画館で立見で映画を観ていたという経験がからくもあり、しかしその後、自分で映画を撮る段になったらもう既にスタジオシステムは崩壊し、邦画の製作状況はまったくのドン底、観客数も激減。そして青年時代にはヌーヴェル・ヴァーグ、ニューシネマを体験し、その影響も当然強く、映画を撮る際にはそういった傾向があたりまえに出ても来る。
そうした背景のうちに彼らはつまらない娯楽作品(既に矛盾しているが)を作り始め、そうこうするうちに90年代に入り、邦画の状況自体が変化し、彼らはお払い箱になってしまった。

  • 現在の邦画の活況をもたらした一因としてのレンタルヴィデオの普及拡大、それがまた天皇崩御の日にビデオ屋の棚がカラになった(その時ビデオ屋で働いていて、おれは現場にいた)、といったあたりもなんかこじつけてみたい。
    (映画が都市の娯楽、学生、独身者の娯楽から、地方でも、仕事に就いてからも、結婚してからも観る習慣が復活したこと。)
  • 名画座からミニシアターへの移行
  • 80年代に潜伏していて、90年代に入り、浮上して来た人
  • Vシネマというプログラムピクチャーの復活(潜在的映画人口の増加)
  • シネコン→娯楽、行楽としての映画の復活