國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

現世利益

夢がどうしたこうした、って歌がまったくの主流になって来たのはきっとミリオンセラーの大ヒット曲だのに、
口づさめる人は限られている、歌のタイトルさえ知らない、そういう事態になった頃からじゃあないかと思う。
つまりはTVから音楽番組が「ミュージック・ステーション」以外消え去り、CDシングルのレンタルが
急激に伸びたあたり、つまりは80年代の半ば過ぎくらい。
その時点で演歌は死に、従来の歌謡曲というものが実質終った。
主たる購買層が完全に若いもんに移り、レコード会社もプロモーションの方向を若者に絞り込んだのだ。
そう、若いやつには漠然とした「未来」がある。「明日を信じてがんば」ったり
するような余地があるような気がまだぜんぜんあるのだ。
30歳過ぎて妻子抱えて仕事してたり、あるいは独身でこの先どうなるんだろう、
なんて人間や、更にもっと年配になり、人生なんて終わってるに等しい、
老後への不安を抱えた人間や、既に老人である者が「明日を信じてがんば」ったって、
もうどうにもなりゃしないのだ。
明日は悪い予感のするばかり。そんな歌、慰めにもなりゃしない。
そしてまたシンガーソングライター、あるいはバンドなど、歌詞も曲も自分で作るような連中が
もうぜんぜんめずらしくなくなり、すると彼らは当然若い、彼らの「夢」は芸能界での成功である、
つまりはそれこそが歌詞のテーマになる、自分への応援歌になる、
そんな曲がヒットする、みんなマネする、それがまた売れる、影響を与える、マネもする、
そのうち歌詞ってのはなんかそういうもんだとみんな思うようになる、
もちろんそれは自作自演ではない、アイドル歌謡などにも反映される、アイドルに作詞もさせる、
するとそれがまた判でついたように夢がどうこうってのになる、
とにかくも、あっちもこっちも「夢」だらけ。人はいつまでも若いわけでもないのに。