國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

珈琲時光

「好男好女」も「憂鬱な楽園」も「ミレニアム・マンボ」も、ここんとこずっとまともに働いたりはしない男
(大概ヤクザ)と若いねーちゃんの恋愛話ばかりのような気がするのは、リメイクを繰り返しているような気がするのは、
おれの記憶がいい加減なせいだ。(大体「フラワーズ・オブ・シャンハイ」、観てない。)
ストーリーとか憶えられない。確かめる気にもなれない。そんなことしたらなんかつまんない。
ただ思いついている順を並べてるだけがいいや。いまは。そしておれはその繰り返しが気に入っている。
侯孝賢はヤクザとか、ふらふらしてる若いのとかの描写が上手い。出て来る人物があんまり立派じゃないのって好き。
そこらへんの俗悪な人間に感情移入出来るのは映画の特権てもんだ。
「ミレニアム・マンボ」、スー・チーの彼氏はなんにもしないで、ただ遊んでるだけのしょーもない男で、ディスコ行くか、
部屋でDJしてるか、クスリでもやってるか、同棲中のスー・チーの持ち物検査して嫉妬心に駆られてるか、そんなとこでしかない。
スー・チーだって別に立派な人間なんかじゃないし。単なる家出娘。ただホステスやったりして稼ぎはひり出したりはしている。
そうせざるを得なくなるんだが。そんな彼女も大概遊んでる。
今回「珈琲時光」は主題歌は一青窈には違いないが、サントラは一体誰がやるんだろう?
また林強がやってくんねえかなぁ。「憂鬱な楽園」も「ミレニアム・マンボ」も彼だ。
「憂鬱な楽園」のナイン・インチ・ネイルズみたいのも、「ミレニアム〜」のハウスっぽいのもどちらもよかった。
特に記憶に新しいので言うが「ミレニアム〜」、部屋で小さな音でアンビエントっぽい
(ここらへんのジャンルには疎いのでみな「っぽい」がつく)のが流れてるのがよかった。
流れてる音楽はセンスいいのに、やってる生活はしょーもないってのもよかった。
しょーもないけど、でもオシャレなんだけどな。部屋ん中は結構片付いてるし、調度もコジャレてる。
彼氏はDJの真似事してるし。でももちろんDJってわけでもない。
実態は単にふらふらしてるだけの若いにいちゃんとねーちゃんでしかない。
「ミレニアム・マンボ」、画面に魅力があるんだが、そういった場合、それを指し示す的確なことばの紡ぎ方がわからない。
というか、出来ない。そういう能力には欠けている。もどかしい。なんとか上手いこと言ってみたい。
手応えが欲しい。ガツッと決まった!って感じね。それが欲しい。
わかる人には「ね、わかるでしょ?あれね」みたいので通じるようなものだが、それをこそちゃんと伝える言葉を得たい。
映画で画面が魅力的で惹きつけられてしまうというのは、その触覚的な気持ちよさについては全くに語りづらい。
そこにある生々しさや空気については一体どう言ったらいいものか。
更に言えば画面がつまらない場合と惹きつけられる場合の違いってのは一体なんなのかが結局はわからない。
なんでそれがよくって、あっちはだめなのか。そっちがいいのに、こっちがだめなのか。
その差をハッキリさせたい。
いい場合は困るよなあ。特に。だってなんかいいんだもん。とにかく。どうしてかはわかんないけど。