國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

だるい。
疲れてるし、ぜんぜんアイディアのあることをここ数日書いた気がしない。確かにそうだ。
でもだるいからいいや。なんかもうどーでも。
毎日毎日おれはなにを考えているかというと5年前に戻ったら、10年前に戻ったら、15年前に戻ったら、20年前に戻ったら、
どうしようこうしよう、ってそんなことばかり、そんな退嬰的なことばかり考えている。
こういうのってもうずっと昔からだ。ぜんぜん前向きじゃない。
過去は安全だし、いまは昔よりは知恵がついてるし、そりゃ以前に戻れればもっと賢くできるが当然。
まったくもって後向きだが、これって要はおれの性格ってだけで、考え方を変えるだの変えないだのって問題じゃあない。
一生こうやって生きてゆく。それでもまあなんとかなる部分はなんとかなったし、
まあいいんじゃないの。ま、いいよ。テキトーに。
気が小さくて大雑把。「テキトー」一本槍で行ければそれはそれで大したもんなんだが、
いかんせんおれは時に自意識過剰ではあるとしても、けして無意識過剰ではないのでそんな豪快なわけには行かない。
(ああ。「自意識過剰」ってことば、遣いたくなかったんだよなあ。ムダに重い。
イメージがつきすぎていて、中庸に、単なる単語としての使用が事実上不可能だ。こいつは。ウザイ。
なので、おれの美意識が許さないんだが、しかし用語として必要に応じたので仕方がない。
文章自体を書き換えてこの手の自分にとって鬱陶しいことばを排除するにはいまはそこまでのやる気に欠ける。
ので、このまんま。)←こういう注釈もふだんは避けるようにしてるんだが、今日はだめ。
なにもかも出しっぱなし。やりっぱなし。
ああなんてことでしょう。この手の日記的書き物のうち最もつまらんもの、それは自分の性格がどうたらこうたらって話。
しかもぜんぜんネタになってない。単に自分に対して説明しているだけだ。いまさらバサラ。ケセランパセラン。
歯医者に行くと絶対に歯医者に行った話を書かざるを得ないというこの手の日記的書き物を書く人間ならば、
いやさ読んでる方でさえもが、誰しもが思い当たるのといっしょな類の正に退屈の典型。
でも書いちゃうし、読んじゃう。そういうものだ。
ま、いいんだよ。人生たまにアタリがあれば。読み物、書き物だっておんなし。