國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

山本薩夫

「傷だらけの山河」を観る。
ストーリーしかないのだった。絵解き。まるで紙芝居みたい。わっかりやすい。正に期待通りの山本薩夫だ。
若尾文子が貧乏な生活抜けて山村聡に囲われるんだけど、その途端、彼女のルックスがまるきり
《 ザ・愛人 》になるのだった。髪型から着てるもの、仕草に至るまで。
いやあ、いいなあ。こう来ないとな。山村聡は立派なスーツ姿に常に葉巻は欠かさず、正に
《 ザ・巨悪 》なのだった。当然。
政財界の大物といえば山村聡佐分利信で決まり!
でもなんだよ、山村聡は事業の為には例え親族だろうと馴れ合わず、なにもない土地に鉄道敷いて
沿線の開発やらをする冷血漢、非情の事業者、ってことなんだけど、映画観る限りじゃ
単に合理的なだけの人にしか見えないのだった。なんかわるい人に見えない。
だって若尾文子口説く時もまずはちゃんとカネの話をして、相手の了承を取り付けてから抱くんだゼ。
それまでは指1本触れやしない。いきなり押し倒したりしない。
事業の進め方にしたって、人事にしたって、事業者ならばそうもあってしかるべきとでもいうような
合理的な裁断を下しつづけるだけ。観ていると彼の言い分に納得してしまうばかり。
そりゃまあ周りの人間に冷たいっちゃ冷たいのかも知らんが、大体カネ儲けするに
合理的でなにがわるいって感じ。
これはでも原作は知らないが、少なくとも脚本の新藤兼人がそもそもちゃんと物を考える人、
合理的な人、真っ当といってもいいか、そういう人だから、それが反映されちゃってるんだと思う。
ほんとにカネ儲けするような人ってのは合理的という以上にもっとワヤくちゃで不合理の塊
だったりするよ。きっと。資本主義自体がある種カルト、信仰なんだしさ。
それに比べて、そういう、資本主義ってのはちょっとどーなの?って考え方ってのは実は
単にまともというか、合理的な思考であって、だからこそ資本主義、カネ儲けの
カルト的な熱狂の前には理屈ばかりがくだくだしくて負けちまうか、
自身がカルトになるしかない仕組み。
その点つまりは巨悪として、否定すべき存在、忌むべき存在である筈の山村聡演じる事業家には
新藤兼人の持つ合理性が反映されてしまい、怪しげな、忌まわしいオーラが出ずに、
むしろ真っ当な合理主義者としてドラマ中最もまともな人物にさえなってしまっているという始末。
ちなみにこれ、五島慶太がモデルなんでしょうな。とはいえ、おれ、「五島慶太」って名前、
強盗慶太」の異名を持つ、って以外知らない。なんか悪い人らしい、ぐらいの知識。