國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

映画鑑賞

最近はとんと赤毛物を観る気になれず、まず観たいのは邦画、次にアジア映画で、欧米物を観る気に欠けている。
理由といってない。でもまあなんつうか、出て来る人が馴染みのある容貌をしてるいいのかなあ。
ううん。あとなんだろう、ともかくアジアっぽい風俗が観たいのかなあ。
ともかく今の気分だと欧米物って、サラッとしてる感じがして。なんかお人形さん見てるような。
実際に観ればそんなことはもちろんないし、「24」だって楽しんだりもしたんだからさ。
けどアメリカ映画でもアジア系、或いは黒人、ヒスパニック、ともかく非白人が出て来る方が
うれしいし、観たい。なんでかわかんない。よく。なんか気分でな。
白人だとなんか味がないような気がしてさ。最近。白いし。トーフみたい。食えば美味いか。
最近ヨーロッパとか関心なくてさあ。そのせいがあるのかなあ。やっぱり。
アジアとかの方が興味あるし。いや、漠然となんだけど。大したこともなく。
「渡り鳥いつ帰る」(監督:久松静児)を観る。
いやあ、これはよかった。まったく観てよかった。役者がとにかくいい。全員。
食うシーンがいい。すべて。
不実な旦那(森繁久弥。絶品)に戦時中捨てられた女と、妻子を空襲で失った男が戦時下に出会い、
やがて戦後いっしょに暮らすようになって、その二人が当時を回想しながら川べりでコッペパンを
食うんだけど、それがいいんだ。つい泣いちゃった。それにまたおでん屋を二人で始めて
旦那の方は下戸で、けど商売もあって飲む練習というんで小さなカウンターの中で不味そうに
酒をすすり、するとふと、カウンターで向かいにいるかみさんの方に酒を勧める。
おやっと思うと、「三々九度だ。」って言うんだ。たまんない。泣かずにはいられない。
(そういや「珈琲時光」、気に入った映画の場合、わるい点には目をつぶる、気がついても気のつかぬフリ、
少なくとも口には出さない方針だが、もう以前よりは時間が経ったのでこの際言っちゃうが、
食い物が美味そうじゃなかった。肉じゃがも、そば食ってる時も、忘れちゃったけど、その他のときも。
侯孝賢の映画といえば食い物が美味そうに見えるので有名、「恋恋風塵」でじいさんが油もっといるか
とかいう、なんだかよくわかんないのとか、なんか他にも菜っ葉炒めたのとか、
幾つもあったと思ったが、いかんせん「珈琲時光」、あ、美味そうじゃないと観ているときに
感づいてしまい、それは黙っておこうと思ったが、結局書いてる。)
淡路恵子の垢抜けて、スタイルのよく、キレイなこと!ぜんぜん今でも通用する感じ。現代的。
(すまん。語彙が貧弱だ。)彼女、先だってラジオで身長が165cmとか言っていて、当時としたら、
全く図抜けたスタイルだし、今だってそれだけあれば背のある方には数えられる。
ロングヘアーも似合い、その物腰、口調、スラッときれいなんだよな。まったく。
それでまた彼女、かみさん(田中絹代。武蔵野夫人よりはこういう方が地にあってる感じ。
これまた素晴らしい。)持ちの、空襲の時に女郎屋にしけ込んでて、妻子は死んだものだとばかり思い込み、
そのままその時いっしょにいた女、つまりは田中絹代、とくっつき、戦後、「鳩の街」(⇒コチラ)で
その二人して、女郎屋を始め、現在に至るってワケだが、淡路恵子はそこで働いてる、
つまりは店の主人にちょっかい、主人もそれにのっかっちまったって寸法、で、モリシゲを
口説く時に「三十女〔かみさんの田中絹代のこと〕の愛欲ってのはどんなんだい。」とかなんとか
言うんだが、その様、セリフ、ひどくエロく、昭和30年の映画にしちゃ随分大胆に思えた。
「楊貴妃」(監督:溝口健二)を観る。
この前の「山椒大夫」といい、溝口健二の映画って話がばからしいといってしまえばそれまで
みたいなのがあるんだけど、けどそんな事が小さくなってしまうようななんとも知れんものがあって
話にはノレないのになんか惹きつけられてしまう。気になる。幾度も観たくなる。
大体「楊貴妃」なんて企画自体があれだもんなあ。全然中国に見えないし。ぜんぜん日本。
これってやはり広東語版とかあるんだろうなあ。それで観てみたい。
あとこの前「新・平家物語」が観たいとか書いたけど、今度シネスイッチ銀座で11月27日(土)からの
市川雷蔵祭でデジタル・リマスター版とかいうので上映される。( ⇒コチラ
まあなんてタイミングのいい。これは是非行くわ。(予定)
「大草原の渡り鳥」を観る。
(実は昨日《 日活アクションの華麗な世界―1954-1971 》が届いた。)