國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

映画鑑賞

(気がつけばやはり観た映画、すべて記している。どうしよう。止め時を失った。)
ひさしBuriBuriに洋画を観る。
2pacで御馴染みの『ジュース』と『グッバイ、レーニン! [DVD]』。
トゥパックって、でも殆ど聞いてない。
持ってるのは『Greatest Hits』と『オール・アイズ・オン・ミー』。でもあんまし聞いてない。
ウェッサイとかドクター・ドレ系はあんましピンと来ないんだもん。
何度かちゃんと聞き込もうと思ったこともあったけど、聞いてるうちに気がつくとTV見てたり、
ネット見てたり、他のこと考え始めてたり、次なに聞こうか考えてたりで、どうも気が逸れちゃうんだな。
もうひとつおもしろくない。飽きちゃう。聞き方がわるいのかも知れない。又今度がんばろう。
で、『ジュース』、以前から観よう観ようと思いつつ、機会を逸して来た。
それが近所のTSUTAYAに新入荷したので、今回観たのです。
『グッバイ・レーニン!』は時代設定が90年くらいで、それから現在まで既に10年以上経っているわけで、
東西ドイツの壁がなくなってから、じゃあその後世の中楽しくなったか、っていうと
いろいろどうにも色々あったわけで、そういう含みもあるだろう映画で、なんだか切なく、
でも又、ちょっとした人情がやっぱりいいんだよ。「親切は勝つ」んだよ。
いろいろあるけどさ。ありすぎるけどさ。
そんでこういうの観ると思い出すのがポール・マザスキー監督によるロビン・ウィリアムス主演の
『ハドソン川のモスコー』で、あれは実に切なく、いい映画だった。
おれはポーリン・ケールの評を読んで観たくなったんだけどね。
当時まだソ連という国だったところからアメリカへたまたま亡命することになった主人公が
でもなんだかやっぱり楽しくないんだよな。アメリカに来ても。さみしくてやりきれない。そういう映画。
(DVDも出てないし、ビデオは廃盤なので、ビデオ屋でたまたま見つけたら観るのを推薦。)
あともうひとつ思い出すのは昔は資本主義の象徴といえばCoca-Colaと相場が決まってて
(そういえば『コカコーラ・キッド』なんて映画もあった)、それはこの『グッバイ・レーニン』でも
踏襲されているんだけど、そうなるとビリー・ワイルダー『ワン・ツー・スリー』を想起する。
ああもしかしなくても『グッバイ・レーニン!』の監督は『ワン・ツー・スリー』や
そうじゃなくてもワイルダーの映画を意識してるかも知れないや。
そして邦画も観ました。やはり。『日本沈没 [DVD]』。
映画版はもしかすると初めてかもしれない。観るの。TV版も断片的にしか観てないし。
(それはTBSでやってて、始めそいつを見るつもりだったおれは日テレの同時間帯、日曜夜8時、
にやってる「水もれ甲介」の方がおもしろいことに気づき、そっちに乗り換えたのだった。
だって脚本が松木ひろしですもん。そんで主演が石立鉄男と来た日には、これ、もう大好物じゃん。
今ならよくわかるが。やっぱラヴコメだよ。JAPANの危機より。)
ええと。
今回こうしてちゃんと観て、昔「日本沈没」が流行ってる時(マンガにもなったし、ラジオドラマもあった、
それはニッポン放送でやってて、おれは聞いてた、原作は上下巻のうち下巻だけ読んだ)、小学生の時分には
殆ど日本が沈む、その設定とそれに付随する特撮的な面白さだけしか気にしてなかったけど、
大人になった今は沈み行く日本列島よりも、そこを脱出して海外へと行き先を求める、その困難にこそ、
重く心を引かれるのだった。映画でもそこに大きな焦点が当たってたし。
それにしても結構地味な映画だったなあ。あんな大当たりしたこと考えると。
但し、それはよい地味で、映画はきちんとよく出来ていて、中途に安っぽかったりはしてなかった。
森谷司郎監督が本来は人間ドラマの人だというのと、原作の良さ、尤もらしさと、東宝ならではの
特撮などが上手く整合している御蔭かと思う。
この手の映画の首相とか大統領って、しかし、みんな立派な人ばかりだよな。話の都合上仕方ないんだけど。
実際の首相とかって、大概はスケールの小さい、ケチで、せこい、小人物ばかりだもんね。
とても日本未曾有の危機に対応できそうもないような人たちばかり。
指3本の人とかが首相の時に、日本、沈没して欲しかったね。いっそ。それはそれでおもしろいかも。
(今の首相の人か。あんなヤツはマットに沈めておくれ!タイガーマスク!・・・時事風刺)