國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

マティス展、池袋のチケット屋で800円でチケットを入手。少しマイナー気味な店だったせいか、あった。
よそではどこも売切れ。よかった。あって。
以前なんかの時に買ったマティスの「イタリアの女」のポストカード、部屋の壁に貼り付けてあったが、
実物を拝むことが出来た。そして当日は祝日であり、すんごく混んでた。
混んでると当然落ち着いて観る事も、距離を変えて観る事も、中々困難じゃあるけれど
そこにいるうち、混んでる中でこんな風に絵なんか観てるのが楽しいような気がしてきたりした。
みんなでこうして賑やかなところで絵なんか観るのもお祭りみたいでわるかないかも、とかさ。
マティスって、絵がヘンなとこで切れてたり、絵の具がはみ出てたり、前のやつ残したままで
塗り重ねてあったり、そういう半端な感じがなんか気持ちいいなと思いました。
世界中、すべて駐車場になるといいな。アスファルトで敷き詰められた地球。
トップをねらえ!』、最後に「VHD、LD版が昭和64年一月何日発売」とかいうのが出て、ああその頃かぁ、
とちょっと感慨。ちょうど昭和から平成に切換わる頃って、おれ、25歳とかそんくらいで、
思い出とかいうんじゃないけど、その頃の生活に印象があってなあ。
トップをねらえ!』そのものとは関係なく、少ししみじみ。
中途半端なその頃に戻ってやり直したいなあ。20歳代っていいよなあ。まだなんとかなるもんなあ。
しかも若い、ってことはとりあえず自分のことだけ考えてればいいので、自由だ。但し当時は
そういう風に感じ、行動するような余裕も智恵も知識もなんもなかったから、ただ毎日困ってた。
ともだちもいなかった。恋愛とかセックスとか関係なかった。毎度この話だが、しょうがない、
だっておれは毎日毎日、昔に戻ってやり直したい、浪人一年目に戻りたい、大学卒業した頃に戻りたい、
29歳の終わり、当時として新しい仕事に就いた頃に戻りたい、等々、そんなことばっかり考えて
生きてるんだもん。まず戻ったら、人前に出られるような服買って、メガネもマシにして、髪型も
どうにかして、(今だってそんな大したカッコしてるわけでもないし、ファッショナブルとは縁遠いけど、
でも30歳を幾つか過ぎるまではおれはなんか洋服買ったり、見られるようなカッコしたり、
ってのをどうしていいのかわかんなかったんだもん。第一人付き合い、特に婦女子とのそれ、
がなければ、自然そうなる。)、スーツもちょっと洒落たの買おう、礼服も作ろう、映画も盛んに観よう、
音楽もなんでも聞いてみよう、そうだ今の感覚ならば車も買っちゃおう、日常、運転しちゃおう、
吉祥寺に行こう(ずっとところざわに住んでたのに、吉祥寺に割り方近い、吉祥寺に行くように
なったのは、行くことを憶えたのは、吉祥寺ってのが視野に入るようになったのは、ここ数年くらいな
ものだ、まったく勿体ない、そう思うことしばしばだったから。ま、大体、どこぞへ「遊びにいく」って
概念がそもそもなかったからなあ。新宿以外どこ行っていいか、ずっと検討つかなかった、てゆうか、
行けなかった。渋谷にさらっと行けるようになったのは、テリトリーに入るようになったのは、
これまた数年前からのことだ。それも始めのうちは行く度、緊張してた。上がっちゃうんだよねぇ。
だって若い人ばっかりだしさ。いまはもう平気。ぜんぜん平気。けどま、意識はしてるんだけど。
おれ、渋谷にいるよ、ふらふら平気に歩いてるよ、道もわかるぜよ、なんかすごいね、カッコいいね、
とかなんとか。)、先々考えて生活をしてこう、ともだち作ろう、その為になんかしら学校行くとか
なんとかしてみよう、というか、全くアテもなく、経験もないといって差し支えないおれにも
ともだちの出来る可能性はあるんだ、ってのを今ならわかるから、自信を持って行動できるし、
自信があれば、それに応じて、事態はなんとかなってゆくし。(「おれはモテる」と思う気持ちが
実際モテるのに通ずる。)
一体なんだかよくわかんなくなって来たなぁ。自動書記法に従うと自分でも思わぬ展開になる、
というか、他に書くことあっても忘れる。
『新宿馬鹿物語』とかよかったんだけどなあ。感想書きたいのになあ。ことばが出て来ない。
この場合、会心の感想というのは、つまりはそれを読む人を、そいつが観て見たいと思わせるようなもんか。
アイディアがあって、カツーンと文章がキマるとうれしい。説明じゃなしに。
でもその良さが、なにかしら空気のようなもんだと、一体どう表現したらいいのか、わかんなくなる。
渡辺祐介、『新宿〜』も『反逆の旅』も『黒の奔流』も、そこに共通した感触、雰囲気、
ってのが確実にあるんだけど、それを上手く摑み取れない。ことばが出て来ない。
でもいい映画なので紹介したい、気にしてもらいたい。けど、なんといっていいのやら。ううむ。
『新宿馬鹿物語』、昔、コミさんが褒めてて、その年(1977年)の邦画の中じゃベストワンかも
知れないとか書いてたことがあったんだよなあ。それがなんかずっと頭に引っ掛かってた。
新宿のゴールデン街とかその辺のバーの話で、それなりにしみったれた感じだってないじゃない、
しかもさだまさしの「雨やどり」がコレって場面で使われてて、主演が愛川欽也、その相手役に
太地喜和子。そんな映画、ちょっと敬遠しちゃうよな。でもいまはなんかそういったすべてが
好ましく思えるし、実際いい映画なんだ。途中で出て来る馬鹿馬鹿しいエピソードも、
いいアクセントで、脚本が神代辰巳、確かにその男女の描き方、ドロッとしそうで、いっかなしない、
不思議な軽さは正に本領、それを演出するのが渡辺祐介監督で、監督のどこか男臭い体質、
いやこの際、体臭か、との混淆はなんともいえず、ハッキリとここがこうっていうよりも
映画の最初から最後までずっとつづく手応え、全体を覆うエーテルみたいなもの、
それがなんともいえずによくって、こういうのは伝達しづらい。
気になること。
時折、看板や窓に描かれた会社名、店名、そういうものがプロの手じゃない、シロートの手に
なるものと明らかにわかるものがあるが、あれって一体どういう事情でそうなんだろう、
っていつも気になる。あれかなあ、経費を節約のつもりで自分でやったりしてんのかなあ。
それとも頼み損なっちゃったり、とりあえずのつもりがずっとそのままとか。
年寄り専門みたいな地味ぃな服屋とかあって、案外に商売イケてそうに見受けられるが、ああいった店で
売ってる洋服のデザインとかしてる人ってどんな人なんだろう。何歳くらいの人がやってるんだろう。
もしかして結構若い人が、年寄りのニーズに応じて策略として、ああいう地味というか、
ヘンにいまどき野暮ったいデザインとかで仕立ててるんだろうか。これまた気になる。