國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

映画とか

今日は近所のシネコンで『真夜中の弥次さん喜多さん』を観ました。
朝はごはんとか食べてから『メイヤー・オブ・サンセット・ストリップ』(asin:B00078RSAU)。
その後、『タイガー&ドラゴン』2回目、録画したのまた観ました。
昨日は御茶ノ水行って、アテネ・フランセで『放送禁止刑事(でか)まつり』を観て来ました。
http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/2005_sche/event04_06.html#02
(つづく『一人刑事まつり』は別料金だったのと、つまりフトコロがあまり暖かくない、
時間が中途に空いて、どうしようか迷ったりしてるうちに、疲労もあって、早く帰ろうとか
思ってしまい、根性がこの頃とんとない、観ずに帰ってしまいました。残念。)
そして帰宅後は『イージー・ライダーレイジング・ブル』(asin:B000657QR4)を観ました。
それぞれに感想は当然ありますが、書いてると何時間も費やすことになり、少し疲れてしまうので
控えておきます。年なので身体を労わらなければならないのです。悲しいです。
で、『真夜中の弥次さん喜多さん』、こういう「生と死」、エロスとタナトス(どういう意味
だかわかってない、ただよく聞く言い回しだから)、みたいな話って、ちんぷんかんぷん
なのです。毎度。「ええと、これは、この意味は、うううん」とか頭が煮詰まり気味に
なってしまいがち。苦手なテーマです。自分にとってきっとピンと来ないのです。
でもクドカンは『木更津キャッツアイ』でもいきなりぶっさんの死を前提として話を
進めていたり、「生と死」というテーマに関してはとても感じるものがあるようです。
人はそれぞれにテーマを抱えているのです。厄介です。テーマとか言うといいですが、
要は解決のしようのない心根に根ざした「なにか」です。そして『弥次喜多』はそういう
わけで話は殆どわからなかったのですが、なんかずっとずっと続いていて欲しいような
気が、観ている間、していました。終わって欲しくなかったのです。なんか気になるのです。
それはひとつにはテーマがぼくにとって分かり難いものであるので、観ているうちにそれを
キャッチしてみたい、パッと目の前が開ける瞬間が来て欲しい、それまではまだ終わらないで
欲しい、といったようなこともあったやも知れません。それ以外には、ともかくどこか気に
なるのです。惹きつけられるなにかがあるのです。『タイガー&ドラゴン』のように
わかりやすい人情話、感情移入しやすい人物、エピソードというのは『弥次喜多』には
出て来ません。人によっては違うでしょうが、ぼくには最初から最後まで、ほんのわかりやすい
クスグリを除いてはそういったものがなく、常にヴェール一枚向こうで世界が展開
していたのでした。ピンと来ないのです。でもでもでも、なんか気になるのです。
また観たくなります。もどかしく、そしてなにかが魅力的なのです。ぼくにはいまのところ、
それに当て嵌まることばの持ち合せがありません。
松本まりかちゃんは想像していたのよりは役が小さかったですが、彼女はよいです。
これからきっともっといいです。
よい役に恵まれて欲しいです。
麻生久美子の太ももはよかったです。
小池栄子がなんといってもよいです。彼女が出て来ることで画面にグイと引き付けられます。
そう、そういう瞬間が確かにあるので、『弥次喜多』は気になるのです。
クドカンにはこの調子でTVとは違い、映画では自分の抱えているもの全開でガシガシ
行って欲しいです。もっと映画を撮って欲しいと思いました。
唐突で観念的な場面が続いて出て来るのはやはり演劇っぽいと思いました。
こういう展開の仕方は芝居の場合はよくあるし、その場合はテーマ云々は置いても割りに
世界に入って行き易いのですが、それは目の前で生身の人間が演じている、劇場という
空間で行われている、そういったことがたぶん受け入れやすくしているのかとも思います。
で、『弥次喜多』、ぼくには理解が難しいのですが、これでよかったです。
弥次喜多』だというのにぜんぜんロードムーヴィーじゃない、ってのも始めはしっくり
来ませんが、でもそれでいいのです。こういうのもありです。こういう風だからこその魅力です。
失敗成功、そういう判断も実はぼくにはつきません。でも『弥次喜多』はいい映画です。
「なにか」、"Something Else"があるのです。それがあれば後はオマケみたいなもんです。
よく出来てるだけで「なにか」のないもんなんかつまりません。