國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

真夜中の弥次さん喜多さんPt.3

原作とはきっと違い(少し読んだきりなので「メイビー」だけど)、映画版はおれが最初
思ってたよりはずっと素直に話は進み、途中あれこれはあっても、最後には人生を、
2人で共に行くことを肯定してて、結論はハッキリと明るく、そこらへんは原作の趣とは
まったくに別の世界観、クドカン・ワールドだと思われる。
(おれは最後のああいう漠然とした希望、みたいのなのが好きで、すぐに感動しがち、
というか感動しちゃうゾ!って、映画とか観る時は始めから待構えているので、
その点、望みどおり。)
あと、まだ特になんにも思い浮かんではいないんだけれども、クドカンの女性観、てのが
気になってる。『弥次喜多』の小池栄子、麻生久美子、『アイデン&ティティ』
(おれはこれ、実はダメだった。「ロック=自分らしく生きる」って考えはおれの
宿敵だから。あとこの映画の麻生久美子。ああいう女性像って、ちょっとなあ。)、
まとめて死んじゃう「喜び組」、彼の舞台のシリーズ名が「ウーマンリブ」ナントカ、
木更津キャッツアイ』の森下愛子、『池袋ウエストゲートパーク』の小雪、
タイガー&ドラゴン』の伊東美咲でも猫背椿でも誰でも、そこらへんから、
なにか抽出してもみたいが、今のところ、特にアイディアはありません。
(でも女性観はもしかしてアナクロ、男の子の世界、なのかも。とりあえず。)
(あ。つまらん話をしてしまいそうだ。いかん。こういう分析は興を殺ぐばかり。
こういうことは人にまかせんとな。おれの出番じゃなかった。反省。)
(もちろんおれの女性観だなんて、まったくに中学生レベル、とても誉められたもん
ではなく、墓穴を掘ってしまいそうなので、これは止めとこう。)
(というか、そんなことよりも、この手の分析、結果出たとして、だからどーした、
ってことでしかなく、やるだにムダ、おもしろい方向にシフトするケースは稀、人が
この手の解釈するの見ちゃ、なんだかなあ、だからどーした、っておれ自身がいつも
思ってるんだよな。そもそも。でもこの手のパズルはついしたくなっちゃうのが人情。
でも我慢するのがど根性。)(でもやっぱ、ただ単純に「クドカンの女性観」てのが
好奇心の対象ではある。なんか特に今回ね。『弥次喜多』観て、いろいろ考えてたからさ。
そのうちのひとつとして浮上してきた中にこれがあった、と。)