國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

マイナー・メイジャー

オリーヴ少女に少女はいない、
そんなこたともかく、一体いつから「暮らしの手帖」と「富士日記」が定番になったのか、
そのへんの経緯が知りたい。ちなみに「暮らしの手帖」についての思い出は以前書いたが、
どこに書いたのやら忘れたが、おれの印象だと小中学生くらいの頃、父親の実家に毎夏
行く習慣で、その折、バックナンバーを一年分読むのがおれの小さな楽しみじゃあって、
で、なにを読んでたかっていうと古谷綱正(つなまさ)、昔々のTBSのニュースキャスターの
おじさん、その人が書いていた映画評や、家電品の商品テスト、その他エッセイなどを
読んでいたんだと思うが、(地方の家で購読するものという印象もあり)なんか田舎臭い、
垢抜けないイメージでもあって、それがいつの間にやらコジャレの仲間入り。ちょいと
解せない。誰が初めに「暮らしの手帖」をある種のアイテムとして取り沙汰したのやら、
それがいつやら、少し気になっている。そしてまた武田百合子富士日記」、実はおれも
旦那の武田泰淳の小説は一個も読んだことはないテイタラク、カタカナで「テイタラク」
とか書くとどこか坂口安吾風情、それはともかく、おれが「富士日記」読んだキッカケは
昔々の「ロッキング・オン」、今のヤングの皆さんの想像するそれとは違う、おれが
毎度言ってる、70年代、創刊4人組時代、その頃に現在パソコン評論家の岩谷宏、彼が
富士日記」のスッキリした文章がよいとかなんとか書いていて、それで。でもきっと
随分と前から元々が文学者でもなんでもない彼女の文章の意想外のさわやかさには
多くの人が魅せられていたわけで、それがやがて根付き、文学少女めいた人間にはなお
アピール、それからやがてオリーブ少女とはリンクしたわけで、理の当然とも言えるが、
でもきっとどこかで再評価みたいのがあってのブームとその継続、って面もあるのじゃないか
とは思い、その発祥元がちょいと知りたい。興味。あとあれだ、内田百輭も世間と交通の
なかったおれの知らぬ間の定番になっていたが、おれが彼を知ったのはこれまた
「RO」経由、松村雄策の文章に依る。自身の事情はともかく、旺文社文庫ってのが昔あって、
そこで一通り彼の書いたものが出揃い、手に入りやすくもなった、ってのもブームの
後押しとしちゃ大きな一助の筈。けれどやがて旺文社文庫も廃刊、しかし、そこでの
再発見がずっと続いてっての結果でもあろう。