國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

文房具

昔は小学校や中学校の校門出てすぐのところには必ず文房具屋があって、
のりとかエンピツとか忘れるとそこで買ったもんだった。
いま、そういった店はない。あっても廃屋になった元文房具屋しかない。
文房具、いまは100円ショップ、コンビニ、ちょっとシャレたもんならLOFTとかで買うのだろう。
文房具屋以外でも、廃屋、または看板だけ古びたまま残った、造りの古い家屋、
そういう風になった酒屋は車に乗っているとしょっちゅう行き会う。
単なる田舎の通り道みたいなところにポツンと一軒、元よろず屋と思しき家も見掛ける。
昔はまわり田んぼと畑、雑木林みたいなもんしかないようなところにも
なにかしらの店があったりした。それで商売が成り立っていた。
客は大半、歩いて来る。たまには自転車に乗って来るものもいる。
別段、賑やかな、商売に向いたような場所にある必要もなかった。
村に一軒、周辺の者みな、そこを利用するしかなかったから。
流通、道路、トラック。
おれの両親は2人とも出身は長野だが、昔、魚といえばしょっぱい塩鮭ぐらいしか
お目に掛からず、刺身なんて、食べたことあったかどうかだったらしい。
長野県に当然海はない。冷蔵庫は氷を使ったそれが辛うじてあるくらい、
商売で必要なものならばきっと使ってはいたろうが、現在のそれとは性能が余りに違う。
道路もロクにない。輸送は大変なことだったろう。クール宅急便だなんてありえない時代。
冷凍技術も限られていただろう。鮮魚を海のない地方に届けるのは
とても困難を伴ったろう。毎日でも、どの地方に住んでても刺身が
食えるようになったのは、つまりつい最近のことでしかない。
そこへ到達するまでに人類は何万年かかったのだろう?
おれはたまに考えるが、例えばトランジスタラジオ(って例えが古いが、
まあわかりやすいんだから仕方ない)一台、
製造方法が一から十まですべてわかっていたとする。単に部品の組立て
とかだけではなく、原料になる金属の抽出方法からなにから。
さて、そこに着るものもない、裸の人間が、但し前記の知識をすべて備えた者たちが
いると考えてみる。彼らがトランジスタラジオ一台を作り出すまでに一体どれくらいの
時間が掛かるのだろう?そしてきっと、ラジオ一台が出来るまでには奴隷制が敷かれ、
戦争が行われ、独裁者が幾人も並び立ち、貨幣制度が登場し、その他その他、
人類がいままでに経てきた一通りの歴史が繰り返されるに違いない。
そうしないとラジオ一台、きっと現出しない。
自然は余りに過酷で、無駄に頭の働く動物である人間は、
自然と自分たち人間との関係を常に問い直し、問い質し
(もちろん誰も応えてはくれない。神を捏造するがせいぜい)、
そうこうするうち人生というものを発明し、発明した以上は充分に意味があると
考えるようになり、人生に意味を付与するために自然を克服しようとし、
更にその際、力ある者は自然をまねび、力ない者に対して過酷に振舞う。
そうしたところで結局地球のほんの一部でしかなく、儚くいずれ消えてゆくだけ。
自然を克服するには自分が自然になってしまえばいいと思いつくのだが、
自分は単に数多ある生物の一種類のそのまたひとつでしかない。