日記
- アーティスト: Roxy Music
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- 発売日: 2000/01/20
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モスバーガーっていつからTVCMやるようになったのかなあ。
明日のはなまるカフェは南海キャンディーズ。チェック。
今日は「海と毒薬」「フィール・ライク・ゴーイング・ホーム」
「ピアノ・ブルース」の3本を観た。
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「海と毒薬」は昔、知合いの女の子が出てるとかいう話を聞いて、
その時にはそれを確かめなかったんだけど、ずっと気にはなっていて、
ようやく今頃になって観てみた。
(彼女の話を聞いたのはもう10年以上前だ。いまなにしてっかなあ。)
で、どこに出てんのかわかんなかったよ。残念。
クレジットに彼女らしき名前を見出すことは出来たのだけど、
一体どこに出てたのかは不明。
もしかして、あれかなあ、みたいなのはちょっとあったんだけど、
あまりにも不確か。
こんなことなら、当時ちゃんとどこにどう出てるか、
ビデオも観てちゃんと聞いとけばよかった。
しかし、この手の、あの時訊いておけば、云っておけば、そんな後悔なら数知れず。
大したことないことでも、中々切り出せない、気の小ささはおれの持ち味。
そのテイストはビタースウィート、なんて美味しいもんじゃないのは当然。
作り損ないのみそ汁みたいな、しかも夏場ならもうとっくにカビで
表面が白くなってそうな酸っぱい味?、ならほんとヤだけど、
さすがにそこまでは行ってないと思いたい。鯛めし。
つまりは人生ちゃちくともプライドだけはあるのが困ったものだが、
自意識はあってあたりまえなので、もうこれ以上は気にしない。
てなわけにもいかない。
人生はどのみち片付かない。あきらめることも出来ず、
逃げ切れず、思い切れずにまた小テストが待っているだけ。
で、「海と毒薬」だが、ラジオドラマかと思った。画面見てなくても話がわかる。
(いや、それじゃラジオドラマに失礼だ。
ラジオドラマってのはもっと滋味深い。)
セリフ頼みってわけでそうなんじゃなくて、単にどこそこに誰彼がいて
こんなことがありました、おわり。ってだけしかないんだもん。
かといって、山本薩夫みたいな絵解きの面白みもない。単調で平板なだけ。
単にマジメなだけ。可もなく不可もない2時間ドラマ。所詮熊井啓。
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ブルース・ドキュメンタリー2本の感想は少しあるけれど、今は書くのが面倒なので、
ただサン・ハウスやら誰やらの素晴らしい演奏映像がいくつも見れるのでちょっと興奮、
つうかむちゃくちゃカッコイイ、それだけはとりあえず。
あと、「ピアノ・ブルース」にはドクター・ジョンも出てくるのだけど、
なんか不機嫌そうな終始仏頂面だったのは付け加えておこう。
気難しい人なのかなあ。やっぱ。
それにあれだ、プロフェッサー・ロングヘアーの隣でピアノ弾いてる
にいちゃんがちょっと映ってたけど、あれってジェームズ・ブッカー?
かなあと少し気になった。
「ピアノ・ブルース」といえば、ラスト、レイ・チャールズによる
アメリカ賛歌のライヴ映像で終わるんだけど、追悼の意味もあろうが、
(あ。この映画が製作された時点ではまだ存命だったか。)
イーストウッドとしての見解の意味合いもやはりあるような気がして、
「ミスティック・リバー」だって「ミリオンダラー・ベイビー」だって
政治的メッセージを読み取れるようにも出来ているわけで、そこらへんの
真意ってどうなのかなあ、って、解釈しなきゃいけないのかも症候群に
襲われそうになった。(うそ。そんな大袈裟なもんではない。
でも見てれば気になっちゃうよ。あれは。)
で。
「フィール・ライク〜」の方は最後にアフリカはマリのミュージシャンの人の
ブラック・シオニズム(?ってよく知らずに遣ってみるが)みたいなメッセージが
結構長く使われていて、ああいうのって見てて少し気まずい。ちなみにその場での
聞き手はアメリカの黒人ブルース・ミュージシャン(若いのにいまどきめずらしい)で、
監督はスコセッシなわけで、そこらへんも微妙だ。白人好みのブルースやアフリカ解釈、
って気もする。スコセッシはオールド・ウェーブな音楽ファンには違いなかろうし、
そういえば、最後の方でフォークウェイズで御馴染み、アラン・ロマクスのことばを
引いて、昨今流行りのビデオ音楽だなんてすぐ飽きるし消える、そうなった時に
大きなものを見捨てて、軽薄なものに現を抜かして失敗した、もう取り戻せないと嘆いても、
もう遅い、みたいなことを言っていたが、それじゃあまるきりアナクロに過ぎる。
第一、ここにはヒップホップも新しいR&Bも出て来ない。
まあ仕方ないし、スコセッシなんだからそれで充分とも云えるけど。
どちらもインサートされる演奏がとても素晴らしいので、それだけで一見の価値あり。
ドキュメンタリーとしてはあんまりたいしたことはない。
イーストウッドの編なんか、ピアノにレイ・チャールズやら誰やらと
イーストウッドが隣り合っておしゃべりして、その合間にいくつもの
ミュージシャンの映像が出て来る、ってだけ。
ただそのミュージシャンのチョイスがさすがじゃあります。
スコセッシ編はちゃんと映画っぽくロケなども行い、テーマもちゃんとあるし、
流れもあって、もっとドキュメンタリーっぽい作り。
よくできているとは思うけど、でも発想やまとめ方がさっきいったようにちょっと気になる。
答を用意して、その通りに納めている、という言い方もできると思う。
でもまあスコセッシはもちろんノンフィクションの人じゃないから、べつにいっか。
更にいえば、スコセッシのまとめ方やなんかはおれには実はしっくり来るものじゃ
あるのだけれど、でもなんかそれだけじゃ、そこに留まってちゃいけないような気がして。
せっかくヒップホップ、J-POPを足掛かりにおれの音楽観もこの10年でだいぶん転換したし。
ああいうアナクロ的ブルース解釈に一理はあるけれど、でもそれだけじゃもう足りないんだ。
たぶん。きっと。愛してる。
そういえばドクター・ジョンの仏頂面のこと書いたけど、こういうドキュメンタリーって、
その場のしらけた空気や弛緩した雰囲気、そういうのをどう処理するかがミソだと思い、
そういう空気をひっくるめてどう撮るか、どう見せるか、あるいは
思いがけない方向に持ってくか、それがあるやなしやでキマルんじゃなかろうかと
少し考えてみた。てか、おれ、しらけた雰囲気や、誰かが怒ってそうなのに弱いんだもん。
見てるのがつらくなる。きびしい。前も書いたがおれにとってはそういのがホラー、
人間関係の微妙な危うさとでもいうか、なので、そこいらを意識的に作品の中に
織り込んでくれないと、もう単純に見ててドキドキしちゃってダメ。
気になっちゃってダメ。ドキドキした分、元を返して欲しいというか、作品として、
おれのびくびくした気持ちにはせめて応えて欲しいというか。上手くいえない。
ああそうだ。
「ピアノ・ブルース」、映像作品としては弛緩した出来だけど、そこに出て来る
イーストウッド好みのジャズだのブルースだののジャンルを問わないミュージシャンたちが
いずれも素晴らしく、見てるとどれがジャズでブルースだかわかんなくなって来る
具合がよかったなあ。食わず嫌いは止めましょう、みんな美味しいよ!そんな気がして来る。
中でドクター・ジョンが「セロニアス・モンク初めて聞いた時、地元(ニューオーリンズ)
の奴かと思ったよ」なんてことを言っていて、モンクはファンク、だネ!
で、それはともかく「ブルース」ってのはある種のジャンルの名称ではあるけれど、
それとはべつに、アフリカ系アメリカ音楽の共通した響きのことでもあると再認識。
アフリカから来た音楽を仮に「ブルース」と称すれば、そこからはいわゆる
チャーリー・パットンだのロバート・ジョンソンだので御馴染みの「ブルース」も
出てくるし、「ジャズ」も出て来る、ということ。デルタ・ブルースが「進化」して
ジャズになったわけじゃない。例えば。デルタ・ブルースはシカゴ・ブルースには
なったかも知れないが。それに(デルタ系のいわゆる)ブルースったって、実は多様で、
あまり音楽を知らない人は例えばブギウギをそこからは連想しない、
ダンス・ミュージックでもあろうとはまさか思わない、ギターを弾いて唸ってる
スローで悲しげなもんとか思っていたりもするだろうし。実はもっともっと
ヴァリエーションに富んでいる。パターンもテンポもいろいろ。