國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

キューポラのある街

キューポラのある街 [DVD]

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昨日、これ観ちゃった。例の帰国場面が見たくて、結局始めから最後までちゃんと観た。
昔これ観たのって、TVでかなあ。TV以外で、劇場とかで観たことはあったっけなあ?
いや、たぶんないな。きっとTVでだけだと思う。
そして当然TVでは「北鮮」「南鮮」「朝鮮人」といったあたりは悉く音声が消えてた。
吉永小百合が受験しようと思ってた高校って、浦和一女だよなあ。
学校見学に浦和まで行ってたし。そしたら多分ミュージカル的な効果を狙ってのことだろうけれど
女子学生が校庭で、全校生徒って感じの人数でダンスをしていたのだった。
しかも全員ブルマー。それもちょうちんブルマー。ヘン。そしてエロ。

吉永小百合の弟役の子がべらんめえ調で喋るんだけど、その子のベシャリが実に見事で、
聞き惚れちゃう。東京弁!(埼玉だけど)て感じ。
その子の演技が達者なのはもちろんだが、脚本に今村昌平が噛んでるせいも大きいかとは思われる。
昭和37年の映画で、まだ戦争に実感のあった時代。大人は皆、戦争経験者ばかりの時代。
そして冷戦時代。「水爆」ということばにもきっと実感があった頃。
撮影は姫田真佐久で、時折ディープフォーカスを強調していた。
吉永小百合とそのともだちが2階の窓から階下のともだちのお父さんに向かって
筒状の物(設計図?)を投げるシーンとか。
彼女たちは画面手前に大きくいて、下の方にいるため小さく見える相手に対して筒を投げる。
これが結構、コントロールがよい。
でもお父さんは受け損なうんだけどな。
あれは演出なのか、ほんとにミスったのか、どっちかはわからない。
(でもそのシーン、合成だったらどうしよう。そうは見えなかったけれど果たして。)

この映画が公開されたのが1962年で、その、たった十年後、1972年には世の中、
まったく変わってしまっている。
けれど1972年とその十年後の1982年ではそれほどに変化したとは見えなくなる。
ほんの少しだけ出て来る小沢昭一がグラサン掛けてて、保護監察官かなんかなんだけど、
見るだにいかがわしいルックスで、なんとも云えずよい。
日活時代の小沢昭一はもっぱらそんな役どころ。
この映画、浦山桐郎の初監督作、しかもスター俳優を擁して、予算も大きく、
そのせいもあってか、やたらと前向きで明るく、各所溌剌としている。
なんだかほんとはもっと切ない話でもあろうに。
とにかくやたら前向き。肯定的。
でもそれは高度経済成長でノリノリの時代のせいでもある。
正に時代を反映した作品になっている。
階級差についての暗い考察や経済成長快進撃から零れ落ちる人たちを活写、
といった部分も本来はある筈なのに、ぜんぜんみんな上手いこと行くばかり。
それには日教組や組合のプロパガンダ的要素もたぶん大きくもあるのだとは推測もつくけれど、
でもそれ以上に当時の日本の勢いが、敗戦経験者が多数を占めていた世の中だからこそ尚更、
終戦時を思えば世の中上々に良くなるばかり、といった思いを表現してもいるのだと思う。
そこにまた監督になって張り切っている浦山桐郎や当時勢いのあった日活スタッフの
気分も充分に映り込んでいるのじゃないかと思う。
「所得倍増」という当時の流行り言葉も幾度か繰り返されるのだけど、
でもそれが揶揄には聞こえず、正に言葉通りになりゆく世の中を肯定しているかに響いている。
そういった「高度経済成長万歳!」な気分の先に「北鮮」、つまりは「北朝鮮」は扱われていて、
それが為に殆ど能天気に帰国運動は肯定され、ラストでは輝ける未来の象徴とまでにはなっている。
当時の、この映画ばかりじゃない、「北朝鮮の新国家建設」礼賛というのは、
彼の地の事情に疎かったとか、そんなことだけじゃなくて、実はなんのことはない、
「新国家建設」「輝ける未来」というのは日本のことをこそ指していたのだ。
単に当時、自分たちのノリノリの気分を、知ることのない、だからこそ幾らでも
ロマンチックな思い入れも出来た、現実のそれとは関係のない「北朝鮮」という
架空の国に仮託していたのだ。
キューポラのある街」は最後、きれいに舗装された広い道路
(当時まだめずらしかったはずだ)を吉永小百合と弟が画面向こうに走ってゆくショットで終わる。
「きれいに舗装された広い道路」をだ。
それまでに描写される街は当然貧しさを反映した景色だったりはしたのに。

しかしこんな全力で肯定的な映画ってのもなんかふしぎだ。
今村昌平が脚本書いてたりするのにさ。大体。
浦山桐郎だってそんな明るい人でもなかろうに。
会社の方針とか、組合の後押しとかいろいろあるのかも知れないが、それにしても。
いや、はっきりプロパガンダだとしても、どこか暗さやゾッとしない感じがどこかに
出たりはふつうするものだ。まして浦山に今村だのに。ふしぎなくらいに明るい。
吉永&浜田の純愛コンビの映画でも例えば「泥だらけの純情」なんてすごく暗い。
なのに、これは。
暗いエピソードだって、吉永小百合のシミーズ姿というエロだってあるのに、
なのに、これは。
なんだ、この明るさは。こんなに肯定的なのって、日活アクションでだって、感じられない。
吉永小百合なんかチンピラにレイプされかかったりまでするんだぜ。
なのに、そんなこんなは最後、みんなチャラになってしまう。
トランジスタの組立て工場、そこにはもちろん組合も福利厚生もあり、
そして夜間高校へと行く決意を彼女はする。
まるでこれまでがなかったみたいに。
ここでは誰も結局は傷つかず、新生活へと歩き出すのだ。
「北鮮」へと帰る「さんちゃん」の日本人の母親(菅井きん)だって、
帰国する息子や夫と別れて日本に残るのだが、彼女はちゃんと再婚し、どこかへ行ってしまう。
つまりは新生活へと入るのだ。