國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

ゴダール

黛敏郎の世界

黛敏郎の世界


越路吹雪のドラマに出て来た。)
ゴダールの映画ってリメイクむずかしいよなあ。だって話、ないもん。
粗筋だけ取ったら、まるきり陳腐、お粗末至極、リメイクしようがない。
気狂いピエロ」だったら、昔の女に会って家庭捨てて南仏へ逃げました。
裏切られて、よせばいいのに死んじゃいました。そんだけ。中身ねー。
雰囲気とハッタリ取ったら、あとはそれこそはあらすじだけ。スカスカ。
そんなんでも映画って成り立っちゃう、ってのがミソだけどさ。でたらめ上等。
ああでも「軽蔑」なんて結構ストーリーあったかなあ。
でもあれ、原作あるし。そもそも。あ。それを言ったら「気狂いピエロ」もか。
でもあれだ、「軽蔑」は割りにちゃんとストーリー踏んでるけど、
気狂いピエロ」は思いつき並べて好きにやってるだけだ。
つか、アンナ(カリーナ)ちゃん、どうしてそんなにつれないの?ってただそれだけ。
唯一のリメイク「ブレスレス」だって、あらかじめ知らなきゃリメイクとはわからない。
てゆーか、くだらん話だしなあ。リメイクするとそれが際立つ。ストーリーの陳腐さが。
どーでもいい話をカッコよく見せる。深みを与える。そこがゴダールの才。
で、リメイクって、ストーリー部分が重要なわけで、忠実にやるにしろ、アレンジ加えるにしろ、
でも「勝手にしやがれ」をリメイクするにはジャン・ポール・ベルモンドのトッポイ感じを
マネしてみるしかない。そうじゃないとリメイクになんない。
雰囲気とハッタリの再現をしないと。
でもその点、「パルプ・フィクション」のブルース・ウィルスの巻は
勝手にしやがれ」のリメイクとしては上手く換骨奪胎してるとも言えるかも知れない。
そのことに関して上手く言い包めるような言い方を、今思いつかないので、
大体「パルプ・フィクション」のストーリー忘れてるし、比較しようがない、あとでなんとかしたい。希望。
(書いてから、でも上記、自信なくなって来た。大体「ストーリーがある」、
しかも陳腐でないそれがある場合の方がなんか少ないような気もして来たしなあ。
でもまああれだ、少なくともゴダールをリメイクしようとした場合、筋だけ取ってっても、
そんなおもしろくはならんだろうなあ。それにまた細かい人物描写やらエピソードの連携や
伏線を張るなりなんなんりの手を加えていったら、そもそも別物になってしまうだろうし。
まあ、いいや、ともかく。思いついたら、とりあえず書いておきたい。
てか、こんなことにばっか時間使いすぎだよ。おれ。昨日だって「フレンドパーク」で
山ちゃんとしずちゃんが活躍するのを横目で見ながら書き始めて、やがて夜の11時も過ぎ、
零時には近くなっていたのだ。その間、殆どをモニター睨んで過ごしてたぜよ。まったく。まったく。
風邪引いちゃうじゃんか。他にやること、やりたいこともあるしよぉ。
しかもなお、まだ書きたいこととかはいくつか昨日の時点でもあって、
それはゴダールに関してだけでもまだあるし、そうじゃないのもまだあって、
だからこそ、そこらへんが書けない、出て来ない、詰めて書くにはめんどう、
でも書きたい、等々で、ついついむだに粘ってしまうわけですよ。
そんで朝っぱらからまたこんな書いてるし。ああ。でもいいや、日曜日、少し部屋を片付けたし、
ちょっと奮発してカンゴールのウールの帽子も買ったし。でもここ数日の気分としては
ゴダールを観られるだけ観て、思いついた限りを書いて、たのしいから、たのしいだけの
そんな生活(?)にどっぷり浸りたい、とかあるけれど、現実、そんなん無理に決まってるじゃんね。)