野ブタ。をプロデュース
スラップスティック―または、もう孤独じゃない! (ハヤカワ文庫 SF 528)
- 作者: カート・ヴォネガット,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1983/09
- メディア: 文庫
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※ (以下、小栗左多里「カナヤコ」に関して肝心なところに言及してしまっているので
これから「カナヤコ」を読もうと思っている人は見ないフリをしてください。)
先日、12/10日の分で小栗左多里の「カナヤコ」をはまぞっているのは
「野ブタ。」と関連して思うことが実はあったからだ。
(いつもは、なんかはまぞっているのは特にその後の文章との関連は特にない。)
で、「カナヤコ」、主人公の女の子は常に妄想気味で、いつか「運命の人」に出会うことを
願ってるんだけど、生きるのには全く不器用、てんで上手く行かない、
でもそんな彼女は占い師のばあさんの言っていたように「運命の人」についに出会うことになる。
彼女はある日ふと気づくのだ。実はいままで出会った人、ひとりひとりがみな「運命の人」だったことに。
「運命の人」がべつに白馬に乗った王子さまなんかじゃないことに。
生きていることがそんな力んだような大袈裟なものではないことに。
そして更に自分だって他の誰かの「運命の人」になれることに。
そう、まり子の焼き栗は野ブタ。へ、そして蒼井へとつながってゆく。
それは修二や彰へも、そして又まり子の方へも返ってゆくし、
クラスメイトたちへともつながってゆく。
誰もが誰もの「運命の人」になれる。
そう、そして「みんなにしあわせになって欲しい」、それが木皿泉の願いなのだ。
「野ブタ。」の第一回目で修二の家族は飛行機事故による母親の消息を心配をする。
しかしそれは杞憂に過ぎた。母親への電話は通じ、無事を確認する。
ホッとした刹那、けれども父親は言う。
「ということは他に悲しんでいる家族がいるっていうことだ」と。
木皿泉は「みんなにしあわせになって欲しい」のだ。
「野ブタ。」でいえば修二、彰、野ブタ。の3人だけではなく、
まり子にも、一時(いっとき)はひどいことをした蒼井にも、クラスメイトそれぞれにも、
そして彼らの周りにいる大人たちにも、そして更にはこの世に生きている人たちすべてにも。
「みんなにしあわせになって欲しい」、なんてばかな願いだろう。
もちろんそんなことは不可能なのは100も承知、200も合点、
でもだからこそ「お話」で「所詮、嘘」でしかないドラマの中でこそ、
(「お話」「所詮、嘘」⇒http://www.enpitu.ne.jp/usr7/bin/day?id=74188&pg=20030811 )
木皿泉はすべての人に救いの契機を与える。あえかな願いを込めて。
この世界に良き可能性を模索して。ありえないことを、ありえないからこそ敢えて求めて。
「みんなにしあわせになって欲しい」と。