わぁお。いいじゃんいじゃん、これ。いいじゃん。
美術が素晴らしい。色のコーディネートに非常に凝っている。
それに色味。これまた画面になにかしら施してあるのか、独特の色合いになっていた。
話は70年代風で、ありえない話が大真面目に描かれる。
いい具合に大仰に。
音楽もそれに連れて荘重で、美術の色合いとも相俟って、伝奇風味?も漂う気配。
米倉の旦那が一度倒れ、それ以来の不自由な身体、いまはパジャマ姿でビールを呷るだけ。
夫のその姿。そしてそんな亭主を持った彼女の暗い姿。
既に終ってしまった夫婦の出口のない状況。
その醸しだす雰囲気の重みが70年代風で、暗さが心地よい。
ところがそれが一転、いよいよ終盤、米倉が新たな道を踏み出すや、
それまでの荘重な音楽に変わり、いきなりラテン風ディスコが鳴り出し、
画面全体も明るくなり、米倉も自信と野心に満ちた表情に変わるのだ。
おぉ。まさかこう来るとは。いい驚き。
つまりそこまでは実は前フリだったと、あらためてわかる仕組み。
いいなあ。やってくれるぜ。
てか、いまはもう70年代じゃない、21世紀なんだとの宣言。
それが正に米倉の口から放たれ、その直後に彼女がいままでの鬱屈は後に動き出す。
もちろん、70年代風味で行く手もあるけれど、これは米倉涼子による2000年代の「けものみち」なのだ。
「黒革の手帖」をいい意味で引き継いでいるという具合。
だから音楽が一転、「黒革の手帖」を彷彿とさせるラテン風(「黒革」ではスパニッシュ風だった)、
しかもディスコになるのも必然、(お待ちかねの)米倉涼子、発動、というわけなのだった。
わかってるなあ。「黒革の手帖」の2番煎じでどうかとの心配もよそに、こんな手筈で来るとは。
やられた。ちょっとうれしい。これなら充分楽しめるゼ。
米倉涼子が実に美しい。ヘアスタイルも衣装もバッチシ。
旦那がどんなだらしないカッコしてても、彼女だけはまったくにスタイリッシュに決めていて、
それがよい。きれい。いうまでもなく。
そして彼女の表情がそれぞれの場面に於いて、すごくいい。
余計なことばによらず、充分語っている。
米倉がいよいよ次のステップに踏み出すにあたり、思案のしどころで、銀座の街を歩いている、
という「黒革」ファンへの目配せも、またよかった。
これはそういうことなんだよ、っていうことでもあるのでしょう。
誰かに使われるばかりの彼女の筈がないだろうとの予感ともいえる。
ちなみに音楽は「夕やけニャンニャン」で御馴染み、佐藤準先生でした。
先生、いい仕事してます。