國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

Slowhand

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今日は休みだったんだけど、出かけようかとも考えたんだけど、なんかつかれてんのと
むなしいのとひとりがさみしくいろいろなというほどのこともない単に人恋しさが募るばかりで
そういうときは性欲もつながって出てくるねでもオナニーしても気は紛れないだってひとりはひとり、
それは結局変わらないからしたいのはオナニーじゃなくセックスでそれには相手が必要だもん。
そう、こんな風にあからさまに彼女欲しいセックスしたいとか書いているとそれはそれで
人に訴えかけるものもあるのだろうけれど現実には結びつきづらくなってしまう。
セックスの相手をめっけるに長けた人は性欲の話なんかしない、しちゃうと引かれるからじゃなくて、
そこで引いちまうようなおぼこは問題外、でもそういう人に限って
常にセックスの相手に欠けなかったりする、下ネタきらいなクセにヤルことはヤッテる、
マンコ濡らしてチンコ挿れて、それはそれで見習うべきものあり、
ほんであからさまな人には声を掛けづらいのだ。それに声を掛けられる方でも躊躇ってしまう。
セックスなんか知りません、みたいな顔をしていないとお互いにキッカケをつくりづらい。
セックスってのはいやらしくあさましいことなのでそこはうまく段取りを踏まなきゃいけません。
ストレートに云やあいいってもんじゃあない。ソコにいたるまでには手続きが必要です。
通例、直接的であるのを良しとしがちですが、そんなこたあありません。厄介、それも込みです人生は。
直接的、あからさま、それは実は正直なわけじゃなく、手続き段取りがヘタ、
面倒という思いの結果からきているのです。お見合い的な、セックスなんて一見知りません、
みたいな儀式や社交、それはそれで社会の複雑さの中での便利なのです。セックスに到るための。
セックスというのはどのみち扱いに困るものです。だからあからさまをきらう
世間の風習にも一理はあるので、従いたいとは思うのですが、いかんせん付け焼刃、
あっという間にメッキの剥がれ落ち。ジャンジャン、てやつです。
自然に段取りとか手続きを会得している人には所詮かないません。
人には得手不得手がある、という単にあたりまえのオチ。
・・・、なんだろうなあこんなこと↑書くつもりじゃなかったんだけどなあ。
意識の流れに任せるとなんかこんなんなる。だからどうした。
そんなわけで今日も表参道ヒルズには行けなかった。
とにかくまあ疲れてんだよねえすっごくねーそれはたしか。
で、本日「週刊文春」を立読みしていたらお部屋拝見みたいなコーナーで高城剛が出てた。
ハイパーメディアクリエイターである。未だになにをしてるのか不明。
にも関わらず食えてる。ずっと食えてる。それも結構儲かってるっぽい。うらやましい。
おれが会社とかで学んだことのひとつは「会社とかでなにしてるかわかんない人は
実はなにもしていない」(ほんとになんにもしてないよ!)ということだが、
それに似た感じなのかなあ。いいなあ。
メディア界の中山秀征みたいな感じなのかなあ。
イメージとしてはそんなだよな。おれん中では。
詳しくは知らん。つか、どーでもいい。
揶揄してる、ってほどの気持ちもないんだよな。つまりは。
おれも実体はいいからカネが欲しいよ。ただただカネが欲しい。
そんでエリック・クラプトンが遊びに来たりするんだって、高城剛宅には。
ミュンヘン」は観ようかと思ってたんだけど、いつものシネコン、今日が最終日だった。
しかも1回きり。はじめっからその予定だったなら観たかも知んないけど、
上映時間には余裕もあり間に合う時間じゃあったけど、もうひとつ映画観るのに
時間を費やす気分にもなれなくてパスしちゃった。
ほんと最近映画観てないなあ。しかし。
ニュースに音楽が付くようになったのっていつ頃からかなあ。
そもそもニュース映画の時代には音楽は付いていたけど、なんつうかもっとTV寄りで考えて、
なんとなく昔、20年とか30年前のニュースにはそんなにBGMとか付いてなかった気がするんだよな。
NHKのニュースなんてほんと素っ気なかったし。昔は。ネクタイしてたし。地味なスーツで。
ええとべつにそういうのがいいとか云いたいわけじゃないです。この話。
単にニュースのBGMが気になるってだけの話。重点はBGM。音楽。
大体ニュースなんて猟奇趣味と覗き趣味以外のなにものでもなく、
「ジャーナリズム」だなんてばっかばっかしい、くらいにしかおれは思っちゃいないので、
本来的にはどうでもいいことでしかないし。
丸谷才一みたく、たまに「ニュースと野球ぐらいしかTVは見ない」とかいう人とか、
でもいるよなあ。ニュースがなんか良識や教養かなんかだと思ってる人。
ニュースなんてただのおたのしみ100%じゃんか。最も下世話な。下卑たたのしみだよ。100%。
だから気にはなるし、つい見ちゃったり、コメントのひとつもくれたくなるのが人情だけど、
ついやりがち、まあそれはそれでわるかない、そういうたのしみもとうぜんある、
おれも床屋政談はやっぱ好きだ、けど一方うんざりもする。
うんと。話が逸れた。閑話休題。
最近のニュースにBGMがのべつ幕なしに流れるのには技術的な進歩も大きいのじゃないか
ということを言いたかった。やたら字幕がつくのといっしょで、コンピュータで
ちょちょいのちょいと字幕や音楽を付けたり消したり出来るようになったので、
そういう風になったってのもあるよなあ。きっと、みたいな。
You Tubeとかで70年代〜80年代初頭のTV番組とか見るとわかるけど、
字幕、クレジットなんか、みんな手書きなんだよな。美術の人かなんかが書いて、それを使ってるっぽい。
字幕の出し入れもまったくアナログ。いまのパパッとした感じで字幕が切り替わる感覚からすると
非常にのろくさく、鈍くさく見える。それはそれでいまとなっては味。
あとニュースに限らずTV番組のBGMって気になる。
新日曜美術館」とか、前にも書いたけど、前に書いたことは何度でも書くけど、
あれ、誰がどういう風に選曲してんのかなあ。
その日の特集で使った音楽、リストアップして欲しいよなあ。
夕方のニュース番組とかでも、あとあれだ「めざましテレビ」とかでもいろんなタイプの曲が
結構使われてて、番組用に作ってるようなものもあるのかも知れないけど、
たぶんアリモノとかも使ってるよなあ。
テクノっぽいのとか気になる。特に。めざましテレビのとか。
そんでアクターズ・スタジオ・インタヴュー、バーブラ・ストライザンド編、
なんと今度3/12(日)深夜1:50からNHKで放送するじゃん。
やったね!
またしてもこんなことに運を使ってしまう。けど反省なんかしやしない。ぷふい。