國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

日記

Comfort Woman

Comfort Woman


YouTubeもメンテナンスだかなんだかで落ちてる時間帯が結構あるからなあ。
そういう時、ちょいと不便。
あとあれだ、YouTubeそのものが規制されないまでも、
投稿者自身が削除してしまう場合もそれなりにはあるので、ちょっと間を空けて見に行って、
もうなくなっているとさみしい。
吾輩は主婦である」、昨日見逃した。。。
忘れてた。録画準備。
酒屋、本屋、金物屋、乾物屋なんてのもあった、米屋、布団屋、それに洋品屋。
店舗とかって、営業停止しても改修にお金も掛かるせいか、看板とか大概そのまんまだったりする。
ただ朽ちてゆく。
あと貼り紙とかもいちいち剥がしたりしていない。そのまんま。
近所の洋品屋って昔、どんな風に利用されてたんだろう。
普段着。一張羅。デパート。
流通とファッションの変遷、相関関係。
おれの母親が若い頃は知り合いにワンピースなど仕立ててもらっていたらしい。
大量生産の既製服というのはいつ頃からなんだろうなあ。
そこらへんの生活実感の伴った変遷とか知りたい。
まあ、60年代以降か。そして70年代以降は特に服装のカジュアル化が進み、
着ている物で階級を特定出来なくなったあたりかしら。とりあえず。
でもこれじゃ大雑把過ぎて、つまらん。
もっと具体的に知りたい。それも都会のオシャレな人のそれじゃなくて、なんかもっとふつうの人たちの。
ファッション、それも特に流通事情との関連を知りたい。昔の。
洗濯機と洋服の関係、ってのもあるな。
おれが小学生ぐらいじゃまだ、手回し式の脱水機もまだ残ってたし、あれじゃぜんぜん布地にやさしくなかった。
それが二層式が一般になり。
でもって全自動洗濯機っていつからかしら。そういや。普及したの。
20年からそれ以上前の韓国や中国あたりじゃ、髪型がなんともださいというのがもっぱらだったが、
あれも整髪料、ドライヤー、その他の用具洋品が限定されていたという部分もあるのだろう。
日本でも70年代始めあたりまでのドキュメンタリーなどで地方の人が映ると、
いかにも田舎の人というファッションだった。いまはもうそんなことはない。
ダーツが日本のどこに刺さろうが、行く先で出会う人たちはみんな垢抜けている。