國家は私達から、乙女の夢まで、取上げてしまふのでせうか。

学生時代

(インタヴューズから転載シリーズ)

 

当時「変しい変しい」と字を間違えたニセラヴレターをもらったりしてたなー。なつかしい。

http://www.youtube.com/watch?v=wRErPwpi1qs

 

・・・などとネタ書きしたのはヤマヤマだけれど、上記のようにどうせパッとしないんならふつーに正直に書きゃいーじゃないのさなんて思うけど、それはそれでできれば山盛りにいろんなことも書きたくもあるし、そうすっと構えちゃって書けなくなるんで、できるだけいい加減な気持ちで臨んでゆきたい。

 

そーいえば最近ほんと「もっかい」って表記を見かけるけど、みんなおれのマネしてんじゃね?そー思うの。ほんとだよ?狂ってるのはおまえらの方だ!

 

学校学校。

学校っていえば小学校3年の途中まで、おれはリア充だったょ。

小学校入学前から小3までは保谷に住んでてそんときがおれのともだちのいっぱいいたピーク。あとはダダ下がり。

保谷から川越へ移ってからまわりに同い年の子はいなくなり、そして新しい土地での人見知りなんかもあって友達づくりが難しくなっちゃったんだょな。

 

でも小3から中3までの6年間でなんとか馴染み、学校の雰囲気もよかったことから特に中3のときはたのしかった。

でも5月だったっけ?ちょうど修学旅行の時に盲腸になって入院。それが返す返すも残念なことで。

いい雰囲気でたのしかったから修学旅行もぜったいたのしいはずだったんだよなー。

惜しいことした。ほんとうに。

たぶん20代後半、京都へ旅行(中身はしょぼい)したのも新幹線に乗りたかったのと、修学旅行で行き損なったのが引っ掛かってたせいだと思う。

 

これが高校になるとひといきにつまらない生活んなっちゃったから。

中3が終わってまた引越したんだよねー。いまんとこに。この実家のあるここへと。

それでまたせっかくできた人間関係がゼロ。

イチからやり直しだったけど、なんせもう高校とかなると、なんかねー。

そっからはほんとリア充とは程遠い世界へ突入。

それで浪人して(宅浪)、二浪目になぜか笹塚へと浪人生のまま一人暮らしをすることになりノイローゼ地獄へ。

でもそんなんでも大学合格ったんだから大したもんだよ。

そんででも大学4年間でもノイローゼは引きずり続けて、ちょぼちょぼ話す相手は時たまはいたけど友達というところまでの、まして用もないのに会ったり遊びに行ったりなんてのとは縁遠い、ぼっちな大学生活。

卒論が必須じゃなかったおかげでなんとか卒業は出来たけど、就活とかはできなくて。

 

学生時代のことはもっと細かくも書きたいけどキリもないし、あれなので省略。

 

小学校低学年の保谷時代がおれには黄金期で、あと中学時代も結構よかった。

そんなとこかな。

あと運動ができなかったのでそれがやっぱ高校卒業までは辛かったなー。

やっぱ運動のできるできないは圧倒的だからねー。そこまでは。

(ここらへんの運動のできるできないカンケーでもできればもっと具体的に細々書きたいけどいまはだるいので省略)

 

中学時代は卓球部で、それでもちろんいちばんヘタクソで。

高校時代は恥ずかしいけど文芸部へと入り、ナンセンスなショートショートを3編くらい書いて、後は帰宅部。

いま思うと高校時代、演劇部入ればよかったなーって。

演劇部、おれの高校は結構気合入っててなんかちゃんとしてたんだよね。

だから入ればそれなりに充実できた気がする。

仲間も得られたかも、みたいな?

いま思えばもっと自分から馴染むようにすればよかったんだけど、当時はわかんなかったからねー。

まーふだんのなんてことない普通の友だちがデフォルトでいて、それから、だと思うんだよね。そういう風に違う環境へと馴染んでいけるのって。

それがないとハードルが無限に高くなっちゃう。

バックボーンていうかねー。デフォルトの友達がいることが。

 

勉強はでもパッとしなかった。小学生時代。「3」ばかり、みたいな。伸び悩みっていうか。もちろん勉強なんかしなかったけど。

だから「4」とか「5」とかパンパン取ってる子がうらやましかった、っていうか、どうすればそうなるのかがナゾだった。ずっと。

勉強すりゃよかったわけだけど、でもその「勉強」ってのがいったいどうやってやるもんやら。

 

それが中学に入りしばらくするとクラスでも上位、2番3番てことんなって来た。なぜかいきなり。

たぶん中学とかだとテストってのが決まった時期にあって、そこを頑張れば成績がよくなるわけで、それでじゃないかと思う。

小学校まではテストって不定期っていうかさ。

自分がだから勉強ができる方だという認識がなかったんだよな。小学校の頃は。だから。

それが今度は成績上位の方へと転換。それも意図してじゃなくて。なんか気が付いたら。

ちなみに我が家は親が勉強しろだとかいうような家庭じゃあなかったからね。その点はほっぽらかし。

 

中学んときだから小学校からいっしょだったやつがおれが成績いいんで、あれ?そんなキャラだったっけ?みたいな反応したことがあったりした。彼のほうが勉強できたしね。小学校んときは。

 

あと中学だと卓球部の他に中2の時のクラス担任が人形劇部を作ったんで、おれもなんか入ったなー。

それで具体的になにをしたかは憶えてない。

憶えてるのはお茶の水女子大へ行ったこと。なんで行ったんだろ?学園祭かなんかで行った気がするけど、でも人形劇の披露とかした記憶はないし、逆に観に行ったのかなあ?たぶん。考えられるとしたら。

 

それでその人形劇部には小5からなぜかクラスがいつもいっしょだった女の子も入り、彼女がすげーかわいかったんだよね。でも口を聞いた記憶がない。たぶんしゃべったことはない。必要以外は。

大体その子がどこの高校へ行ったとかまったく憶えてもいないし、女子はやっぱ当時苦手だったんだなー。

その子のことが好きだったかっていうとたぶんそうで、けどでもおれは小学校の頃からその子をもっぱらオナネタにしてて(その子以外ももちろん)、恋とかそういうのがわかんなかった。

そのへんの性欲と恋愛感情の区別というか、どちらも合わせてひとつみたいのがずっとわかんなくて、おれは友達がその後できないのも大きく作用した結果、人付き合いが観念的んなって、「恋する」とか「つきあう」ってのがよくわかんなかったんだよな。

「恋してる」ってのを過大評価(?)してしまい、絶対的好きな気持ちがないとイケナイ、みたいに思い込んでた。

「かわいいな」って思えばもうそっから恋だってのが、つきあってくうちに思いが募ってゆくとか、勢いでセックスしてそっから始まる恋もあるとか、そういうのがわかってなかった。

だから恋愛ってのをひどくピュアに捉える一方、性欲には支配されていやらしいことで頭がいっぱいで、そのへんの乖離を自分でわかってなかった。

まったく別々に扱っちゃってたっていうかね。

おれはいわゆる非モテの意識ってのはないし、恋愛やセックスをしてその上で悩むタイプの人間だと思うけど、けどそんなこともあったんで非モテ的な意識のあり方ってのは実感としてわからんでもない。

ひたすらな性欲とピュアな恋愛への憧憬・思い込みの二律背反というか。

そこらへんをテキトーに混ぜられるようんなればいいんだけど、自縄自縛、自分カルトっていうかねー。

 

わかりやすくいうとサドの小説が好きだのに、現実の場面では食事に誘われても断っちゃったりするみたいな。「ちゃんと好き」んなってから初めて「つきあう」になるって思い込みに囚われてて、それでいて背徳的な性のあり方は文学などでは大いに親しんでいるというね。

案外気がつかないんだよねー。本人は。当事者だからこそ見えないもんってある。

 

とりとめないのでとりあえず以上。