ハイスクール1968

高校時代に四方田犬彦が書いた詩がいくつか載ってるんだが、才能があるとは言えない。
それはまあ仕方ない。誰だってポエムな気持ちにはなるし、つい書いちゃうってことはある。
ただどうも、彼自身は、若書きだとは言ってはいても、その一方そこそこイケてると思ってる風に感じられる。
まあ自分には点が甘くなるし、客観評価も出来ないし、ノスタルジアも含めた「思い」ってのがあるから
人前にさらしたり、なかなかわるかないゼと思うのもわかるけど。
でもあれがあるせいで、せっかくの気取りに綻(ほころ)びが出来ちゃってるんじゃないかなあ。
余計なお世話。
バイトしてるわけでもないのに、高校生、或いは浪人生の時分にしょっちゅう映画に行ったり、本買ったり、
コンサートに行ったり、喫茶店に行ったり、レコード買ったり、バー行ったり、旅行にまで行っている。
資金が実に潤沢だ。羨ましい。おれも次に生まれる時は都心のブルジョワ家庭だ!(注:「プチ」が付いてもOK。)
時化(シケ)た気持ちになってケーキ工場へ学校行かずにひと月ほど通ったりするんだが、ずっとこういう
割の合わない仕事が続くのかと思うと暗澹たる気持ちになり、もちろんそちらへは行かない。
そりゃまあそうだが、そういった低所得単純労働、社会的身分の低い世界にただいるしかない、
選択の余地のない人間てのはやはり身の置き所がないなあ。
いや別に四方田犬彦がどうってことじゃなくて、世間には階層、階級、身分、てものがあるって話。
そして何度書いても会心の出来ってわけには行かないが、今朝目覚めて布団から出るまでの間には
実にスムーズにことばが出て来たんだが、もう半ば忘れた、勢いを失ったが、フリーターってものに関する
世間に流布してる言説、あれは「近頃の若いヤツは」ってのと「身分の卑しい者は人間も卑しい」ってのを
今風に言い換えてるだけだという話をまたしたく思った。結果書いている。
フリーターがどうしたって、世の中にはまるで自営業者も専業主婦も存在しないみたいだ。
みんながみんな給与生活者ってワケじゃねえだろうがよ。
それに大体江戸時代のこととか考えてみればいいのに。
つい戦前には食えなくて娘を身売りに出す、なんてことがふつうにあっただろうに。
戦前には「福祉」なんてそもそも存在しなかっただろうに。
不況といっても失業しても誰も餓死しない、ってのがどんなことかちゃんと考えてみればいいのに。
「働く」ってことや「仕事」ってのを神聖視してるってことに対して一考してみればいいのに。
くっだらない商品をイメージで売りつけるようなことをしてるだけの「仕事」であっても、それに従事する人間は
真っ当な人間、立派な仕事をしてる、って素直に思い込んでるってのはどうなのかとかちょっと考えてみればいいのに。
みんながみんな割のいい、身分保障された、それなりの収入の仕事に就くなんてことはありえるはずがないのに。
第一、みんな無能な一流企業の部長とか、有能で仕事の出来るコンビニ店員とかバイト先や職場でみたことあるだろ?
就いてる仕事、身分と、本人とは別だよ。あたりまえのことじゃないか。
そして階級の違う者同士はどうしたって憎しみあってしまうということをどう解消したらいいのかってこと。
おれには文革の時に大学出のホワイトカラーをイジメ殺した貧乏人の気持ちが、
中卒の毛沢東のフランスあるいは日本帰りのインテリへの憎しみってのがよくわかる。わかってしまう。
おれ自身は中途半端な立場なんだがな。大卒だが、いい仕事に就いた事はない。けれど生活に逼迫してるわけでもない。
人間てのは実にセコい、ちまちましたことで感情が揺すぶられてしまう。そしてちょっとしたキッカケがあれば爆発してしまう。
だから大義を与えてはならない。各自の憎しみを正当化する手段を与えてはならない。
晴れ渡る明日のことではなく、薄曇りの今日の夕ご飯のおかずの話でもして、この季節なら梅の咲き具合でも眺めているさ。