サマソニ2022 その3
サマソニ2日目、会場ついてまずはごはん。中華そば。
入場まで人が多くて、混んでて並んで待つ感じでまだるっこしかった。朝イチは混むんだなあ。入場口一個っかなかったし。朝だと。
そして1発目はソニックステージで羊文学。
フェスだとリハーサルがあるわけだよね。客前で。そこは見て見ぬふりで。
ギターとベースとドラムだけだのに、音が厚い。ふしぎだよね。ギター一本しきゃないのに。ギターとか、どうやって音、決めてるんだろう。ギター相当上手いんだよね。てことは。レコーディングなら音は重ねられるけど、ライヴだと。特にテープ(今はパソコンからかそういう音出したりするの)使ってるわけでなし。ほんと楽器3つと声。しゃべるとふにゃふにゃなのに、歌声はしっかりと強い塩塚モエカ。ヴォーカルの印象が強いけど、ギター力。ずっと見てたい気持ちよさある。見れてよかった。
その後はまたビーチステージへ移動。昨日と違い急ぐ必要はなかったので素直にシャトルバス乗ってった。
今日は比較的明るい。雨は大丈夫そうだ。結局降らなかったかな。一時、ちょっとだけはあった気がするけど。
昼過ぎ、12:30からモノンクル。これまたベンチに座ったまま見てた。体力が。
モノンクル、よかったな。いいのはわかって見に来てるわけだが。もっと見てる人が多くてもよかった。でも見てる人たちはみなたのしそうだった。ロートルでベンチに座ったきりだったおれもたのしんじゃいたんだ。
モノンクル終わってからマリンスタジアムの方へ移動して(マリンスタジアムとビーチステージは同じエリアの違う場所って感じ)4種チーズとはちみつのピザで昼食。外で地べたに座り食べた。晴れてた。
それでまたビーチステージへ戻り、例によってベンチで長く過ごし、もう既に体力はだいぶんない、サマソニとかっていうより、元から疲れてんだよね、あと同行者のいるでなし、勢いに欠ける。
海の近くで、トンボが飛んでた。
今回、写真はほぼ撮らなかったな。なんかカメラ構えるのがめんどくさくて。なんとなく。
15時すぎてからchelmico。ビーチステージでベンチからのんびり聞いてた。
2日目、今日はでもいつ帰ろうか、ずっと悩んでた。気持ち的には、体力的には早く帰りたい。でもせっかくならって気もある。どうしようかどうしようか。
chelmico、途中で切り上げて、メッセへ。なんか食おうと思って。早目の夕食に。
沖縄そば食った。chelmicoの前にはいちごけずりも食ってたかな。美味いよね。いちごけずり。
それでまたマリンスタジアム方面へ戻る。あっちこっち忙しい。
このへんでスマホの充電が切れ気味なのに気づく。というかスマホというよりか充電器が機能してない… スマホに充電器繋げたままなのに全然増えてかない。あれ?あれ?となり、ようよう充電器の充電が切れてることを認めざるを得なかった…
これは不覚。ゆうべ寝る時に充電器には特に充電はしなかったんだよな。まだまだ保つって思ってたし。甘かった。結構いっぱい充電出来るやつなんだけどな。2日間は楽に保つかと思ってた。くぅぅ。(この辺から焦り始める)
というか、これがあったため、じゃあ帰ればいいかと方針も決まったのだった。
ほんで帰宅までの充電がないのも不安となり、インフォメーションへ向かう。したらそこに充電コーナーがあった。アプリ入れて、それで契約して、充電器一台借りれるという仕組み。へー。こんなんあるんだ。初めて。しかも返却は地元のセブンイレブンとかでいいという。上手く出来てんな。感心。
これでとりあえず充電はセーフ。
じゃあもう一押しということでマリンスタジアムでメーガン・ジー・スタリオン。
もう始まりだしてたから、途中入り。したら、いきなり持ってかれましたよ。なんかすげー。なんだろ、このグルーヴとスケール感。こういうのってほんとふしぎ。基本、おなじじゃん、なんつかライヴって。歌と演奏、あとダンスとか。でもパッとしないのもあれば、こうしていきなりなんだこりゃみたいのもある。わからない。何がどうなってんだ。メーガン、正直聞いたことなかったし、YouTubeで一瞬見たことあるぐらい?でも興味はあったし、良さそうだとはわかってはいたから見に行きましたが、ほんとよかった。一瞬で堪能。この充足感。充実感。大画面の彼女もあんだけど、遠くにちっちゃく見えるメーガン見てるだけでもすごい絵になってんだよね。なんだろあれ。ふしぎ。オーラとかスケール感とか、そんなことしか云えねぇ。
ラップのステージなんてさ、随分とシンプル、というよりスカスカじゃないすか。音はどっかから鳴ってて、あとは歌手がいるきり。まあメーガンの場合も他にダンサーズもいるけどさ、それにしても。なにが違うんだろ?わからん。ともかく、いい。
スタジアムは満員で、でも実際には次のワンオク目当ての人が大半じゃなかったかとは思うんだけど、それでも、その人たちも充分に盛り上がってるのがその場にいてわかった。なんか掴まれちゃうもんがたしかにそこにはあった。グイと。メーガン力。
見れてよかった。
それで、でも充電の保ちも気にはなってたし、疲れもあって、盛り上がるメーガンを背に帰ることにした。でもずっと彼女の音が聞こえてる間ワクワクしてたなあ。それに昨日のKIRINJIでもそうなんだけど、ショーの途中でその場を離れてく、その感じになんかいいもんがあるんだよねえ。フェスの気持ちよさが。
ほんとはSTUTSも見たかったし、スクリーマデリカライヴも見たかったけどさあ、ちょうど「ボビー・ギレスピー自伝」が出たばかりで興味湧いてたから。でもまあ、明日は仕事だし、疲れちゃいるし、スマホの充電も怪しかったし(ちなみに帰宅後早速近所のセブンイレブン行って、クルマで、したら1軒目のところが返却する場所が塞がってて、しょうがない2軒目行ったら1個分空いてて返せた。スッキリ)。
それで結局、夕方6時ぐらいだったかな、サマソニ後にしたのは。
駅までの道も空いてる。
海浜幕張の駅へ向かう途中、若い女性2人が前を歩いてて、サマソニのリストバンドはしてなかったような気がする、手を繋いでて、二人の指は絡み合ってた。少し指で話してた。といって二人の関係に関してはおれの勝手な憶測でしかないのだけれども。で、彼女らを追い越す時にシチューがどうのと聞こえた気がするので夕飯の話でもしてたのか。判らない。ただそうして町中で、人通りはサマソニ帰りにはまだ早く、人気(ひとけ)はなかったので、その二人と、二人を通り越すおれぐらい、近くを通ったのはそのときはおれぐらい、だから余り気にせずそうしてたのか、おれは初めてそういうカップルを見た気がする、今まで気がつかなかったのか、表に出れる雰囲気がそれでも前に出れるようになったのか、周りに人がいなかったからか、そのへんは判らない、ただおれには初めての遭遇で、彼女らの生活や人生をつい考えるし、なんていうか、生きていれば人と出会いつきあうので、それが良い関係であればもちろんよく、周りが穏やかであればそれが望ましく、おれは未だに珍しい遭遇としてこうして語ってしまうレベルで、それはこちらの勝手な思いでしかなく、おれみたいのがもっと減り、もっとなんてことなくなれば、それが一番いいんだろうな。
リナ・サワヤマ見たのは偶然じゃなかったとそのとき思った。おれの勝手なセンチな思いでしかないけれど。語れるほどには大した考えもないのだけれど。
サマソニ2022 その2
14:30ぐらいに終わったのかな、リナ・サワヤマ。
その後、バインミーが気になってたんで、それを食べる。割りと並んでたかな。その時は。美味かったな。食いたいものだったし。
それ食ってからマリンスタジアムからメッセへシャトルバスで戻る。
いちばん見たかった3組を立て続けに見たのもあって、疲れちゃったし、ここはのんびり休憩タイムだあと次見るのもぼんやりしたまま冷房の効いたメッセの中で過ごす。
でも席がいつもより少なくなってたのもあり、あまり隣り合って座るのもやだなあという気持ちもあったし、多くの人がそうしてたように、朝イチのタイラーメン食った時以外は地べたに座ってメシ食ったり、壁際で休んでたりしたかな。
今回、除菌ウェットティッシュ持ってったのはアタリだったな。大いに役に立った。
でも意外とそれらしいもの使ってる人、他に見かけなかった。食事前にも途中にも手を拭けるし、便利。なんか食う時にはまずはショルダーバッグから出してた。
メッセでは結構長めに、特に何するでなし、ゆっくりしてたと思う。今回は音楽会場だしとイヤホンも持つことなかったから、radikoやポッドキャストも聞くことはなかったし、YouTube見るとかもさ、なかった。時間潰しにはでもそういうのが向いてるかもなあと後から思う。次回は用意しとこう。
夕方近くなってマリンスタジアム方面へ戻る。基本、野外にいたいんだよな。陽射しもなくて、幸いそこまで暑くなかったし。ビーチステージ方面へ。海っ傍にいたいもんね。せっかくなら。ふだん海とは無縁だし。以前ガーデンステージってのがあり、それも海近くで、そこがいちばん場所として好きだったし、居心地もよかったし、そこで見るライヴが大体好きだった。でもなくなっちゃったんだよな。あれ、復活して欲しい。ビーチステージだと地面が砂で歩きづらく辛いしね。
それで夕方から雲行きが怪しくなってパラパラとは降り出してはいた。どうせ濡れてもいいかとも思いはしたけど、せっかくレインコート持ってきてるので、いまこそ出番だとばかりに、クロークへ行き、レインコートを取り出し、身に着ける。クロークではマスクしてるのと湿気でメガネが曇り、すごくストレスだったけど、見えねえ、なんとか着る。いざ着てしまうと用意のいい僕みたいな気分になるし、レインコート自体気に入ってるので、着れてよかった感もあり、雨のサマフェスというのも定番じゃあるし、まあいいかな、と。
ビーチステージでは座ることは出来るんだけど、雨は避けられない。日除けに屋根はついてはいても、あくまでも日除け用のそれで雨は落ちてくる。
いちごけずりとか食ったりしながらビーチステージのベンチでずっと座ってた。
それで18時からスチャダラパーがスタート。ベンチに座ったまま遠くから見てた。
べシャリも上手く、安定感。おれにも分かるヒット曲やってくれるし。「今夜はブギー・バック」も「サマージャム95」も。わるかないね。いい感じに過ごせた。
もう暗くなってきてる。
その後、一旦メッセへ戻った。次、同じくビーチステージでKIRINJIにしようと思ってたんで、スタートの21時までまだ時間があったから。ちゃんと屋根のあるところに行きたいというのもあったしね。パッタイ食ったりした。そして適当なタイミングでビーチステージ方面へ再び。着いた時はTahiti80の最後の方だったかな。ほんとはそれも見るつもりもあったけど、雨でビーチステージにい続けるのが困難なので、一度メッセへ行ったためにこんな感じになる。
またしてもベンチにずっと座ってじっとしてた。雨は降り続いてる。帽子被ってるし、感覚としてはそこまでじゃないんだけど、暗い中、ライトに照らされた雨の量は結構なものだった。
KIRINJIはでも初めてだ。見るの。坂戸出身ということで親しい感じがあったんで、いつかは見たいぐらいの気持ちはあったから、サマソニで見れてちょうど良かった。
音楽としても、フェスで聞くには気持ちいいしね。とりあえず「Killer Tunes Kills Me」が聞ければと思いながら見ていて、演ってくれたんで満足。YonYonの韓国語ラップの部分、堀込兄がやるんだなあ。
しかし、そうは云っても59歳にフェスで過ごす一日は肉体的にキツく、早く帰ってのんびりしたい気もあって、KIRINJIは途中で切り上げた。帰路へ。
帰り道、少し高くなったビーチステージの歩道部分から見るKIRINJIはわるくなかった。ちょっと切ない感じと、いい音と、少し遠くに見える暗闇の中のライティングされたステージ。
ビーチステージから抜ける道の途中の店じまいし始めたコーヒー屋でアイスコーヒーを所望。売店の女性はフジロックのTシャツ着てたのがなんかおかしかった。
海浜幕張の駅まで行くとそこまで混んでなかったかな。本格的な帰り時間はまだもうちょっと後だもんね。それにおれの乗るのは蘇我方面で、多くの人は東京方向なんで、ホームは尚更空いてた。
フェス後、電車に乗ると左腕に巻き付けたリストバンドが恥ずかしかったりするよね。まだ海浜幕張近くはいいんだけど、段々離れて行くと、なんか浮かれた人に見えてるんじゃないかと気にしてる。まあ同好の士がそれなりきにまだまだいるわけだけど、千葉駅あたりまでは。泊まりの人は千葉駅利用者が多いしね。おれも千葉駅近くのホテル。
夜で暗いしで、一回違う方向に行きかけたけど、すぐ引き返して正方向に。Google Mapだよりになってから昔よりもずっと迷うようになった。おれ、東西南北とか、そういうのがわかんないんだよな。目印とかじゃないと行けない。地図的なものは昔も見ながらだったはずなのにGoogle Mapだとなんかだめ。わけわかんなくなる。とりあえず動いて、目的地に向かってるか否かで判断してる。いつも。
そいで一旦ホテル確認してから、セブンイレブンへ。ビールとつまみのポテトサラダと明日の朝用のヨーグルトとカフェオレとバナナオレと。そしてチェックイン。おれとおなしタイミングでリストバンド付けた人チェックインしてた。なんか恥ずかしい。ささっと自分の部屋目指す。
部屋入るとすぐにお湯をひねり、お湯を溜め始めた。前はホテルの風呂、シャワーだけしかしなかったけど、お湯溜めて入るのもいいなと思うようになって、お湯溜めてる。
荷物を解いて、服脱いで、セブンイレブンで買ったやつ冷蔵庫に放り込んで、必要なもの、机の上に出して。
風呂入る。
疲れてるし、雨で濡れたし、気持ちいい。
風呂から出ると、スマホでParaviでその日放映されたばかりの「石子と羽男」を流しながらスーパードライ生ジョッキ缶開ける。ポテトサラダちょびちょびつまみながら飲む。こういう合間の時間、幸せ。モラトリアム。こういうのってさ。
KIRINJIを途中で置いて、少しく早くに引き上げたりもしたわけだけど、なんかそういうのも含めて気持ちいい時間だった。自分の時間。自分だけの時間。
「石子と羽男」は見やすいエンタメドラマで、そういう丁度良さも丁度良かったし。この今の時間に合ってる。気安さみたいなもの。
今回(”今回”って遣いすぎてて我ながら気になってる)、ビールはじめアルコールは会場では全く飲んでない。なんかそんな気になんなくて。ずっとウォーター。あとアクエリアスとかそんなの。番外編でアイスコーヒーぐらい。前回の時はそれでもビールぐらいは飲んだりはしたけど、そんな美味くも感じなかった記憶。年取ってアルコールに弱くなってるみたいのもある。もう何年も前のサマソニで、ビールと、飲料会社のその時の推しのカクテルみたいのとかあって、それをパカパカ飲んで、いちいち美味くて、たのしかったことある。あんときはなんであんな飲めたかなあ。今よりそれでも若かったせいか。
で、会場ではゼロアルコールで、ようようホテルで風呂も済ましてからの一杯のビール、これは美味かった。タイミング大事。
で。飲むついでに日記も書いてた。日記は休みの日などに書いたりしてる。ここにこうして書いてることとそんな変わんない。違うのはふつうにノートに書いてるというだけ。
ホテル帰って、でもスマホで流してたのはリナ・サワヤマやリンダリンダズじゃなくて、ポール・デイヴィスの「Cool Night」やジョニ・ミッチェルのアルバム「BLUE」だったりした。なんか切ないもんが聞きたくなってたし、サマソニ行く前からそのへん聞いてたりしたからその延長ってのもあった。
サマソニ、近くなると意外と見たいのじゃなくて他のもん聞いてたりする。それで終わって帰宅してあれこれツイッターとか眺めてるうちに自分が見てきたのをYouTubeで検索しては流し始めたりする。帰宅後はだからリナ・サワヤマ・ブームだったりしてた。羊文学やリンダリンダズもさっき流してたりする。
旅先でもちゃんとデンタルフロスするいい子なんで、例え飲んだ後でも必ずそう、歯磨き済まして、マウスピース、上の歯に装着して、点鼻薬してから鼻呼吸テープつけて、そのへんはいつもと変わらない寝る支度した。
寝たのはもう1時は過ぎてた。2時?それよりは早かったような。すぐに眠れたと思う。
でも朝、目が覚めてしまうのもいつものことで、それでも目覚ましかけといた6時半までは横になってた。起きるとすぐまたお湯溜めた。歯磨き、髭剃り、風呂など済むとゆうべ買ったセブンイレブンのそれで軽く朝食。ポテトサラダの残りとバナナオレにカフェオレ。
9時頃にはもう部屋を出たかな。チェックアウト。
2日目のサマソニへ。
サマソニ2022 その1
サマソニ行く前からはいつも新しいズック買ったりしてる。ひと月前とか。
でもこの前(4年前?)(2018年の筈)行った時は靴が合わず、ひどい目にあった。無理くりサンダル買ったりして履き替えてなんとかしたりした。
今回はさすがにいつも履いてるのとおなしタイプのにして、しかも何度かは意識的に履く日も作ったし、まあ、大丈夫だった。
それと帽子買った。サマソニ行く時はいつも帽子被るようにはしてて、普段は無帽なんだけれども、サマソニ仕様。前行った時はユニクロで買ったやつだったけど、今度は地元のショッピングモールの帽子専門店で。パナマハット。ユニクロのも型としてはそんな感じの。もうちょっと麦わら帽子っぽいかな。今回のはもっとパナマ帽らしいの。少しお高い。9200円。本物のパナマ帽だともっと高いけど、だからそれよりかはグレードは劣るわけだけれど、形も色も気に入ったし、これにした。
買う時、店の若いオニイサンと話して、こんな感じのみたいに軽く相談しつつだったんだけど、おれはその時「海辺行くイメージで」とか言って、それで海辺だと風が強いから飛ばないようにしないとみたいな会話になって、とはいえでもそんな海っ傍(ぱた)でもないんですよとおれは言い、実はサマソニ行くんですとうふふな気持ちで口にしたら、彼は少しさみしそうな顔して「大阪ですか?」「いや、東京です」と返事して、そして更におれは「サービス業だとねぇ、休めないしなあ」とある種共感を持ち、彼に伝えた。
行きたいよね。フェスね。夏フェス。
おれも休みらしい休みはないけど日曜は休みだし、土曜日も休もうと思えば休めはするんで、こうして行けはする。ほんとは月曜まで休んで、最後までゆっくりしたいけどね。それはちょっと無理。前はそう出来た時もあった。
あともっと前だったなら、土日に休むとか出来なかったんだよなあ。今の職場で。いつからか、なんとか休めるようにはなり、サマソニへ行く習慣にはなった。
帽子屋の彼氏もなんかしらフェスに参加出来るといいんだけどね。願ってます。
他に持ち物として、スマホ用のショルダーストラップも買っといたし、実際ずっと使ってはいたんだけど、案外と使ってる人、会場でいなかったなあ。もっとみんな使うものかと思ってたよ。そうでもなかった。いまスマホは必須だからさあ。なのに邪魔だしね。でも、おれ、せっかくのショルダーストラップあったのに、何度か会場で焦って地面にスマホ落としたりしたからなあ。中々上手くはいかん。
あと、ショルダーストラップしててもスマホはぶらぶらと腰の辺りでしてしまうわけで、だからおれはずっとショルダーバッグの前面ポケットのチャック開いてそこへ突っ込んでた。正解がわからん。
前行った時は首から下げるタイプのだったし、それはそれでよかったけど、それだと首が重いからね。だから街中でショルダーストラップ見掛けて、あれ欲しい、サマソニで行けそうと思って買ったんだよね。まあ実際使ったわけだし。いい買い物ではあった。
サマソニ行く少し前に歯医者で右下の歯にセラミックの被せ物するのも終わってたし、仕事も一旦は片付いたし、行く前日には忘れず除菌ティッシュも買ったし(これが一番役に立ったかも。ほんとちゃんと用意してってよかったNo.1)、ちょっと前に100円ショップで買った細かいもの入れるための小分け用の袋もあったし、なんか過不足なかった。(おれは泊まりなんで持ち物がどうしても多くなる)
当日は5時起きで幸い雨はなく、イオンで買った冷凍パン一個だけの朝食、予定通りの電車に乗れた。当日の朝は髭剃りやらヘアワックスやら、直前で使用して、それからバッグに詰めるものもあって、そこがいつも気持ち面倒。電車は海浜幕張着くまでずっと座れた。途中、武蔵野線に乗り換えたけど、それも空いてたし。武蔵野線はしかも海浜幕張直通のやつだったしね。いつもは西船橋とかで乗り換えじゃなかったっけ?
海浜幕張着いたのが9:02。早い時間だけど、既にだいぶん混雑してた。みんなまだチケット交換とかもあるからね。これまではもっと遅い時間だったな。10時半とか11時ぐらいじゃなかったかな。海浜幕張着くの。今回は11時からのリンダリンダズがあったから、とにかく早くということで。
行きの電車の中ではPOP LIFE: The Podcastのボビー・ギレスピー自伝を巡る回を聞いていた。おもしろかったし、サマソニ2日目、プライマル・スクリーム、スクリーマデリカライヴは見たくなった。ただまあ、時間的に2日目で遅い時間で無理あるなあとは思ってたけど(結果見ることなく帰った。残念)。
チケット(2日分)の交換するところまでは遠いんだよねえ。ぼんやりとは場所は憶えてはいても、3年ぶり(?)だし、距離感の記憶が違った。思ったより遠い。気が急(せ)いてるのもあったかな。リンダリンダズで。
今回からはさすがのスマホチケット。サマソニでそれは初めてだからちょっとドキドキ。そして入場。手荷物検査、でもあれ、再入場繰り返すうち、段々雑になって来る。それはそうね。見たフリ、ぐらいになるもんな。特に最後の方とかは。ああいいよいいよ、さっさとどうぞって雰囲気。
会場入ると、マリーンの方ね、なんせおれには旅なんでリュックしょってるから、そいつを預けなきゃなんない。クロークは利用すべしというのはとうに学んでるし。けど、クロークの場所が前とはちょっと違った。会場のレイアウトが若干変わってたから。そりゃ変わるよね。だからインフォメーションで訊いちゃった。でも案内の人もまだ要領得なくて、目印がどれでみたいのが出来なくて、おれにはぼんやりと方向がわかるくらいだった。でもまあ、インフォメーションからそう遠いわけじゃないし、ビーチステージの門潜ってしばらくと見当つけて、行くとビーチステージとクロークで道が分かれてるので、そちらへ。
リュックと小さめのショルダーバッグをおれは身に着けてて、リュックだけ預ける。ちょっと悩んだのはレインコート。でも幸い雨の気配はなく、それは省けた。雨降ったらクローク取りくりゃいいやって。ショルダーバッグにはちょっと入らない。レインコート。
レインコートは何年か前に無印良品で買ったギンガムチェックのそれで、何年か前にそれ着たのが写真残ってる。結構それは気に入ってる写真。レインコートが可愛いし。
そのレインコート、でも女物なんだよな。ボタンの左右が違う。後から気づいた。でもレインコートはレインコートだし、特に不自由はなく。あと見た目が好きなので身に着けると気持ちがアガる。
そういえば今回は写真、ほぼ撮らなかった。なんかめんどくさくて。なんとなく。他に誰かいればもっと撮ってた気もする。一人だから勢いがつかない。
無印良品ていえばリュックも緑色の数年前に買った無印良品のだし、たぶんサマソニ用に買ったんじゃないかなあ。したらコロナで中止、と。たぶん。
そのリュック、内ポケットとかも結構あるし、便利なんだよな。だから買った。
ようやく荷物預けて一段落。ほ。
マリンからメッセへ向かう。シャトルバス。朝イチだからまだぜんぜん空いてる。
入場。
まずはメシと。見るものがこの後続くので早目のお昼。
タイラーメン。食ってしばらくうろうろしてたけど、なんかまだ腹減ってる気がして、更におなし店でハニーバターチキンを。これは美味かったな。タイラーメンと合わせておなかの膨れ具合もちょうど良かった。
そうね、今回はビールは一切飲まず。他、アルコールも。口にするのは水かポカリか。
お水も300円とかだから、水分補給してるだけで、一日きりでも結構な金額になる。
普通に飲み食いしてるだけで5000円は行くよね。まあ、お祭りで、そうだと承知してるからいいんだけど。カネ遣うのもたのしみのうちつうか。
前回から既にそうだったけど電子マネー(おれの場合はSuica)使えるようになったのはフェスではありがたい。現金の出し入れ、めんどくさいもんね。まあ、会計の方はといってスムースってわけにもいかなくて、実際には現金の方が早かったりすんだけど、それぐらいはね。いずれは解消されるでしょう。
ちなみに2日間の内訳。
2022/08/20(土)
クローク 1000円
ポカリ 300円
タイラーメン 700円
ハニーバターチキン 600円
クリスタルゲイザー 300円
アクエリアス 180円(これだけどこかの自販機)
ポカリスエット 300円
バインミー 950円
クリスタルゲイザー 300円
けずりん(いちご) 600円
パッタイ 900円
アイスコーヒー 500円
計:6630円
2022/08/21(日)
黄金中華そば 1000円
アイスラテ 550円
イオンウォーター 300円
4種のチーズとハチミツ(ピザ) 1000円
いちごけずり 600円
クリスタルゲイザー 300円
沖縄そば 900円
クリスタルゲイザー 300円
計:4950円
そしてソニックステージへ。
彼ら、子供だから、早い時間だと思ってたら、やっぱそうだった。11時から。
リンダリンダズ。
わぁお。
真ん中通路の柵(プラチナエリアの囲い?)の前方に場所取れた。
Growing Upからで、Lucia、いつも歌い切れてないんだよな。YouTubeで他のライヴ見てると。ちょっと不安になるが、それはわかってるし、いつか歌い切れる日までおれは待つよ。Growing Up、いい曲だよね。いちばん好きかも。好き。
たまにちょっと拙いところがあっても大丈夫に思えるのはMilaのドラムがいいから。そこで気持ちが安定していられる。彼女のドラムが要。バンドはドラムに支えられているのはあたりまえのことで今更だけどさ。でもさ。
Lucia、YouTubeでいろいろ見てても、いつも身体の動きがしなやかで、ダンスっぽさあるし、脚を振り上げるのとかいいんだよね。見てて気持ちいい。あと、彼女、歯の矯正具がいつ取れるかが気になってる。10代はずっと着けてるのかな。ああいうのって。取れる日が来たら、おお取れたゎあって思う(予定)。
Lucia、客にウェーヴを促したり、他にもそういうライヴでミュージシャンがよくオーディエンスに指示するのを試しに2、3やってみてて、客がそれに応えてくれるの見て喜んでて可愛かった。やってみたいんだよな。ふふ。思いつき、おもしろでやってるんで、演出としてこなれてるわけでも、演奏に上手く絡んでるわけでもない。MCタイムに、ええと、みたいな感じでやってた。そういうのも含めて、見ててほんとたのしくてさ。
Belaは割りとおとなしめというか、はしゃぐタイプじゃない。それで歌がいつも安定してるし、歌上手い、彼女は作曲面でも安定してる印象ある。リードヴォーカル取ってるから「Oh!」とか彼女がメインで作ってる曲だと思うんだけど、曲に巧みさ感じる。まあ単純に「Oh!」はいい曲ですよ。好き。
EloiseはWhat's in my bag?見ててもハード目の音が好きそうだし、そこらへんはおれのイメージ通り。
Eloiseはでもヴォーカルが今の発声だと少し無理して声を荒くしてるみたいに思えてしまい、そこが前から少し気になってる。それで久しぶりに図書館ライヴの見たら、そこでの声はスッと聞けた。彼ら、成長期でもあるし、喉の具合も変化があるのかな。
というかこの図書館ライヴ、まだ一年前か…
1年で大きくなるよねえ。この年頃。
リンダリンダズ、今回衣装がみんな可愛かったけど、デザイン(仕立ても?)Belaがやってんだよな。たしか。つい最近どっかのインタヴューで見た。すごいな。
スクリーンにリンダリンダズのロゴが数種類ループで流れ続けてたんだけど、あれもメンバーの誰かが作ってんのかなあ?もしかして。
リンダリンダズ、幸福感がステージ上にも客席(スタンディングだから”席”じゃないか)にも漂ってて、すごくたのしくて気分良かったな。たのしい気持ち。
でもってリンダリンダズ終わりで次のお目当てがマリンスタジアムのビーバドゥービー、移動を焦ったよ。シャトルバスは既に混んでるし、並んでるし、じゃあ歩いてった方が早かろうとすげえ速足で歩いた。気持ちは焦り続ける。歩きでもさ、結構混んでんだ、これが。隙を見つけちゃ縫うようにガシガシと。遠い。こういう時はほんと遠く感じる。息切れして、ようよう到着。マリンスタジアムは水以外は飲み物持ち込めないの知ってるし、しばらくマリンスタジアムにいることになるしと、あらかじめトイレも済まし、アクエリアスを一気飲みして、一旦落ち着いてから入場。入場はスイスイ中へ入れてよかった。既に始まってる。「Care」の途中から。「Care」、ちょっと聞けただけでも良かった。それでその後も「Coffee」「Talk」「Last Day on Earth」「Cologne」と聞きたかった曲は遅れて入ったけど、全部聞けたんでよかった。
ビーバドゥービー、かわいくて好きという身も蓋もなさですが、遠目とはいえ生で見れてよかった。正直、間近で見たかったです。でも前へ出てく体力も根性もない。
ビーバドゥービー、ドラムが大振りな叩き方(イメージ)で、ドラマーの彼氏(名前把握してない)(いま検索したけどわかんなかった…)好きなんだよな。雰囲気もドラミングも。
待望のビーバドゥービー聞けて(見れて)、そのまま同じ場所で待機。リナ・サワヤマ。
1曲目「Dynasty」でいきなりガツンと掴まれる感じで素晴らしかった。
MCはやっぱ日本語なのかなあとサマソニ出演決まった時から考えてたけど、無理に日本語じゃなくて、話しやすい方でいいから、英語でいいしとか余計なお世話でずっと考えてた、バイリンガルとはいえ、英語の方がずっと普通に話せるだろうし、日本語で話されると照れちゃうとか思ってた。
ショー自体はしばらく前にYouTubeで見たコーチェラ2022でのそれが完璧でそれを見た後は他のコーチェラの出演者見ても気持ちが入らないぐらいだった。
彼女のショーはパーフェクトな構成でいつも隙がないけど(YouTubeで今はあれこれ見れるからね)、でも今回のサマソニでのショーは完成度で云えば弱かった。初めての日本でのショー、そこで日本語で伝えるべきことがあるとの思いが強くあり、ショーとしての完成度とは別にリナ・サワヤマにはやるべきことがあったから。
MCタイム、話題のスピーチが入るあたり、けして見ててスムーズではなかった。流れが止まったりもしてた。
最初に声出しについての見解を彼女は述べ、それはコロナ禍とはいえ、自然に出てしまう声は構わない、オーディエンス同士で声出しのマナーにつきジャッジするのはやめましょうとの呼びかけだった。でもおれ自身はそこで戸惑ってしまったのも事実だ。
そこは矩(のり)は超えるというには気持ちの問題でなく、医療の問題ではあって、更に後ほどにツイッターで知ることになる同じサマソニの別の場所でHYDEが云ったという不安な人の横で声を出すのはけしていいことじゃないんじゃないかという方がしっくり来るものじゃあったし。おれとしては声は自然に出るだろうけど、そこはある程度はわかってて放って置くことだとは思ってはいて、でもステージ上でそれをパフォーマーが口に出してしまうのは別じゃないかとその時には感じていた。
ただ、そういうおれの気持ちや”ジャッジ”とは別に、リナ・サワヤマ、彼女がそのことに言及するのはそれなりの考えがあってのことだし、海外のフェスではそもそもマスクさえしていない、ある程度の経験則と、それに神経質にジャッジすることで争いや不快な思いになるのはこうして今ここに集まった、集まれることのありがたさを打ち消してしまうことにもなるという思いがあったのかななどと思いもする。
それにこの場合彼女がいちばん伝えたかったのは声出しのことではなくして、互いにジャッジしない、いまここは特別な場所、Safety Zoneというものがもしこの世に可能であるのであれば、そうであっていい、そうであって欲しい、という願いだったんだろうと思う。
それでも実際には気持ちにズレが生じ、言葉が行き場を失い、けしてSafety Zoneなんてこともないのが事実だけれど、でも願いはあってもいい、いつか必ずという真摯な思いがもしミュージシャンの側にあるからこそ伝わって来るものがあるはずで。多少のズレや間違い、それらをおいてもっと大事なものはあるし、愚直に理想を信じることの意義だってある。そういう真摯な思いを持つ人の声をこそおれは聞きたい、聞いてたい。それが聞きたくて、それが聞こえてくることを期待して音楽や映画にいつも臨んでる。そういうんじゃない”わかった風な口”を聞くのなんか見たくもないし、Cool気取りのヤツの言なんか構うこたない。
ステージの合間の短いスピーチで伝えられることは限られてる。文章に起こして採点すれば赤が付くこともあるだろう。言いそびれたり、言い過ぎたりだってある。彼女にすれば英語に比べて慣れない日本語で敢えての、日本で日本語で伝えられる機会を自分は充分に活かさないといけないという思いがあったはずだし。少なくとも根にある言葉をなんとか受け取ることに努力を傾けたい。おれは。それはリナ・サワヤマのためであり、おれのためであり、オーディエンスみんなのため、あらゆる人のためでもあるはずで。
(ところで「彼女」でいいのかな。日本語だと「They」に該当する言葉が現状ないからな。そのへん、わからない)
声出しにのそれに続き、ここからが本題、自身のLGBTQの「B」であることと、日本に於ける同性婚の未だ認められないことへの言及があったのは周知の通り。
おれとしてはそのあたり、わかってない、自分の言葉になっていない、ということもあって、今回に限らず言及するのに躊躇いがあるのだけれど、その戸惑いについては稿を改めて書きたい所存、それはともかく、そのステートメントの中で「バイセクシャル」「日本人」「G7」などのワードが聞いていると引っ掛かってしまいもしたが、それも又単語の問題ではなくして、そこだけ拾い上げても彼女の本意じゃない。
この日本で、そして日本語で、しかも多くの人(マジョリティ)には遠く、馴染みのない話題とも考えられることをなんとか伝えようとの工夫として、この場にいる誰しもに伝わって欲しいとの思いで、ある意味わかりやすく、伝わりやすくを心がけての結果じゃないかとおれは取ってる。それとこの場に彼女自身がパフォーマーではなく、観客としていた可能性を考えて、一観客だったかも知れない、かつてはそうでもあった自分に向けての。
「バイセクシャル」についてはLGBTQのいずれかと敢えて云えば「B」ということで(「パンセクシュアル」ではなくして)(←「パンセクシュアル」をおれは判ってないが)「バイセクシャル」と遣ったのだと思うし、「G7」というのもニュース性のあるわかりやすい表現としてのそれではあるし、「恥ずかしい」というのも「それは恥だ」ということではなく、It's a shame that~なら普通の表現のはず、英語には疎いおれだけれども、民主主義をそれでも第二次大戦後標榜して来た国であるならば、今のこの新しい潮流への理解と参加を求めてもいいはずだし、自身生まれた国のことでもあって、もどかしさがより強くありもするだろうし、すべてのことに言及は出来ない、そして「日本人」という表現も限定や特定の意味じゃなく、日本人以外を省く意図が彼女にあるわけもなく、この地に暮らす人間ということの端的な(単語だけ取れば不十分ではあるけれども)表現として、また自身が日本人であるということとも繋がってはいるのだろうということから出て来た単語ではあるはず。それに「日本人」ということよりも「人間」だってことを強調していたのだ。彼女は。そっちが重点で「日本人」は通過点だろう。
以上はしかし、実はおれ自身がその場で聞いている時にそれぞれの単語に引っ掛かってしまったからこそ、ちゃんと考えたいと思って考えた結果でもある。「バイセクシャル」に関しては、それは事情に疎いおれでも、その単語選びは違うのじゃないかとその場で思ったし、またナショナリズムに殊更に抵抗のあるおれとしては「日本人」というワードには意味合いより先に生理的に引っ掛かってしまう傾向があり、だからステートメントを耳にしながらも躓いて、少しく気持ちが冷めてしまったりもした。
でも彼女自身、ステートメントが機能せず、言葉が伝わらず、或いは自身の言葉の選択に間違いが生じる可能性も測ってはいたに違いない。それでも伝えなきゃ、いま云わなきゃってきっと強く強く考えて考えて当日を迎えたのだと思う。
ステートメントの途中、言葉が出ず、英語で言う場合もあって、聞いててやはり日本語だと上手く言葉が出て来ない場合があるんだなあっていうのは実感した。それでも今の日本で、日本語で言う必要がリナ・サワヤマにはあったんだよ。
コーチェラ2022でだったかな、そこでも彼女はフロリダ州で施行されたというDon't Say Gay法への反対表明として「Say Gay!」という呼びかけをしており、でもそれはパフォーマンスに溶け込んだ流れが中断しないものになっていた。それに比べるとサマソニでのステートメントはぎこちなかったが、ショーの流れに多少の差支えが出てでも、これはやんなきゃってのがあったんだと思う。見てて緊張してるのも分かったし。政治的なメッセージに忌避感の強い日本という場所で、スッと言葉が出て来ない場合もある日本語でやることの困難というのがあってでも。
で、おれとしてはステートメントの後、幾つかの単語に躓いたせいもあってライヴそのものにはそこまでノレなくなり、少しく冷めて見てもいたけど、サマソニ後、YouTubeではしばらくぶりにリナ・サワヤマ検索であれこれ見たりして、結局彼女の事ばかり考えてた。真摯な人には結局胸を打たれる。
それとリナ・サワヤマのステートメント聞いた時、すぐに思い浮かんだのはイ・ランのソウル・ミュージック・アワードでのそれだった。
この後に行われたライブパフォーマンス(『オオカミが現れた』)の最後に手話で「差別禁止法、今」というメッセージを伝えたということもお知らせしておきます。
本日の第31回ソウル歌謡大賞(ソウルミュージックアワード)で「今年の発見賞」を受賞したイ・ラン @langleeschool の受賞コメントを、以下、本人の依頼により翻訳して紹介します。「こんばんは。私は麻浦区望遠洞で暮らしている37歳(おそらく韓国の数え年齢・訳者注)のイ・ランと申します。
— HAN,Tong-hyon 한동현 (@h_hyonee) 2022年1月23日
あとライヴ中、彼女、暑いということは幾度か口にしていて、見るからに結構つらそうで、全開になりきれてないかもなあと心配にもなってしまっていた。それもおれがノリきれなかった一因。心配が引っ掛かって。
日本の夏には慣れてないもんな。イギリスよりは暑いでしょ、きっと。蒸し暑い。ステージ上ならば尚更。動きも激しいしね。その後大阪では熱中症ぽくもなったみたいだし。そこもいつものパーフェクトなリナ・サワヤマ・ショーとは違うとこではあったはず。広さ的には屋外のマリンスタジアムでよかったとは思うけど、メッセ方面、マウンテンステージとかがほんとはよかったかもなあ。冷房効いてるし。その方が見てるこちらとしては近いし。スタジアムショーというのはやはり味気なくはある。でかすぎて。
ということで今回どうしても見たかった3組、リンダリンダズ→ビーバドゥービー→リナ・サワヤマの流れは観了。続けてなので忙しかったけど、ビーバドゥービーの冒頭部分以外は被ることなく見れてよかった。わぁい。
で、あとはわりかしのんびり行こうと決めてたんで、一度メッセへ戻る。
雑誌「トラベシア」Vol.6 いしあい号(仮)
10月17日(日)16:00~
西荻窪の本屋ロカンタンで「トラベシア」Vol.6の発売記念イヴェントがあった。
「トラベシア」、今回はおれがテーマ。おまえ誰だよ???ってのがミソとも云える特集。
これはこれでおもしろいじゃないのさ。「いしあいひでひこ」を材料に鈴木並木さんが雑誌を組み立てているという。編集の妙。
【情報】「トラベシア」Vol.6「いしあいひでひこのやさしい人生」関連のまとめです。一般人の人生を大特集しました。好評発売中。
— 鈴木並木丨普通に読める日本語の雑誌「トラベシア」 (@out_to_lunch) 2021年10月24日
○内容https://t.co/IbMSGqPHBC
○通販https://t.co/T7tN2CMVAH
○特別公開 いしあいさんの文https://t.co/4NuuQkR5Rr
○11/28(日)本屋ロカンタンでイヴェントあり pic.twitter.com/1pxZsQgC5x
インターネット歴四半世紀弱、一度としてハネたことのないわたくしなので、ネット内有名人でさえない。イプシロン・ブロガー、イプシロン・ツイッタラー。
しかも若くもないしな。松本清張のデビューが47歳というのはいつも考えることなので、ヤングばかりが脳じゃねえ。まあ、冥土の土産といってはありきたり、おかえりなさい、ご主人さま、お好きなホレンディッシェ・カカオシュトゥーベのバウムクーヘンをご用意しております、、、この先つづかねぇ……
閑話休題。
当日は生憎の雨。傘持って家を出る。でも自宅からはまず所沢までクルマで。駅ビルたるグランエミオの駐車場にイン。そこから西武線で所沢→東村山→国分寺→三鷹→西荻窪。待ち合わせは14:00。ついたのは13:00ぐらいだったっけか。あらかじめめっけておいたドトールへ。ミラノサンド、たしかAとアメリカン(ホット)。当日はちょっと冷えたかな。
14:00、鈴木並木さん、そしてなびすこさんと西荻窪駅前で落ち合う。さてそこから居酒屋へ周辺に詳しいなびすこさんの案内で移動。イヴェント前の打ち合わせ。ここでいきなり話は盛り上がり、なんかもうこれでいいんじゃないかと云うのを、なんせなびすこさんのおれに関する調査の行き届き、そこからの話の流れがよく、初顔合わせとはいえ、すでにたのしくなっており、けどまあイヴェント前に出し切っちゃってもというのもあり、ブレーキも効かせなきゃなんない、とはいえ、いざイヴェントとなったら、更に盛り上がったんで心配無用。
15時には本屋ロカンタンへ。店主の萩野亮さんともここで初顔合わせ。はじめまして。
西荻窪自体、今まで来たことがあったやナシや。憶えがない。いろんなことの覚えはとうにないけれど。まさかの痴気情事の隣とはこの日まで全く気がつかぬまま。
高円寺。これは覚えがある。ジンタ見るため、今はなきペンギンハウスへ幾度も足を運んだ。もう20年近く前だ。うそみたい。ライヴ終わりに打ち上げなどあり、居酒屋を出てのち高円寺駅前でみなでぐるりと輪になっておしゃべりなどしたような記憶があって、40歳近いおれの遅れてきた青春じゃあった。おお、歳月よ、あこがれよ。
阿佐ヶ谷。これも覚えはある。大学時代、バイト先で知り合った、友達というには少し精神的距離はあったかな、けど交流はあった、その彼が阿佐ヶ谷が地元で幾度か行くこともあったし、大学は出た後、バレルハウスというソウルバーへは彼と何度か行った。当時飲酒の習慣はなく、けどズブロッカとか飲んだりしてた。流れる音楽はもっぱらにソウル・ミュージックなわけで、そういう点では居心地はよかった。その彼と最後に会ったのはいつだったか、池袋西口公園でカネ貸してくれと云われ、3万円ぐらい渡したんじゃなかったか、それが最後だ。いまどうしてるのか。
てな感じで西荻窪に近いあたりにはそれなりに用もあったりもしたけれど、西荻窪はほんと行かなかったなあ。カフェ巡りをよくしていた時分ならば行っててもよかったのにね。なんか行くことはなかった。
そんなこんなで16:00を迎え、店内にはお客さんも揃い、配信の準備も完了。スタート。
なびすこさんのリードで幕を開ける。本屋ロカンタンのある西荻窪、そして吉祥寺あたりの昔々の様子を映画のロケシーンなどでチェック。用意周到。「俺たちの旅」など、おれも知ってる、というか、世代的にドンピシャなものなど出て、気分はすっかり60年代~70年代へ。
それらが済むといよいよ「いしあいひでひこ」を巡る過去への旅。
まずは幼少時代、大山(板橋区)。これがおれの提出した数葉の写真などを元に、実に綿密な調査。びっくりだよ。えええええ???って感じで。知りたかった、隣の豆腐屋の幼馴染の女の子、といって記憶はほぼない、その彼女のことはさすがにわからなかったけど、豆腐屋のその後などが地図帳で確認出来たり。もちろん、おれの両親の営んでいたラーメン屋「本陣」の場所なども特定。現在は道路拡張に伴い、その周辺の店舗、建物はなく、道路と化していることなどもわかった。しかもピンポイントで「大山西町」の町史が発行されているという奇跡。そしてそれを資料としてここに出すなびすこさんの調査能力。すげかった。おれは喜んだね。NHKのファミリーヒストリー並みの調査力。感嘆。
次は保谷時代。たぶん小学校入学少し前から小3の夏休み前までおれが住んでいたところ。当時の友達の行方なども知ることが出来、なんか安心したものがあった。生きててよかった。長生きは勉強になる。
小2からの栄小学校についても知ることが出来、しかもやたらアルミで出来た最新式プールが印象的だった理由もわかったりしたのだった。栄小学校自体、当時出来たばかりだったけど、プールは更にその後、工事も含めて当時のおれは見てたわけだよ。そりゃ小学生にはいちばん印象に残る。そして「栄富士」!!!これだよ、おれが求めていたものは。これこれこれ。プールを作る際に出た土を積んで山状にしたもの。この栄富士で、やたら遊んだんだよ。足も脚もズボンも泥でめちゃくちゃに汚しながら。ダンボールで滑り降りたりなんかしてた。すごい遊んだ。当時は汚れてんのなんか気にしやしない。きっと汚いママ授業受けたりなんかしてたに違いねえ。
いやいやいや、なびすこさんの調査能力のすごさよ。ほんとマジで。知りたかったことがあれこれ知れてほんとよかったです。ありがとうございました。
イヴェントの後には参加者数名で沖縄料理の居酒屋へ。ここでまた歓談。たのしかったな。さて、ここでは次回のイヴェント、11月28日(日)、同じく本屋ロカンタン、そこでご一緒する平山亜佐子さんと、次回イヴェントの打ち合わせも。はてなダイアリー他、インターネットの昔を振り返る(?)、みたいな感じでどうかと。
まさかの2回目。諸姉諸兄、たのしみにしてくれたまえ。
でもって解散したのは9時?10時?もう大分寒かった。雨は上がってた。新宿まで暫く一緒に行く人数名、そして新宿からはひとり西武新宿線で所沢へ。人気(ひとけ)のない駐車場。夜の屋上。わるくなかった。ちょっと周りを見渡して軽くムーヴィーも撮った。こんな日はいいな。してからクルマで一路帰宅へ。日曜夜の道路は当然空いてて、たのしく過ごした後の夜の運転、家に着くまでのふうわりと浮いた時間。
うち帰ってからはすぐに髭剃って風呂入って歯磨きしてデンタルフロスして、寝るのは遅くはなるけど、一通り済ましてから寝た方が翌日がラク。おやすみなさい。
ドライブ・マイ・カー
「ドライブ・マイ・カー」(監督:濱口竜介)
季節がいつとか何月だとかわかってなくて見てたんだけど、最後、雪の積もった北海道へいきなり行くけど、てことは既にスタッドレスタイヤにしてたってこと?履き替えてるシーンなんかないし、そんな余裕もなく、とにかく現地を目指すみたいな風だったから、始めっからスタッドレスだったってことになると思うけど、あれ、最後の北海道行きは何月の設定?どっかカレンダーとかでわかるようになってたかな。てか、冬だったっけ?そもそも。そこまで気づいて見てないので、見返さないとそこはわからない。
「ドライブ・マイ・カー」はタイトル通り、クルマに乗り続ける映画だが、ドライブといえば、おれは、特に成人前までは、出かけるとなると父親のクルマに乗ることが多く、父母、おれと妹の四人、ドライバーは父親。
父親は仕事で必要になり、40歳ぐらいで免許取って運転するようになったが、運転はほんと上手かった。同乗していてなんの不安もなかった。
おれは25歳ぐらいで免許を取り、40歳まではペーパードライバーで、そこから運転するうようになったので、運転開始は父親と同じだが、今は毎日運転しているのに、未だに車線変更は怖く、首都高速なんか無理なレベル。その点父親は道もよく知ってたし、首都高速も迷いなく運転してた。
父親は2015年に死んじまったが、最近、「お父さんのクルマに乗りたいなあ」と思ってたりする。
三浦透子、上手いドライバーに見えるように相当練習したのだとは思うが、そこらへん、知りたい。そんな運転テクニックをひけらかすようなシーンもなかったから、映画見てても、彼女の運転が上手いのかどうかはわかんないんだけどさ。運転上手い人が見たら、お、みたいな感心ポイントがあんのかな。
(その後舞台挨拶とか見たら、彼女、これの前は免許も持ってなかったという)
映画見てて時間が経ってく設定の場合、無精髭がいつも気になる。おれは朝剃っても夕方には伸びて来てしまって、触れば感触があるくらいにはなる、比較的ヒゲの濃い方だから、映画見ててもヒゲには注視してしまう。時間経ってる割には口周り、剃ったみたいにキレイじゃね?とか。明らかに徹夜しましたって設定だと、むしろわざとらしく無精髭が伸びてたりしがちで、それはこの映画でも最後の北海道行きでは時間が経つに連れて西島秀俊のヒゲは伸びてくる。でもそこ以外はどうだったかな?って少し気になってる。これも見返さないとわからないけど。こういうのは演出とかより、むしろ役者の方で気がつきそうだな。「監督、ここは無精髭伸びてんじゃないですか?時間経過的に」とか。役作りの過程で気がつきそう。
三浦透子の母親が多重人格的な症状を呈していたと彼女の口から最後語られるが、病気をドラマ内で使う場合は便利なそれとしての利用になりがちで、ここでもその気配を感じて、気になった。特に精神病の扱いは以前とは違い、軽々とは今は使えなくなってる。昔はすごい安易にあったけどね。あと、記憶喪失はありがち。まあ記憶喪失の方は、またこれかよとその安易さには定評があるので、ばからしくも流せたりはするけど、多重人格っていうのはある種便利過ぎるんだよな。実際にあるということとは別にドラマの中でそれを扱う場合は、見ているこちらがそこで引っ掛からない工夫が必要だと思うし、その工夫はもちろんすごくむずかしい。ここでは少し安易に見えた。原作は読んでないんだけど、短編で、現実から少し離れた、一種寓話として描かれているのならば、まだ納得しやすいとは思うんだけど、現実的な設定で、生身の人間が演じていると、気になり度合いが上がる。それに当然、倫理的な問題としても、これでいいのか?と見ている人間には疑問が湧いてしまう。
濱口作品での女性の表象には以前から疑問があって「ドライブ・マイ・カー」でもそれは相変わらずだった。
西島秀俊の妻(霧島れいか)がオーガスムと共に物語を紡ぎ出す、って、それって巫女ってこと?女性が神秘的な存在として描かれてやしないか。そこが気になる。大江健三郎の「個人的な体験」で主人公の鳥(バード)は「火見子」という妻ではない女と交合を繰り返して、やがて”救われる”のだけれども(大昔読んだんで、記憶は曖昧じゃあるけどさ)、「火見子」なんて名前が如何にもだけど、謂わば巫女的な存在としての女性であって、それにインスピレーションを得てるんじゃないかと考えてる。原作は村上春樹で、村上春樹が大江健三郎に影響受けててもなんの不思議も(世代的に)ないだろうし。
「火見子」には「ミコ(巫女)」が入っているし、女王として、そして巫女として神と通じている。
「個人的な体験」だけじゃなくて、その(パクリ)元になったジョン・アップダイクの「走れウサギ」の影響だとしてもアメリカ文学大好きな村上春樹ならもちろん十分に有り得るだろうし。「走れウサギ」はこれまた大昔に読んで、なんの記憶もないんだけどさ。ともかく。どらちらにせよ、「女(という神秘的な存在)に救われる」話ってことではあって、そういう「罪と罰」のソーニャ問題というのは、主に男たちによって紡がれて来た近代文学(よくわかってないけど、まあこの単語遣わせて)ってやつにはつきもので、昨今はそのへん、そういうのどうなの?って流れにはなって来てるとは思い、おれもそこに乗っかってて、いまこんなこと書いてる。
「ドライブ・マイ・カー」、主人公の妻は物語の割と前半で死んでしまうけど、テープの声としてずっとまだ生きている夫には語りかけ続けていて、その棒読みのセリフの繰り返しとの応酬の中で、主人公の男は”救われて”ゆく。女が生命を賭して、死んだ後も巫女としての語りを通して男を癒やしていく。なんて都合のいい。女を殺してまで。
「ドライブ・マイ・カー」では女ばかり(娘、妻、三浦透子の母親)死ぬ。男は匿名の男しか死なない。
衣装が全体的によかったな。スタイリストが誰かクレジット見ようとしたら、見逃してしまった…
三浦透子が野暮ったいカッコで、フェミニンな魅力、性的なそれを消してる、抑えてるのが、却って、美人の逆をやってるだけ、金持ちの反対は乞食みたいな、そういう単純さとして見えてしまい、それは美人好きが逆に見て取れるみたいになってない?って思うの。そうじゃなくて「ふつう」はないの?って。
走るクルマを後ろから見ている場面、カメラを積んだクルマが後から追いかけていると見ていて必ず意識する。もう一台走ってるなと。それがどうこうっていうんじゃないんだけど、映画を見ながら、これ、撮影してるクルーがいるなあと、まま思うことがあり、映画って、なんかそういうのも込みだよね。見ながらお話に没頭してるのと、客観的に撮影方法なんか考えながら見てるのと。
三浦透子には北海道への道すがら、どこかで顔を洗って欲しかった。西島秀俊は無精髭が伸びることで、長時間の旅を見て取れたけど、若いとは言っても彼女も顔ぐらい洗ってさっぱりはしたくなるはずだし、そうせずにはいられないはずだし、彼女の顔の変化をヒゲなんか生えてはいないので感じられず、けど一方、そうもさっぱりした顔をしていられるのは途中で顔を洗ったからだろうと考えてしまったので。人は顔を洗う。歯を磨く。トイレへ行く。
映画を撮る映画はいっぱいあるし、「ドライブ・マイ・カー」みたく演劇を作る映画ってジャンルもあるよな。濱口監督は、それが好きみたいだし。演劇がいつも出てくる。
乳首を映さないのならベッドシーン自体、よせばいいのにっていつも思っちゃう。「サイコ」じゃないんだから、なんで上を脱がない?って毎回気になる。脱いでも頑なに乳首が映らないように撮っていて、わざとらしさに毎回戸惑う。そうせざるを得ない大人の事情とかも考えてしまい、悪い意味で現実に引き戻される。
ベッドシーン、セックスの描写って、ほんと難しいなって思う。見ててすんなり入ってくる場合は少ない。滅多にない。見ていて恥ずかしくなったり、早く終わんねえかなあって思うこと度々。じゃあどういう場合に納得出来るのかというと、それはそれでわかんないや。何が決め手なんだろ?終始セックスばかりしている「愛のコリーダ」はめちゃくちゃすんなりと入ってきた。とにかく毎度、このベッドシーン問題を考える時は「愛のコリーダ」のこと思い出してる。「愛のコリーダ」はあんなにいいのに。でもなんでそうなんだろう?何がだめといいの決め手なんだろう?ってわかったことがない。
「ドライブ・マイ・カー」では西島秀俊と霧島れいかのそれがあり、重要な事として描かれてもいるけど、でも見ててもやもやはした。乳首の映る映らないもあったけど、それを措いても。象徴的なセックス、意味のあるセックスとして、ここではあるわけだけど、でも見ていてすんなりとは入っては来なかった。意味のある場面としてのセックス描写だから、わざとらしさを感じたというのはまずあるか。他にはなんだろな?
それと映画でセックスが描かれる場合、AVではないので、そのことばかり長々と映してるわけにもいかないし、クライマックスを描写せざるを得ないというのもあるとはいえ、挿れるの早過ぎ!っていっつも思う。え?もう挿入しちゃうの?って。映画で前戯、後戯とかいちいちやってたら、それだけで映画終わっちゃうからしょうがないんだけどさ。単にセックスしてんの見せられても退屈だし。セックスはしてる当人たちはいいけど、傍から見れば、退屈な仕儀には違いない。エロビデオを見ていて興奮するのは自身の内に性的現象が見ているものに喚起されて生じているだけで、ビデオそのものに面白さがあるのとは違う。オナニーでもセックスでもそれ自体に興奮があり、それと映画を見ている興奮は別の話だ。なので当人に起きている興奮でもない他人のスクリーン上のセックスが”映画として”興奮を呼び起こすようにするのは至難の業も当然至極。本来退屈な筈の他人の生理的興奮を映画としての魅力へと変換するには何をどうしたらいいのか。おれにわかるはずもない。そして大概の映画監督にもそれは理解できない。
いや、映画としての興奮が見ている側に起きる時、それは映画内の人物たちの感情の交歓、感情の機微、気持ちの遣り取り、それに感情が引き摺られるからか。そうか。だから映画でのファックシーンが見られるものになるには身体の絡み合いじゃなくて、気持ちの絡み合いを観客に届くように見せればいいのか。なある。もちろん、それ自体が難しいわけだけどさ。まあね。それが簡単に出来んのならば、だぁれも苦労はしない。
最後の三浦透子の乗ってるSAABは西島秀俊から譲り受けたものなの?まさか二人が結婚とかしてないよね?だとしたら、やだなあと思ったんだけど、なんか見てればわかるようになってた?
後から気がついたけど、SAABに載せてる犬はたぶんあの夫婦の犬で、ということは犬と、そしてクルマもそれぞれに譲り受けたものなんだよな。というか犬に関しては、もしかするとあの夫婦と共に、あるいは近くに暮らし、演劇関係のアシスタントとかしており、散歩や何かで連れ出すことがあるのかも知れない。
ただ、北海道の彼女の埋もれた実家を間近に見下ろす雪の上での三浦透子と西島秀俊の抱擁は長く、だらだらとして感じられ、性的な感じも感じられて、見ててもやもやしちゃったんだよな。なんかもっとあっさりとハグに留めるか、あるいは触れ合うことなく、けれど気持ちの繋がりを暗示するような何かであった方がよかったな。べたべたしてたし、なにより時間が長かった。
あの雪に埋もれた三浦透子の実家は、あれ、セットとしてああいうふうに作ったのかな?それともCG?美術として、あれを作るのは大変だろうなと見ながら思ってて。まして雪が被ってるわけだし。雪の降る前に屋根とかを用意してとかって、それも考えづらいなって思って。ロケーションしててちょうどいいのがあったとか?そんなわけないか。あったとしても撮影許可とか考えるとね。
二人の抱擁の後に無人のSAABが映るのだけれど、そのクルマの下には雪がなく、それがどういうことなのかわからなかった。元々乗りつけた時点では雪の上に止めてた筈だし、しかし、ああしてクルマの下だけ雪がないということはその後ある程度以上の時間、そこに止め、その間、雪が降り積もったということではあるし。
三浦透子、何読んでたのかな。文庫本。
なぜ劇中、CDではなくレコードで、CDでもデータでもなくカセットテープだったのか。車中がカセットだったのはSAABが古くて、搭載してるのが昔のオーディオ装置だったからってこと?まあ自宅でもわざわざレコード流してるわけだし、そういうアナログ趣味ってことじゃあるのか。そういういやらしさは村上春樹原作だから、やはりなのか。
考えてみれば、車中、テープで亡き妻の声が流れ、夫である西島秀俊はその声に呼応して芝居のセリフを声に出し、そして夫婦二人の亡き子供と同い年の女性がそこにいるので、誰も望まない、歪な形で親子が揃ってる、ドライバーの彼女は滅多に喋らないとはいえ、夫婦、親子で会話してるとも云える。
映画では劇中、韓国手話が使われることがあるが、韓国手話といえば、おれにはイ・ランの「イムジン河」のMVを想起する。しかも彼女のコンサートでは日本語字幕で歌詞がスクリーンに映し出されたりもしており、その点でも「ドライブ・マイ・カー」とも少し被る。要は双方共に言語の違う相手とのコミュニケーションを生で行う方法を採っているということ。
演技そのものとしてはオーディション場面のそれが圧倒的だったよね。岡田(将生)くんも、パク・ユリム(手話で演技をする女性)も。パク・ユリム、ほんと素晴らしかった。
おれは岡田(将生)くんがとにかく好きなので、彼が出てるだけで、ああ岡田くんだあと嬉しくなってしまうの。だからなんだと云われても困るよ。
「昭和元禄落語心中」の岡田くん、ほんと素晴らしかったよね。ああ。
吉田大八が役者として出てたはずだけど、クレジットで見た、どこにいたの?わかんなかった。おれが彼氏の顔を把握してやしないんだから、あたりまえっちゃあたりまえだけど。
メタファーや思わせぶりの洪水。広島。土砂災害。子供の死。子供と同い年のドライバー。タバコ。レコード。緑内障。多摩ナンバー。ヤツメウナギ。繰り返される、セリフのやり取り。役者には敢えてのセリフの棒読みを演出家(西島秀俊)は課しているけど、途中までの三浦透子も棒読み的な言葉しか発しなかったこと。手話。ゴドーを待ちながら。ワーニャ伯父さん。盗撮。犬。最後、三浦透子はスーパーで食料品を買い、車内で犬と戯れるが、食事を拒否し、笑顔を拒否していた彼女が最後にそうなるということ。冒頭、霧島れいかの顔は暗く、映らないが、その後彼女の死の後も、彼女はテープの声のみで顔を持たないこと。妻亡き後、夫はスマホで撮影した動画を見たりはしない。死者との会話。映画内、ずっと晴れていたが、最後、北海道行きの途上でようやく雨は降り、北海道に着くと降ってはいない、積もった雪。三浦透子は最後にマスク姿。等々、とにかくなんかしら意味のあるような要素の目白押しで、入れ過ぎだろうとは思うし、それ以上に、なんか頭で考えたアイディアを入れてる、手が見える感じもしてしまう。
結局、「女に救われる男の話」で、今回、脚本家は男性二人で、これが女性が入っていたらどうなっていたかとかなあとかぼんやりと思う。女が入ってれば、それで済むってことでもないんだけどさ、なんつかともかくオルタナティヴな視点てのが欲しいわけですよ。ないものねだり。
妻が脚本家で、深夜ドラマの脚本として、みたいなのがあったけど、濱口監督の深夜ドラマ、見てみたい。テレ東が待ってるよ!
「寝ても覚めても」、それに今回の作品でもメジャーな俳優を使うことについても考える。インディーに映画を撮ってた時はメジャーな俳優は出て来ないわけで、今回だと、特に西島秀俊がいて。そういうことでの同じ監督での作品の変化みたいなもの。これは今後考える。(考えるわけじゃないな、なんとなくそのうちいいアイディア思いつかないかなあと)
あと「ドライブ・マイ・カー」だと演劇祭の関係者の2人が素人(?)演技で、それこそは棒読みで、そこらへんの異化効果は監督は意識してないはずがないわけで、そこもなんか気になったので。メジャーな人と一般には知られない人の対置。
ラスト、三浦透子が観客に向かい手話で語りかけたならよかったんじゃないか?なんて云うのかはわからないが。「よかったら乗りませんか。運転は私がするので」そして走り去る赤いSAAB。
冥土の旅の一里塚
今日は休み。
ゆうべは11時くらいには寝て、5時くらいには覚醒して、それから6時半過ぎまではなんとか布団の中で過ごした。どうしても寝ていられない。二度寝が出来ない。
起きて歯磨き、髭剃り済まして、ゆうべの残りの酢豚をチンしてあっためてそれ食って、それだけだと足りないので8枚切りの食パンに溶けるチーズ載っけてトーストして食った。コーヒー飲んでたっけな。そんときは。ゴールドブレンド。
そうだ。ゴミ捨ても行った。今日のはビン缶。
あと飯食い始めてちょっとしてから、そういや洗濯と思い、洗濯機を回し始めた。下着とかタオル類、仕事着や今も着ている部屋着、それら、嵩張るので2回に分けてスピードで。その後、シーツと上掛けのカヴァーも。最近はずっと週に1回はシーツ&上掛けカヴァー洗ってる。こんなことは前はなかった。シーツなんて、半年ぐらいそのままじゃなかったか。今はそれが週1。習慣は変わる。これらも洗濯はスピードで。
ちなみに寝るときはもう枕なしがずっと。いつだっけ?2、3年前?もっと前?よく憶えてないけど、左手に痺れがあって、それで試しに枕外して寝てみたら治ったんだよな。要はストレートネック的なもんじゃないかとは思うんだけど。なんか首あたりの神経かなにか。それ以来ずっと枕なし。
シーツも済むと毛布。毛布は無印良品の薄いやつで、洗濯機で洗える。これだけは「毛布」モードで。それで洗濯機にゴー掛けてから、もう出かける時間なんで家を出る。歯医者。今日は10時からの予約。施術時間、約1.0時間。ここが特にそうなのか、それとも保険診療外だからなのか、毎回、1時間ぐらいは掛けてる。あるいは30分。2週に1回ぐらいの割合で去年の8月から通ってる。一番長いときで2時間コースもあった。今までこんなに丁寧に歯科治療したことはない。今回は今までになく本格的。被せ物もセラミックにしてる。今後、老後に掛けての準備である。
歯医者済ますと一旦家へ帰り、先ほどの洗濯物(毛布も含む)を車へ積込み、コインランドリーへ。24分コースで乾かす。そして帰宅。サッポロ一番みそラーメンと、これまた今朝と同じく酢豚の残りで昼食。メシ食った後はしばらくベッドでだらだら。ちょうど13時になると皮膚科の当日予約。
そして2時半過ぎに家を出て当該皮膚科へ。当日7番。といって、本来的に予約してる人が優先で、おれのはあくまで「当日」予約だ。一通り終わると4時位。そこからショッピングモールまで行き本屋へ。「キネマ旬報」。杉野希妃(すぎのきき)のインタビュー目当て。
そして行ったことない、出る前にグーグルマップ「ケーキ屋」で調べといたケーキ屋へ行き、ケーキを幾つか購入。1個食っただけだが中々美味かった。
そう、今日はおれの誕生日。自分にご褒美、ハッピィ・バースデー。
58歳。
今は日常的にケーキが食えてしまうんで、なんかいいかとは思ったがこれもイベントの一種とは思い、行ったことないケーキ屋でケーキ買った。
自宅方面へ戻り、薬局へ行き、皮膚科関係のクスリを入手。保湿剤と飲み薬。そして帰宅。風呂をざっと洗い、スイッチを押し、今度は近所のスーパーまで。よなよなエールと牛乳、納豆、ヨーグルトなど。最近、飲酒はたまに。今日は誕生日ということでのよなよなエール。今日は旨く飲めた。ビールっても日により、味が違うよね。味が違うというか、美味いと感じる日と、無理に冷たいの、今は特に寒いし、飲み込んでる気しかしない日と。今日は幸いおいしく感じられるフェーズだった。
夕飯は味の素の餃子と納豆とわかめの味噌汁と、おれが昨日買った冷凍のイカフライと、出来合いのもずく酢と。それとよなよなエール。(夕飯はいつも母親が用意)
食事途中で母親が姿を消し、どうしたかと思うとトイレ。そしておなかが痛くてとか云う。ちょっと心配したが、医者はまだやってるし、いつもの内科は近所だし、おれはビール入れてしまい送ってけはせんが、母親が歩いて行ける距離、行くよう促して、病院へ。帰宅までの間、おれはアトロク聞きながらメシを食い終わり片付け、母親が中途な残し方だったが、腹痛(はらいた)では帰宅したとて食うまいと思い、それらも片付け、燃えるゴミがもういっぱいで、まとめて、新しいゴミ袋に替え、それからケーキ(ティラミス)とコーヒーを用意。食ったり写真撮ったりして母親の帰宅を待った。40分ぐらいで、クスリも調達しての帰宅。早いでしょ?病院が近いって、いい。聞くと2、3日前からちょっとおなかの調子がおかしく、今日の昼間も調子悪かったらしい。下痢。医者にも云われたらしいが、今日の昼間のうちにでも行けばよかったのに、なんか様子見をしちまったらしい。まあ、うちの母親は割とすぐに病院行く方で、そこはいいんだが。
で、まあ母親の姿見て安心したんで、おれもダイニングを去り、自室へ。いまはこれ書いてる。TVでYouTubeで「マイ・フェイヴァリット・シングス」(コルトレーンね)を流してる。
今日はそういや、クルマ流してる時、ラジオ(山崎怜奈の「誰かに話したかったこと。」)から斉藤和義の「歩いて帰ろう」が掛かり、ちょっと思い出す事などあり、少しく胸が痛くなった。時は経つ。おれはもう58歳だもんな。
あと、そう、皮膚科行く時、対向車線のクルマが左へハンドル切り過ぎたのか、フロントを縁石(?)か何かにいきなりぶつけ、割とスピード出てた、自損事故を目の前で見てビックリした。運転手は普通に動けてたし、おれの方見てごめんみたいな挨拶したくらいだったが、そのクルマのすぐ後を走ってた車の中の人はビックリした顔してた。そりゃ驚くよな、突然のことには。ギリ、ブレーキ踏んでぶつかんなかった。結果、事故的には大した事にはならんかったが、やはりクルマを人が運転するのって無理ある。怖い。いつでも。
2015年の夏 Pt.3
クルマ屋
昨日クルマ屋行って「先日父親が亡くなったんでクルマ、処分したいんですけど」と言ったらすぐに必要な書類はこれとこれと教えてくれ、今日の昼間母親が役所行って取ってきてくれたんだけど、あれなんだよね、処分するにしても、一応カタチとしては相続したってことにはして、それからってことになるってことで、なので「原戸籍」ってのが必要です、と、クルマ屋さん。
そのクルマ屋はおれが数年前にいまよりひとつ前のクルマ買う時から行くようになったトコで、すごく感じよくて、なんていうか、ふつうな感じなんだよね、ふつうに話せる、おれはそういうのんがしっくりくるし、なんか頼んでも端数は切り捨てみたいなのもあって、そういうざっくばらんというか、個人商店ならではの、融通の効き具合みたいのんもよくて、そしたら、父親もそれまでは他のクルマ屋だったんだけど、おれが使ってるそこにしてみるかって云うんで、そこでいまのクルマ買った。
まあクルマ屋のおにいさんも唐突でビックリしたとは思うけど、まあともかく。
そんでその「原戸籍」ってやつが、なんか古臭い、縦書の、昔風のいかにも「戸籍」って仕立てのやつで、うちの父親は出自がややこしい、戸籍と実際の父母がまったく別、カンケーないみたいなよくわかんないことになってるとは前から聞いてるけど、詳しく聞いたことは一度もない、いまとなりゃちゃんと聞いときゃよかったとは思うけど、なんだか実の母親はうちのお父ちゃん産んですぐ死んだらしく、しかも産まれた時点でほんとうの父親はなんだか東京の方へ男の子一人連れて家出してたとかで(うちの父親は末っ子で、その男の子は5人兄姉の上から2番目)、そんでその男の子を持て余したあげく、たまたま出会った行商で花屋やってた人に預けたとかなんとかで、意味がわからんのだが、なんかいろいろいっぱい事件があったらしい、そんでだ。
うちの父ちゃんはさ、その正に戸籍謄本を昔の高校入学には(旧制中学?)必要で取り寄せたら、なんだかまったく知らない名前が載ってるし、なんだよこれはってことでグレたらしいんだなあ。
その、「おれは自分のほんとうの父母を知らない」ってコンプレックスはもうほんと強くて、それこそは2、3ヶ月前にもそんなこと口にしてた気がするもん。
そういうのってすげー引きずることじゃあんだろうけど、おれなんか、こんなかわいいかみさんいて、穏やかな暮らしも手に入れて、そういう方でもっと満足しろよ、みたいな気持ちがいつもあったけど、そういう卑屈さみたいのはでも生涯治らなかったっていうか、性格だったなあ。
でも生まれはややこしいとはいえ、地主の家だったりで、まあまわりに比べたら裕福な暮らししてたし、でもせっかく始めたラーメン屋は止めちゃったし、その後はずっと肉体労働で、社会的成功とは遠く、他の兄姉たちがそれなりになってる、親戚でも検事正まで行ったような人もいるみたいのが更に劣等感を強めてたのか、なんか人を羨むばかりのところは、ほんとずっと、ねえ。そこはほんとさあ。食卓でそういう劣等感聞かされるとほんとうんざりもするわけだ。
実際にうちのことはこまめにやるし、仕事はずっとマジメにやってたし、かわいいかみさんいて、子供も2人、孫も出来て、住みやすい一軒家も建て、最期までひとりで動けてて、近所のサークルにも参加してたのしんでたしで、考えようによっちゃ、ずいぶんと幸せだとは思うんだけど、でもダメだったなあ。口にすることだけは。行動はそんなわるくない、ってか、早くに亡くなったすぐ上の兄貴の子供たち(つまりおれのいとこだ)が大学進学でこっち来ると引っ越しやらなにやら良く面倒見てたし、人の世話をするのは好きだったし、ごはん作りはするし、洗濯はするし、おれにはカブトムシ育てるでかい箱作ってくれたし、その他いっぱいいいトコあって、でもしゃべることがなんかなあで、台無し、って感じで。
おとうさん、おとうさんはおとうさんが思ってるよりもずっとしあわせだし、いいトコいっぱいあるよ、いっぱいあったよ。それがなんでわかんなかったかなあ。だから結局、娘、つまりおれの妹だ、とはどうしても上手く行かず、その延長で孫たちともうまくコミュニケーション取れないまま逝っちゃってさ。そこは惜しいや。ほんと。もぉ。
で、その「原戸籍」見ながらかあちゃんと今日話したんだけどさ、父親は生まれも育ちも長野県なんだけど、その戸籍には出生地が「東京都小石川区」ってなってんだよねえ。意味わかんねえw
なんで唐突に小石川。
江戸っ子かよ?!
そんなバカな。
どう考えても、ってか考えるとかじゃなくて事実、長野県人。
ちなみに「南信」「北信」なんて言い方がありましてな、そんな言い回し、長野県人以外でしてんの見たときない。
うちの父親の父親、つまりおれの祖父さんだ、その人がなんで長野くんだりから東京まで子供一人連れて出てったのか、そして結局その人が最期はどうなったんだか、戸籍上の父母になってる人はいったい誰でどういうつながりなのか、是非ともNHKの「ファミリーヒストリー」で明らかにして欲しい。
おれが有名人になれば、それも可能だなあ。なんかがんばろうかなあ。
まあ親戚の誰かはそこらへんの流れを知ってる人はいるとは思うんだけど。
あとおとっつぁんの育ての親ってのがいるわけですよ。それはおれも知ってる、おれが祖母として認識してる人で、その、高校だか行くまではうちのおとっつぁんがほんとうの母親だと思ってた人で、でもナゾなのが後添えとかじゃなくて、だって「父親」はとうに家出していないわけだし、いったいその「祖母」が誰の嫁だったのか?ナゾは深まるばかり。
考えてみればさっぱりわからない。
うちの母親も今日話してたら知らなかったw
あとあれだよねえ、うちの父親はそんな風に出自がややこしいし、更に高校出て東京出てきてあちこちの料理屋で小僧やって、それもあちこちの店へ入っちゃ辞め、みたいの繰り返してたり、スポーツも得意だったし、高校卒業するまでだって、子供時代からやんちゃでいっぱいいろんなことあったろうし、東京来てからも、リアルに新宿の「和田組のマーケット」をウロウロしてたわけだし、気が小さいのもあってか、すごくありがちに「おれは昔わるかった」みたいなこと口にするタイプで、いつぞやは墨を入れかねないこともあったとか云ってるし、エピソードはいっぱい持ってるはずなんだよね。でもほとんど聞いたことなかったなあ。具体的には。エピソードトークがあんまし得意じゃなかったのかなあ。それも特に家族相手だとさあ。
もっとこう、エピソードトークをおもしろおかしく話せるような人だったならよかったんだけどねえ。持ちネタいっぱいあったはずだし。
つまらんコンプレックスの披露か、底の浅い床屋政談なんかよりかはずっと。
もっと話、おれが聞きゃよかったんだけど、やっぱまあおとうさんと話すのは苦手だったよ。
母親相手だとコミュニケーション取るのはわけないっていうか、遠慮がないっていうか。
息子は母親につく、みたいなあれです。
父親とはやっぱ距離がいつもあった。
もっと近づきたかったけど。おとうさんの方もそうだろうっていつも思ってたけど。
そこはなかなかねえ。うう。
立教大学
今日昼ぐらいに池袋行って立教大学へ。
立教、ってか、立教ん中にある書店ね。
あれだ、入試要項とかもらい行った。
甥っ子(長男)が各大学の入試要項とか取り寄せてて、この前送ったりもしてたんだけど、こっち来てる時に「立教大学も頼んでるはずなんだけど、来てない?」って云われて、来てないなー、なら今度の休みにでも立教大学行って取ってくるよとLINEで連絡など取り、今日行った。
でもいざ行ってみれば立教大学は入試要項は全部ネットでダウンドーロって貼り紙貼ってあって、更に念押しで店員さんに聞いてみたら、やっぱそうで、なんですぐに甥っ子宛にLINEしたら向こうは夜の11時ぐらい、まだ起きてるような時間ですぐ返事来て、そうなんだわかったってことで決着。
ほんでそのまま新宿へ若尾文子特集の「青空娘」見に行ったらチケットがソールドアウト。なんですぐ引き返して『てんや』でかき揚げ天丼食って帰宅。
暑い日だった。
洗濯は朝からして、干して、シーツも上掛けも、母親に昼過ぎには取り込んどいてくれと頼んでおいといた。この時期、夕立、昨今でいうゲリラ豪雨か、それがありうるからねー、あと、洗濯物もせいぜい2時間ぐらいで充分に乾くしね。いま時分は。
まあ2週間ほど経ち、おれもふつうに仕事行き始めてるし、父親のクルマは今朝ほど引き取ってもらったし、年金方面の手続きも既に済まして、事務的なことも割と進んでる。
あと、今日、Amazonで頼んどいたメロン(2個入り)が届き、夕方、近所へ香典返しってんで届けてきた。
のし紙「志」ってのはネットでめっけて印刷してセロテープで貼っつけて。
母親がメロンがイイ!って主張でメロン、なったんだよねえ。
配った後でなんか美味そうだし、自分とこ分も頼みゃよかったねってことになり、スマホをグリグリ、頼んだ♡
ジャッキー
それと妹の旦那、おれからすりゃ義弟ってやつか、彼氏の姉貴たち、彼は唯一男子で上に姉が3人(存命がそうで、もう一人いた彼のすぐ上の姉は十数年前に不幸があり、亡くなっている、ジャッキーって名前で、彼女は他の姉たちよりも彼にいちばん近く、仲も良く、おれも十数年前に一度だけ向こう行った時会ってる、すごくすごくやさしい女性で、でも当時幸せとは言いがたく、そして更に不幸があり、死んでしまった。ジャッキーにはずっと生きてて幸せになって欲しかった、そして日本へ遊びに来て欲しかった)、でだ、その姉さんたちからお悔やみのメッセージが届いていて、ありがたい、なんとそのメッセージカードに添えてオカネ(日本円)が入ってた。たぶん、弟に云われて日本には「香典」て習慣があってと云われたか、あるいは葬儀に出ることも出来ないし、花を送るとかってわけにもいかないので、その代わりってことかも知れず、いずれにせよ、そういうことを気遣ってしてくれるってありがたい。気持ち、ってありがたい(;_;)
そんで母親と話して、メッセージカードとそれに添えて「みすず飴」(長野県の名物)を送ることにした。「みすず飴」は昔、向こうへおみやげに持っていったら評判がよかったらしいんだよね。
やっちゃ場の女
若尾文子映画祭で見た「やっちゃ場の女」これがすばらしい傑作だったんだけど、そん中でおかみさんが早々に死んじまって葬式ってことになんだけど、それはもっぱら家の中で行われる、いまみたくどこかよその会場でってのはもっとずっと後のことなんだろうなあ、そいでもって、その葬儀の最中、好き合うもん同士が恋の駆け引きしたり、子供は紙飛行機飛ばしてはしゃいでるし、みんなバタバタと忙しく、自分のことに忙しく、誰も悲しんでるもんもいなくて、したらその映画の感想でこの家は亡くなった者がいるのに誰も悲しんでない、異常だみたいなこと書いてる人がいて、でもさ、葬儀だからって悲しむかってえと、必ずしもそういうもんでもないよねえ。
それは死んだ人、死に方によるだろうとは思う。
葬儀=メソメソ家族が泣いてるだなんて、まったく通俗に過ぎることで、いっそリアルじゃない。
悲しくたって、そうメソメソする、涙流して見せるとは限んないじゃんねえ。
それに葬式の最中だって結構朗らかに笑ったりしてるもんさ。
そういうもんさね。
したらその映画を見てしばらくしてうちの父親が死んだわけですよ。
なんだか葬式見てたんでその映画で、なんとなく予行演習みたいだったなあ。べつに参考になったりはないんだけどさ。結果的に。
あと、うちも別におれもかあちゃんも泣いたりはしてないよ。泣かないね。わりとあっさり淡々と死を受け止めてた。
前から予感あったし、ある意味、悔いのない死じゃあったからさ。
ただね、あれだ、ショックは受けるよ。
お母さんは丸2日ぐらい、なんも食えなかった。
それで木曜日の夜に死んじゃって、土曜日の夜にようやくおれに地元で美味いとこあって、そのラーメン屋行こうっていって、ようやく食ってた。ちゃんと一杯完食してた。それまではほんの一口なにか口にして、もうそれきり、現実なんも食ってない、みたいだったんだけどね。
食わなきゃっつって、かあちゃんの好きなそのラーメン食ってた。
そっからは徐々に戻って来てたかなあ。いろいろと。持ち直し始めてたかも。
それで日曜の夕方には妹ファミリーが来て一気に我が家が夜も含めて賑やかになり、それから一週間、彼らは滞在してて、それがよかったなあ。
おれとしては妹の顔が毎日見れるのがうれしかったし、子供たちいるとなんか明るくて、いーよね。やっぱね。
おれとかあちゃんの2人きりが訪問客もひと通り済んだ後にそれだったなら、なんかもっとつらかった、っていうか、そんな重いもんじゃなかったとは思うけど、気が紛れる一週間があったのはほんとよかったと思う。
いつもと違う空気、お父さんが死んだそれじゃなくって、甥っ子たちがいてのそれがあってほんとよかった。
彼ら、ちょうど向こうの夏休み中で、だからみんな来れてさ。
ラッキーだった。来てくれて助かった。
子供たちはね、未来なんでね。父ちゃん死んでも未来はあるよ、まあそういうね。
うん。
クレジットカード
葬式関係がひと通り済み、葬儀屋への支払いの段取りってことで、おれ、「イオンのお葬式」だからイオンカードで払ったんだけど、したらうちの担当の葬儀社の人、カード決済する時に、こう紙を挟んでさ、カツーンと取手動かすみたいな道具使ってて、おれはあまりの懐かしさに、おれがちょうど池袋のビデオ屋、アダルト専門店、もう27年とかそういう昔に店でクレジットカードの時に使ってたの以来に見かけたそれなんで、思わず「それ、なつかしーですね♡」って云ったら、その女の人、思わず苦笑、「ですよねー」みたいな感じで周りにも何人かおれ以外にもいたけど、みんな笑っちゃって、和やかでいいムードだった。
そんなんも含めてなんかいい葬式だったなって思うよ。
形式張ったそれじゃなくて、気持ちがあって、それでふつーで。
ふつーがいちばん、てのがおれのモットーだしな。
その葬儀社の女の人もうちの雰囲気もあってか、そんな硬くもならず、ふつうな感じでいてくれて、なんかそんなんがよかったな。
なんだかそういえば父親の死に伴うしばらくの仕事へ行かない日々は、といって4日間プラスちょっと、ピンポイントで仕事行ったりだのなんだので、丸々の休みが続いたわけじゃなかったけど、でもでも、なんだかひさびさのオフって感じがしてた。
仕事、というか俗世間から離れてる感があって、そういう点ではどこかすっきりと落ち着いていた。自分のペースで時間が過ごせてる気がしてた。
人に云われてとか、人の目を気にしてとかじゃない生活っていうか。
そりゃ親戚なり来るし、人目ってのはあんだけど、なんていうか、自分でコントロールできる範囲というか、自分で選べる範囲というか、”やらされてる”感のないそれで過ごせてた。
葬儀社に依頼すると、すぐに線香セット、鉦(カネ)とかも含む、持って来てくれて、我が家には仏壇もないし、そんな習慣もなかったけれど、なので、ああそういうものかと後から気がついたようなもので、そうじゃないなら、自分たちでそういうの用意するって頭さえなかったようなもんだった。
でも線香上げたのは葬儀社の人が来た時と、あと親戚が来てちょっとなんかそんなことしたかなー?あとはそう、焼き場で死体焼く前に焼香ってやつやったときぐらいで、おれも、そして母親も、その後も線香上げたりとかはぜんぜんしてないんじゃないかなあ。
なんかそんなこと、こそばゆいっていうか、元からの習慣がないのもあって、なんていうか、心が籠もんないんだよね。そんなことしても。
なのでやってない。
自分たちの気持ちが篭ったことじゃないとやりたくなくてさ。
元からの習慣や信仰がある人ならば、例えば線香を上げるといっても充分に心が籠もりもするのだろうけれど、うちはそんなことしても、なんか無理くりカタチをしてるだけになっちゃうんで、やらない。
でも線香上げるようになってたりってのは誰か弔問に来てくれた時にはカタチがあると納まりがいいものなので、来た人だってそういうのなかったら、困っちゃうだろう、そういうのもあって必要じゃあるが、本来の身内のおれとかおかあさん、あと妹はどうかなあ、なんかそういうのじゃないのがむしろしたいっていうかね。
手荷物みたいんじゃなくて、香典返しにメロン送ったのもその一環で。
なんか気持ちが入ったことをしたいんだよね。そうじゃないと気持ちわるいから。なんか自分たちなりに”ちゃんと”したいんだ。
世間の決まりじゃなくてさ。
まあ、うちはつきあいが小さいからそんなこともしてられんだろうけど。
つきあいがある程度あればそうも行かないよな。
まあそんなわけで、この先、仏壇は用意しない予定。おれもそうだけど、お母さんも仏壇とか辛気臭くてヤなんだよね。
あと元からうちらにはカネもないし、その上更に、気持ちもない、ただの他人の、ビジネスでやってるきりの坊主に大層なカネ払う気もないし、大体父親がそういうの大きらいだったから余計あれだ、戒名とかはね、つけない方向で。
でもなんもないのも不自由だし、それなりにカタチが欲しいってんで、戒名のないネームプレートみたいのんは、かあちゃん、イオンに頼んでこさえたいって云ってた。戒名なし、ってのがOKかどうかは知らんが。
あと仏壇じゃなくて、どうせならオシャレっぽい方がいいなと思うので無印良品でなんかしら写真と線香でも置けるような棚でも買おうかなって思ってる。(オシャレ=無印良品というおれの限界w)
なんかしらは用意する予定。
かあちゃんはやっぱそれなりになんかカタチは欲しいみたいだし。
おれとしてはほんとはなんもない方がいいんだけど。おれの気持ちだけで云えば。
だってさ、お父さんのことはさ、この先もずっと考えてるもん。近頃だって仕事の合間にふいにさ、なんかね。まあそういうもんだが。
うちはちんまりと、そうはいってもあたたかい家庭じゃあったからさ。恵まれてる方だしさ。そういう点じゃ。
ともかく、今後も訪問者はいて、特に親戚筋、実際にお父さんと関わりのあった人たちには手を合わせる場所が必要だしね。そういう人たちのこともちゃんと考えなきゃいかんし。
弔いってのは自分と父親だけのことじゃないんだなってのは今回でようやく学んだよ。まあ世間的に”ちゃんと”は出来ちゃいないだろうけどさ。
エアコン
エアコンがイカれた。
ゆうべ等間隔で「ポッ」って音がエアコン方面からするので耳を済まし、近くへ寄ってよく見てみたら露が垂れてた。
よくあることとも言えるがなんせこのエアコン、93年製だ。
20年以上駆動してる。
幾らなんでも長過ぎる><
元々はこの部屋は妹の部屋でエアコン導入したのも妹だ。
うちの親はエアコンとかそういうのに疎かったし。
でも妹が結婚して家を出たのがもう17年(?)ぐらい前。
おれが所沢の一人暮らしから実家へ戻ったのが12年ぐらい前。
なんで5年ぐらいはこの部屋は空いてたし、エアコンも使ってなかったはずだ。
でも購入してから20年以上経ってることは確か。
よくいままで保った。
なので本当はこの夏が終わりオフシーズンになったら買い換えるつもりだったけど、さすがに限界が昨日来た。
それで素直に諦めて今日ヤマダ電機行って新しいの買ってきた。
工事は来週の月曜だからまだ一週間はあるけど。
幸いうちは比較的風の通りもよく窓開けて扇風機つけとけばしのげなくもない。
ただ、PCがあるんでねえ。
PC使うには冷えた部屋じゃないと影響もあろうし、それ以上におれの頭がなおさらぼおとしちまう。
考えたり集中したりしないんでよかったならべつにエアコンなしでもなんとかなるんだけど、そうもいかない。
暑さには元々強かったし、昔は夜勤や遅番の時は昼間窓開けて寝てたし、寝れてたし、あれだったけど、さすがに年齢的には昔みたいにはいかんじゃろ。
アパート住まいの時もずっとエアコンなんかなくて、でも彼女が出来て必要もあろうと導入したんだよなあ。30歳過ぎてからだ。それは。
今日は最近の例に倣い5時起きで(老化)、朝はまだぼんやりととりとめなく過ごしてたけど、それでも歯磨きや髭剃りはさっさと済ませるのはこの10年ぐらいのクセ、昔は特に髭剃りがめんどうでめんどうで休みの日とかはずっと先延ばしにしてたもんだった。
いまは逆にヒゲ剃らないと気持ちわるくて落ち着かなくなる。
午前中はそれでようやく重い腰を上げ、甥っ子(長男)宛の大学案内をアメリカ宛に送る用意と、妹の旦那の姉たちから来たお悔やみ状&香典(アメリカ人だけど、たぶん彼女たちの弟からの示唆?)返しで「みすず飴」と、母親がパソコンで書いたお礼状&おれが佐々木マキの絵葉書に「Thank you for your compassion」と書いたそれを添えての小包をEMSで送る準備して郵便局持ってった。それでその帰りにそういやクルマ洗わなきゃってずっと考えてた、気にしてたこと思い出してガソリンスタンドへ。
そしてあっつい中、洗車。たまのことなのでいちばん高いヴァージョンで洗った。
これでスッキリ。
あとはおかあちゃんがカインズホームで竹箒とか買いたいというんでいっしょに行って、その前におとっつぁん死んで2日目の夕に2人で行ったラーメン屋行ってラーメン食った。
おかあさんがそこのラーメン好きなんだよね。
かつおだしで、醤油味のワンタンメン。
おれも好きだし、まあ結構、美味い。
その他はショッピングモール行って無印良品でこの机欲しいなあとか思ったり、主に遺影とか載せる用、ハンカチ買いたいなあ、けど無印だと500円か、普段の仕事行くときとかのやつだし、なので100円ショップでいいやと、その後100円ショップ行きハンカチ3枚買ったり、サマソニ用にとブルーシート買ったりした。
あとサマソニ用にズックも欲しいと考えているが、おれはいつもVANSで、でもここんとこ買うのがみんな足が痛い系で軽く履けるやつがないのが悩み、でもVANSがいいし、なんかないかなあとABCマート覗いたり。
そしてヤマダ電機行ってエアコン見て、それで一度帰って少し考えてまたヤマダ電機行って工事とかの手続き込みで購入。
夜は冷蔵庫にいっぱいあったイカをかあちゃんがフライとぬたみたいにして、イカ祭りな夕食。
あと今日は午後にちょいと氷使おうと冷凍庫の氷コーナー開けたら氷が溶けてて、これは!?と思い他の冷凍庫見ても溶けかけてる、まずいってんで電源抜き差し、その後急速冷凍のボタン押したりして回復へ。
他にAmazonで買ったメロン食ってみたけどまだちょっと早かった。まだ熟しきってなくてちょっと硬かった。
でもさっさとどんなもんか食ってみたかったんだもん
諸々費用
初日、病院から自宅までの葬儀社による移送がおおよそ4万5000円。
納棺やらドライアイスやらその他葬儀費用が260700円。
(通夜、告別式なし。坊主とかもなし)
元は20万弱だけど、安置所代とか、ドライアイスの追加とか、特に納棺師の人頼んだりがあってプラスαな料金。
火葬場が焼き&会場代で13000円。なんか町のそれで安いらしかった。
元々の救急搬送&死体検案が合わせて7万円ちょい。
(死体検案が保険診療外でほぼ5万円)
なので病院関係は抜いて、葬儀関係、おおよそ30万円ちょいで済んじゃった。
お安い♡
まったく思った以上に安く済んじゃったよ。
でもわるくない、というかいい葬式だったなあって思ってる。
家々の事情はそれぞれでカネ掛けないわけにもいかない、ってケースが殆どだとは思うけど、まあうちの場合はこんなでしたよ。
参考までに。
ほんとは告別式とかもしないわけだし、香典ももらわずともよいなあとかぼんやりと考えてたけど、来る人は携えて来るわけで出されたものもらわないわけにもいかない。
それはそれで気持ちだし、ありがたいしね。
まあそのお返しでかあちゃん発案でメロンてことになったんだけど、その香典くれた人たちの名簿はおかあさんが作った。結局。
おかあさん、あれなんだよ、パソコン教室通って、住所録とかは作れるんだよね。まあ、その腕を活かして☆
おれがやろうかとは思ってたけど、その前にやってた。
そのリストを元にメロン頼んだり、配ったりね。
餃子
うちのお父さんは料理が得意だったけど、そんな中でももっぱらの評判は餃子だったなあ。
昔ラーメン屋もやってたしね。
それにそのラーメン屋も味はよく評判よかったらしい。
で、その餃子のレシピ、妹が数年前にメモって持ってるらしい。
今回訪問してくれた中に父親のすぐ上の兄の子供たち、つまりはおれのいとこだ、女2人に男1人。そのいとこの姉2人はその餃子の味に馴染みが特にあり、妹が、じゃあレシピ渡すよってことになったりしてた。
あと「揚げおにぎり」っていう、うちの父親が発案したのがあんだけど、我が家じゃ定番、おれは特に子供の頃はしょっちゅう食ってた気がする、甥っ子たち来るとお父さんは彼らにそれを作ってて、子供ウケもいいんだよな、それ。
なんか焼いたりもちろん最終的には油で揚げたりで結構工程があるらしいんだが、そのレシピも妹が持ってるし、あと、いとこも前からそのレシピは心得てるらしい。
おれはわかってないので、そのレシピをここに開陳したりできないのであれだが、あれだよ、味付けは醤油と味の素(!)たっぷりで、その上油で揚げてるわけだから、もうカロリーとかはすごいことんなってるし、体にいいとは言い難いが、これがねぇ、美味いんだよな。冷めても美味い。
雑に云うと揚げ煎餅でごはんが包んであるような感じ。
おれ、先だっての訪問でいとこと話すまで、それが父親オリジナルだって知らなかったよ。
なんかあんまりにもうちじゃ定番だったからさあ。
おとうさん、えらいね。なんかいろいろと器用だったよ。おれにはとてもないそれだ。
キノコも、昔は長野の実家行った時、採ったりしてたもんなあ。
おれ、そういうの、まったくだめで。
カブトムシもクワガタも、おれ、自分で捕まえたこと、おおよそない。いっつもおとうさんに採ってもらってたなあ。
いまから考えてみると、お父さん、10年前はまだ元気だったんだなあ。
それがここ1、2年ぐらいで衰えた。歩くのも億劫になってた。
あと、お母さんが入院した頃もまだお父さん、元気だったんだなあって、いまになるとわかる。
7、8年ぐらい前。
あのときはお父さん、毎日見舞いに行って、そうしてお母さんの下着とか持ってったし、ちょいとしたしょっからいおかずとか作っては持って行ってたんだ。かあちゃんは塩辛いものをどうしても欲しがるしねえ。病院食だと淡白過ぎてw
お母さん、だから入院しても、他の家と違い、食うものの心配はしなかったなあ。あのときは。
お父さんがごはん作りしてたし、ふだんから。
あとあの頃は洗濯もしてた。
ただ入院中はおれが洗濯係してたりしたと思うけど。あとゴミ捨てか。